38 一応、ご近所さん


 湊が何気なくにあたりを眺める。

 建物の入り口でたむろしている黒服の集団に気づいた。その中心に頭一つ抜きん出た播磨がいる。

 よく見れば、播磨を囲っているのは女性ばかりだ。

 播磨と並んでも見劣りしない長身の女性たちは、容姿端麗である。


「すごいな、美人ばっかり。叫びながら悶えてる人もいるけど。播磨さん実は、ハーレム持ちだった……?」

「血族であろう」

「確かに、雰囲気似てるかも。ま、冗談だけど……多分仕事中だよね」


 湊が首をめぐらせる。己以外の人はいない。


「ところで、翡翠の方って誰のことだろう。山神さんのことじゃないよね。山神さんは白き方か金色こんじきの方って感じだし」

「むろん、お主のことであろうよ」

「俺のこと? なんで俺が翡翠?」

「……云うておらんかったか」


 心底解せない様子の湊を、山神は一瞬呆れたものの、即、思い出した。


 湊に己の祓いの力の色を教えていなかったのだと。


 湊の周囲のモノたちには当たり前に視えており、あえて誰も語りもしなければ、指摘もしない。

 というより、皆、山神が伝えているものだとばかり思っている。


「お主の祓う力は翡翠色を帯びておるのよ」

「へぇ、そうだったんだ。視れるものなら視たかったな、翡翠は結構好きな色なんだよね」

「ほんに美しい色をしておる。やりおるわ」

「うお、最上級褒め言葉いただきました」


 山神語録に慣れた湊が笑おうとしたが抑えた。

 播磨一族に山神が視えているのかわからぬが、今の己は独り言を言いながら一人で笑っている怪しい人にしか見えまい。

 会釈だけして、そそくさと離れていった。

 


  ◇

 


 そびえる山――山神の御神体の傍らには、低山がある。

 綺麗な三角形をしていて、山頂にたどりつくまで半刻も要さないだろう。

 頂き付近に神社がある。そこへと伸びる幅の狭い急階段には、いくつもの朱塗りの鳥居が立つ。

 いかにも稲荷神社の様相を示していた。


 立ち止まった湊が、千本鳥居を見上げる。


「この山が、このあいだうちの温泉にとろけていた黒い狐のお宅だよね」

「いかにも」

「随分かわいらしい山だな。勝手な思い込みだけど、大きい山にしか神様はいないと思ってた」

「大きさは関係ない。どこにでもおるにはおるが、ここのやつは――」

「うわ」


 またも湊の身体が引っ張られた。


 湊が目を凝らす。おかしい、前方に歪みは存在しない。

 にもかかわらず、ぐいぐいと階段のほうに身体が持っていかれる。

 その勢いは、今までの問答無用な引かれ方とは異なっていた。

 されど拒否は許さない強引さだ。


 湊は疲弊していた。

 まだ、神威入りの風を放つのに慣れておらず、力を遣ったあとは、身体の重怠さを感じていた。この状態で急階段は脚にくるだろう。

 それに風を放つにしても、いったいどこに放てばいいというのか。

 階段まであと一歩。


「我の前で勝手なことをするでないわ」


 ひらりと跳躍した山神が湊の前を横切った。

 たったそれだけで、吸引力はあっさり消えてしまう。

 解放された湊が踏みとどまった。


「あっぶなかった」


 体勢を立て直し、山神を見やる。忌々しげに喉を鳴らし、階段の上を睨みつけていた。


「ふん、珍しいこともあるものだ」


 数段上がった先の中空に、白い狐がお座りの体勢で浮いていた。

 やけに大きい。元の山神と変わぬ体躯に、うっすら金の光をまとっている。

 その背にゆれるいくつもの尾が、扇状に広がっていた。

 つい数を数えた湊が目を見張る。


「……きゅ、九本ある……妖怪……?」


 書物などで有名な、かの大妖怪白面金毛九尾はくめんこんもうきゅうびは知っていた。

 湊は、鮮明な姿の妖怪を初めて見た。

 それにしては、神々しいなと思っていれば、バッチリ視線が合う。にんまりとその吊り目をしならせたあと、かき消えてしまった。


「やつは、神ぞ」

「え、そうなんだ。ああ、ここのお山の神様ってことか」

「……まあ、間違ってはおらぬ」


 どうも山神の歯切れが悪い。


「お隣さんだよね。仲良くないの」

「よいも悪いもない」


 ふいっと山神は背を向けた。湊が後に続く。

 いいたくないらしい。

 神の存在歴は計り知れない。何があったのか知る由もないが、これ以上、詮索する気はなかった。


「それにしても、なんだったんだろう」

「お主はやつに招かれたのよ」

「なんで? 俺今日初めてここを通ったし、会ったこともないよ」

「向こうは知っておる。眷属のやることなすことすべて、もとの神には筒抜けゆえに、な。単にお主をじかに見たかったのか、稲荷寿司が目当てだったかは知らぬが」

「……なるほど……結構強引だな。普通に招いてくれるなら、いってもいいけど」

「帰ってこられる保証はどこにもないぞ」

「すみません、遠慮しておきます」


 低山に向けて、やや声を張った。

 帰れないのももちろん困るが、さらにもっと困るであろうことも思い出した。


 あの黒狐からもらった金の桃である。

 先日頂いた物は、たまたま訪れた雷神がぺろっと食べてしまった。

『不老不死効果のあるモノを食べると肌が若返る気がするのよね〜』とご満悦だった。

 やはりとんでも効果付きだったようで、食べて処分してもらえて胸を撫で下ろしたのだった。


 君子危うきに近寄らず。

 そんな望まぬ効果がある果実が採れる神域なぞ、極力、避けるべきであろう。


「山神さん、さっきは助けてくれてありがとう」


 言葉とともに多大な感謝の念も向けた。

 さすれば山神が一歩、一歩、歩むたび、その身がむくむくと大きくなっていく。

 数歩もいくと、背中が己のふとももあたりになった。

 めでたく山神、完全復活と相なった。

 己を超える巨躯が、堂々と闊歩していく。湊がうなずいた。


「やっぱり山神さんはこうじゃないとな」

「左様か」


 しゃなりしゃなり。優雅に歩きつつ、機嫌よさげにふさふさの尻尾を左右へと振った。

 

 

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