73 おやすみ、またいつか


 神の庭に咲き乱れる桜の数は減ることはない。

 いつでも満開の桜が庭を縁取っている。

 不思議と花弁が吹き込まない縁側の定位置に、山神が腰を据えていた。


 その大山たる大狼が、動いた。


 前足を軽く浮かせると、その下に真白の珠が現れた。

 大きな前足にすっぽり隠れてしまっているが、つるりとしたそれはまばゆい光をまとっている。

 時折、山神が暇を見つけてこねていたモノだ。


 座卓についた湊が茶をすすりながら、一連の動作を眺めていた。

 昨日の疲れは一日眠ったおかげで、それなりに回復している。

 今日は朝から日課の管理人業務をこなし、現在、昼食後のまったり休憩タイムと洒落込んでいた。


「それが眷属になるんだよね。新しい家族が誕生するんだ」

「……まあ、そうとも云うな」


 山神が珍しく微妙な雰囲気になった。


「しかしこやつは、どうであろうな。我が家族となるか否か」

「ウツギたちと同じ、山神さんの分身だよね」

「いや、これにはこやつを入れる」


 いいざま、後ろ首を後ろ足でカリカリとかく。さすれば、ころりと座布団上に塊が落ちた。

 光を発しているものの、ひどく淡く、今にも消えてしまいそうだ。

 隣にある苛烈ともいうべき光の珠と比較され、余計に弱々しく映った。


「……まさかそれって、昨日の剣に入っていた神霊?」

「左様」

「つれて帰ってきたんだ。それにしても、どこに入れてるんだ。いかにもたくさん物が入りそうな厚みだけど」

「落ちなければよいからな」

「まあ、持っておける場所がないか……」


 お主が持っておけ、といわれても困っただろう。

 スゥ……と山神が塊に前足をかざす。すっと前方に逃げた。

 ズイッと再度かざすと、またすすすと脇に逃げた。


「嫌がってるような……」

「ぬぅ、頑是がんぜないやつめ。せっかく依り代に入れて我の眷属にしてやろうというに」

「山神さんの眷属には……なりたくないのか」

「ならば、素直に我の元におりはせぬ」

「じゃあ、珠に入れられるのが嫌なのかも」

「しかしこのまま放っておけば、じき消滅しよう」


 光の塊が細かく振動する。

 怯えている。

 消えるのは嫌だと態度で告げていた。

 しばらくすると、自らじわじわと白き珠に近づいていく。行きつ戻りつ、葛藤しているのが丸わかりな様子で。

 それを、湊は黙って見つめ、山神はあくびしつつ、茶をすすりながら、待つ。


 最後には、わりとすんなり珠の中に入っていく。淡い光が吸収され、溶けるように融合した。

 カッ! と白き珠の光が増す。


「うお、まぶしっ」

「目を閉じよ」

「いうのが遅い!」


 閃光が落ちつき、湊がかざしていた腕を下げた。

 座布団に乗っている白き珠は、ぼんやりした光となっていた。まったく動く様子はない。


「……元気ないな……大丈夫?」

「ぬぅ、さすがに我の御霊ではないゆえ勝手がちごうておる。従来なら、すぐに変化へんげするのだが……」

「……珠に自分で入っていったなら、拒絶はしてないよね。休みたいとか?」


 山神が珠を見下ろす。ほどなくすると両眼を眇めた。


「よかろう。好きにせよ」


 湊が物問いたげにしていると、山神が顔を上げる。


「お主の見立て通り、休みたいらしい」

「じゃあ、ここでゆっくり眠ればいいよ。どこかに……そうだ、石灯籠が一つ空いてたよね」


 鳳凰の石灯籠と向かい合うように、もう一つ置かれている。


「ぬぅ、わがままなやつよ。まあ、よかろう」

「なんて?」

「庭の端で構わぬと云うておる」

「龍さんに似た謙虚な方っぽいな」


 きょえええ、と庭のどこかで麒麟が『凄まじい誤解をされてらっしゃる』と奇声をあげた。

 


  ◇

 


 はらはらと舞い落ちてくる桜の花びらを湊が手のひらで受け止める。皮膚に触れた瞬間、桜の香りだけを残し、雪のように消えてしまった。


「そろそろ桜も終わりかな」

「そうさな、もう時期外れよな。今日で終わりにしよう」

「うん」


 庭をぐるりと見渡す。無限の桜が艶やかに色を添える静謐な日本庭園が広がっている。

 そんな幻想的な景色も見納めになる。

 来年も見られるか、わからない。

 しかと脳に、心に焼きつけて覚えておこうと思う。


「花見なるものはしなくてもよいのか」

「十分ありがたく堪能したけど」

「人は、桜の下で酒を呑んで騒ぐものであろう」

「まあね。あえて桜の木の下にいかなくても、こんな贅沢な庭を見ながら毎食いただいているから、今さらかな。それに俺、呑めない体質だしね」


 ここでは、無理に酒を勧めてくるモノはいないので助かっている。呑めない体質だといえば、誰もがあっさり納得してくれていた。


「お酒はいらないけど、お団子でも食べますか」


 待ってましたとばかりに山神が尾を振る。

 桜が対流を起こすその向こう、大岩上の霊亀が固く両眼を閉ざし、じゃぼっと応龍が水中に潜った。

 酒呑みたちが意気消沈している。湊が苦笑する。


「亀さんと龍さんは呑んでいいよ」


 すぐさまいそいそと縁側に向かっていった。


 かたん、かたん。裏門の表札が鳴る。

 眷属たちがやってきたようだ。ここのところ、彼らまでドアノッカー代わりに鳴らすようになってしまった。


「湊ー、木苺だよー! 食べよー!」


 ただし、返事は待たない。

 背中に竹籠を乗せたウツギが一番乗りで入ってきた。絶妙なバランスで乗るそれには、去年もたくさん頂いた弾けそうな赤い実が盛られている。


「ありがとう。セリとトリカも入ってきていいよ」


 自由な末っ子に反し、セリとトリカはきっちり待っている。しかも丁寧に「お邪魔します」と告げ、お辞儀までして入ってくるのだった。

 二匹がウツギの後を追い、とててと庭を駆けていく。


「なんでこうも違うんだろう。みんな同じ存在ともいえるんだよね?」

「我も不思議でならん」


 縁側に竹籠を置いたウツギは早速木苺をつまみかける。その前足をトリカに叩かれていた。

 

「少し早いけど、お昼も食べようかな」

「じゃあ、これを食べるといいよ」


 風神の声がすぐそばで聞こえた。

 驚く湊の傍らで爪の先ほども動じない山神が、空を見上げている。そこには、イカや鯛などの魚介類を背後に引きつれ、宙に浮かぶ風神雷神がいた。

 人型のモノが空中停止している様は、いつ見ても不思議な光景だと思う。


「やろうと思えば、キミにもできるよ」

「善処します」


 遠慮したい。落ちたら目も当てられないうえ、目立ってしょうがないだろう。

 すとんと風神と雷神が縁側に降り立った。


 山神のあとに続き、湊も縁側へと向かおうとした時、今度は麒麟が戻ってきた。

 空の彼方から駆けてくる。雲を突き抜け、徐々に近づいてくる様はまさに疾風はやてのごとし。

 一度屋根に降り、跳んで、庭に着地。数日ぶりのご帰還である。

 背後に見慣れない果実を浮かべていることから、海外に赴いていたのだろう。


「おかえり、麒麟さん」


 ほてほてと歩み寄ってきて、果実を差し出された。茶褐色の大粒のブドウほどの大きさの物だ。

 龍眼ロンガンである。

 果肉もブドウと同じく白いゼリー状で、中央に大きな種がある。その種を龍の眼に見立て、その名がつけられた果実だ。


「ありがとう」


 今回も国内ではなかなか手に入らない珍しいモノである。

 素直に喜ぶ湊の見えぬ所で、麒麟が縁側の応龍を見やり、にんやり嗤う。

 応龍が羽を広げ、ヒゲを逆立てた。


『麒麟も頭部は龍であろうに……』


 霊亀の呆れたつぶやきに、同じく山神一家も呆れながら同意する。

 石灯籠が開き、ひょっこりと鳳凰も出てきた。


 その対面にあったもう一つの石灯籠は今、そこにはない。庭の片隅に移動させてあり、その火袋の開口部は固く閉ざされたままだ。

 その中で山神家の新入りは眠っている。

 まだ一度も出てきていなかった。神の時間感覚は、人とは乖離かいりしている。いつ頃起きるか、はたまた眠ったままなのか。

 それは山神にも知り得ぬことだという。


 湊も縁側に上がった。己がここにいるうちにまた会えたらいいと思いながら。

 

 はらりはらりと見納めの桜吹雪が舞う。

 楠木邸の神の庭を鮮やかに彩る。ちゅんと山のどこかでスズメが鳴いた。

 

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