11 喜びもつかの間





 山神に名を呼ばれ、かつその内容を聞いた播磨の肩が大きくはねた。


「イジるとは、どのようにされるおつもりか」


 祖の神が平たんな声で問うと、山神はゆるやかに尻尾をゆらす。


「霊力の器を大きくしてやろうぞ」


 播磨が忙しなく眼鏡を押し上げた。その表情に戸惑いはありこそすれ、拒絶はない。

 それを見て、湊は口角が上がるのを抑えられなかった。


 霊力の器とは、霊力の源ともいえる。すべての人間が持って生まれるモノではなく遺伝性のモノであり、その大きさもまちまちである。

 播磨家の血筋の場合、その器はかなり小さい。

 けれども祖の神が、霊力の底上げが可能なお手製の武器を与えているため、並みの術者以上の力を発揮できる。

 だがそれは、女のみだ。

 女といえども持っていない者もいる。それは、武器の方が所有者を選ぶという少々変わった理由からであるが、選ばれない者は悪霊の影響を受けない体質ゆえである。

 それらの武器はもともと護身用としてつくられたことに起因するが、いまはそこはいい。


 才賀のことである。

 男に生まれついた、ただそれだけの理由で祖の神に認識されず、武器に選ばれることもない。

 つまり、自らの少ない霊力で悪霊と戦うしかないのだ。


 それを知った湊は単純に思った。

 ならば霊力を増やせばいいじゃないと。

 しかし山神は言った。

 霊力は増やせないのだと。


 増やすためには、霊力の器そのものを大きくしなければならない。しかしそれは人間がいかに努力しようともなせないことだという。

 だが人間には不可能なことであっても、神になら可能だ。

 それを山神がしてやるという。


 播磨は湊のもとへくる際、いつも山神への心遣いを忘れなかった。たとえそれが、取引をつつがなく済ませたいがためであったとしても。

 幾度も繰り返された、その見返りを求めない行為に対する山神からの返礼である。

 なお播磨に拒否権はない。

 山神がやると決めたならやる。基本、身勝手ゆえ。


 なにはともあれ、祖の神の許可を得なければならない。

 なぜなら神は、自らの血を引く子孫への執着が凄まじいからだ。

 もともと憑坐の家系であった播磨家だが、子孫たちの身に祖の神以外の神が降りることはない。できないといった方が適切であろう。

 祖の神が断じて許さないからだ。

 神が人間を伴侶に選ぶ。これは稀な珍事であり、その場合、伴侶ならびに子孫までも神は執着する。

 しかし、祖の神は男の播磨のことは眼中にない。

 たとえ山神が勝手に播磨の霊力の器を大きくしたところで、気にもとめないだろう。

 が、万が一を考慮し、山神はわざわざ話をつけに出張って来たのであった。


 そんな諸々を山神から昨夜聞かされていた湊は、固唾を呑んで祖の神を見つめる。麗しのかんばせをしかめ、脚を組み替え、しばし天井を見上げた。

 ようやく正面を向いた祖の神は、ひと言。


「――山の神よ、サイガとは誰でしたかな……?」


 とぼけているわけではない。その顔は心底困惑しているようにしか見えず、湊は唖然となった。


「――まぁ、いつものことだからな」


 播磨の声は抑揚がなかったが、失望は隠せていなかった。

 部外者が口を挟んでいいものか、いや、その前に己も同じように認識されていないのだった。

 と高速で悩む湊の隣から、鋭い声が飛んだ。


「お爺様、わたくしの兄が才賀です!」


 祖の神がそちらを向くと、藤乃がつかつかと歩み、播磨の腕を取ってとくと見よと言わんばかりに前へ押し出した。

 目を細め、睨むように見た祖の神が、パッと笑顔になった。


「おお、そうだったな。椿と藤乃の間にもう一人おったな」


 その目が播磨の頭からつま先までさらりと流し見る。


「ふむ、息災のようだな」

「――はい」


 播磨は喉につかえたように返事した。

 相当久方ぶりなのか、はじめてなのか。知り得ないけれども、祖の神が播磨を厭うている様子は見受けられない。

 交渉は存外、容易に済むかもしれない。湊の胸に光明が差すも、瞬時に消し飛ばされた。


 ぶつかり合った二神の神気によって。


 たちまち人間たちは地に伏せる。おのおのが薄目で見る先、祖の神から発する神気が山神の目前で透明の壁に阻まれたように四方へ散りゆく。

 幾筋ものその流れが誰の目にも見えるのは、それだけ神気が濃いということだ。

 一方、山神の神気は見えない。けれども壁と化しており、それが徐々に祖の神の方へ押し出されていっている。

 すなわち山神の方が強い。

 姿勢よく座したままのその表情も余裕そうだ。

 顎を上げた大狼は、祖の神を睥睨する。


「なんぞ、気に入らぬのか。その名すらもろくに記憶に残らぬ程度の存在であろうに」


 鼻で嗤うと、同様に祖の神もあざ笑う。


「たとえ覚えておらずとも、吾の血が流れている者だ。よその神にその身を好きにさせるのは気に食わんな」


 祖の神はさらに神気の威力を上げる。暴風が吹き荒れ、シャンデリアが激しく振動し、伏せた人間たちも浮きかけた。

 即座、山神の盾めいた壁が形を変える。四隅が湾曲し、祖の神のみを包み込まんとした。

 球状に縮まる壁に自らの神気が阻まれ、はね返ってくるのを阻止すべく、立ち上がった祖の神が片手をかざす。

 が、盛大に顔を歪めた。


「これ以上やると、椿の身体が壊れかねんな」


 ギャー! と佐輔の悲鳴があがったと同時、祖の神の神気と山神の壁も霧散した。


「――うむ、ならばよいな」


 山神が確かめると、祖の神はため息をつき、勢いよく椅子に座した。


「――ああ。あなたの望むようにするといい」


 ふんぞり返ってたいそう不満そうではあるが、言質は取れた。

 神は決して約束を違えることはない。

 キイキイとシャンデリアが振り子めいてゆれる下、這いつくばる湊は、安堵とともにがっくりと頭を垂れた。

 播磨も他の者も同様であった。


 山神は満足げに尻尾をひと振りし、播磨を見た。

 何か言わずとも、立ち上がったその身体を今さらとくと眺めることもなく。


「ちと痛むやもしれぬが、許せよ」


 播磨の了承をも待たず、頭を振った。その鼻から射出された光の矢が、ストッ。播磨のみぞおちに突き刺さった。


「ッ」


 瞬間的に眉を寄せた播磨であったが微動だにしない。光の矢が己の身に少しずつ埋まっていくのを凝視している。声を発することも、その矢に触れようともしない。

 けれども全身が小刻みに震え、幾筋もの汗がこめかみを流れていった。


 相当痛そうだ。

 間近でその様子を見つめながら、湊は己が腹部に手を当てた。

 とはいえ、そう長い時間はかからなかった。

 光の矢は播磨の身に完全に収まった。その途端、播磨の強張っていた身体から力が抜ける。一瞬よろめくも、両足でしかと床を踏みしめた。

 播磨はかすかに震える手で、己がみぞおちに触れる。


「――ここまで、違うのか……」


 つぶやいたあと、声にならないようであった。


 湊はなんとなく理解できた。

 湊の場合、霊力ではないが、祓いの力を感じる箇所がある。最初のころその位置さえ曖昧であったが、次第にそのサイズとそこに力が満ちる、空になる感覚をつかめるようになった。

 播磨も同様で、いま霊力の器の差をまざまざと感じているのだろう。

 言葉もなく感激しているのは誰の目にも明らかで、親族たちもみな笑顔を浮かべている。


 ただし、祖の神だけは違った。

 肘掛けに頬杖をつくその顔は、非常に面白くなさそうだ。


「ふむ、ずいぶんデカくしてもらえたな。なら、すぐにでも力試しをしたいだろう?」

「え?」


 と人間一同が異口同音に言った。

 にぃと祖の神が片方の口角を吊り上げる。


「我が神域に招待してやろうではないか。ぞんぶんに楽しんでくるといい、えーと……ああ、サイガよ」

「ぬし、まだ覚えられぬのか」


 山神のため息と、祖の神が指を弾いたのは同時であった。

 播磨の足元にぽかりと穴が空く。声すらなく立ったままの姿勢で落ちていった。

 一瞬の出来事で、理解も反応も追いつかなかった親族と異なり、湊の身体だけが傾いだ。


「うわっ」


 一歩踏み出した片足が踏んだのは、穴の中心であった。

 泳ぐように穴の中へと飛び込んでいく。その姿が完全に消えると穴は閉じた。


 哀れ、湊。

 神域に引き込まれやすい体質が仇となった。とんだとばっちりであった。


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