24 その道の鬼才はいまだ現役





 住宅街の道を歌いながら歩む一人の女児があった。

 ステップを踏む都度、背負うランドセルの中で筆箱が鳴り、振り回す体操着袋が風を切る。

 晴れやかに笑うその口から高音が出るたび、あたりに漂う瘴気が祓われていく。

 それを当人は気づいてもいない。

 最後に高らかに歌い上げ、虚空にいた悪霊を一体祓ったのち、口を閉じた。

 その時、盛大な拍手が起こる。


「とても素敵な歌声だね。思わず聞き惚れてしまったよ」


 振り仰ぐと、にこやかに笑う和装の男がすぐ後ろにいた。

 己が祖父と同年代であろうが、粗野な身内とは異なり、いたく上品な印象を受けた。

 なんといっても、今どきなかなかお目にかかれない装束である。

 そんな身なりのよい大人に褒めそやされ、小学生は真っ赤になった。

 彼女は歌を歌うのが好きだ。気分が高揚すればつい口ずさんでしまう。

 しかし残念ながら音痴である。親兄弟や友人からもいい反応をされたことがない。

 ゆえに見知らぬ他人に絶賛され、有頂天になってしまった。


「そ、そうかなッ⁉ あたしそんなに上手だった⁉」

「ああ、すごくいい声だよ。もし君が歌手になったらぜひともCDを買いたいぐらいだ」

「そ、そんなに……!」


 両頬を押さえ、あわあわとなる小学生に男はさらに笑いかける。


「綺麗に高い音が出ていたから、特にそこがよかった。もっと高い音域が出せるようになったら、いま以上に君の歌声は素晴らしいものになるだろうねぇ」

「あ、あたし、もっと歌の練習ガンバルッ!」

「いいねぇ、応援しているよ」


 柔和な顔を崩さず、陰陽師葛木小鉄の父―― 退魔師の葛木角之丞すみのじょうはその場を離れた。

 いまのご時世、見知らぬ子どもにただ声をかけただけで、不審者扱いされかねないからだ。


「言いたいことは言った。今後どうするかはあの子次第だ」


 風を切るように進むその口角は上がっている。


「非凡なる才能の塊に出会うのは、いつだって喜ばしいものだねぇ」


 その才を伸ばすちょっとした手伝いをするのも。

 全国を旅していると、時折そういう者とめぐり会える。それもまた旅の醍醐味でもあった。


「それにしても歌で除霊ができるとは珍しい。昔出会った少年並みに希少な存在だろうね」


 角之丞は空を見上げた。

 あの少年――さる温泉宿の次男坊とはじめてあった日と同じ夏空が広がっている。


 この空のもと、大人になった楠木湊はどうしているのだろう。

 あれから非凡な祓う力を伸ばしたのだろうか、それともその力を遣うことなく失ってしまったのだろうか。


 前者であればいいと思い、片笑みを浮かべる角之丞は、パナマ帽を目深に下ろした。

 その左右に漂っていた悪霊の半身が突如消失し、断末魔の声をあげて散りゆく。

 姿を消している式神――シャチ二体が喰らったせいであった。

 角之丞の歩調に合わせ、二体のシャチが宙を交差しつつ、周囲にはびこる悪霊を喰らうや、あっさりといなくなってしまった。


『オヤジィ、こんなよわっちぃ悪霊ばっかじゃ物足りねぇよぉ』


 通常の色彩をした黒いシャチが不満を漏らせば、配色が反転した白いシャチも同意する。


『ですです。このあたり――方丈町でしたか。なんでしょうか、この悪霊らの骨のなさは。嚙みごたえがなさすぎます』


 両脇からのブーイングに角之丞は動じない。


「弱くて結構。むしろその方がいいんだよ」

『全然よくねぇ、まったくもってつまらねぇ。なぁオヤジ、もっと喰いがいのあるやつがいっぱいいるとこいこうぜぇ!』

『ですです。親父殿、即出発しましょう。ええ、可及的速やかに!』

「お前たちは……。私はそろそろ引退したいんだけどね」


 いい加減、移動続きの生活は肉体的に厳しい。もうひとつどころに落ちついてもいいだろう、愛しの妻と息子家族のもとに。

 シャチたちがびちびちと背びれを振る。


『なに言ってんだよ、オヤジィ! まだ早いって! 現役バリバリっしょ!』

『ですです。親父殿に敵う術者も、いまだ現れてはいないではありませんか!』

「ああ、だから鍛えようと思ってね。――うちの孫を」

『あぁ、まぁ……』

『――です……です。それは確かに有効な手立てではありますね』


 式神らも認めざるをえない孫とは、角之丞の一人息子小鉄の次男のことである。

 父と兄を凌ぎ、祖父たる角之丞にも匹敵する膨大な霊力を有している。だが十代半ばになっても依然として霊力を持て余し、振り回されている。


「あの子が私と同じ道を選ぶというのなら、退魔師としてのノウハウも叩き込まなければいけないからね――」


 突如角之丞は言葉を止め、シャチ二体も気配を尖らせた。

 行く手から黒衣の男が歩んでくる。

 ひょろりと背の高い中年男だ。

 全身黒でまとめている以外、とりわけ目立つ特徴もない。人相が判断しづらいほど野球帽を深くかぶっているが、さして珍しくもないだろう。

 ただ、ぶつかり合った目の油断のならなさと、放つ雰囲気は極めて異質であった。


 ――同業者か。


 角之丞が察したと同時、行き違った相手が舌打ちをした。



 ◇



 夏の盛りでも幾分過ごしやすい早朝。

 刷毛で引いたような雲が漂う青空のもと、北部の商店街にほど近い公園にたくさんの野鳥が集まっていた。休日ともなれば、多くの子どもが駆け回って遊ぶくらいの広さがある。

 そこの地面を埋め尽くすほどの野鳥の中心に、ぽっかりと丸い空間が空いている。


 みなが注目するそこにいるのは、ピンクのひよこである。


 鋭い眼つきの鳳凰が、ピンッと後方へ片方の翼と脚を伸ばした。野鳥たちもその動作に倣う。

 鳳凰が反対側も同様に行えば、むろん野鳥たちも。

 この動きは俗に、スサーと呼ばれている。

 お次に鳳凰は前屈みになって、翼を根元から持ち上げて広げた。正面からその体勢を見ると、天使が翼を広げているように見えることから、俗にエンジェルポーズと称されている。

 幾多の野鳥も即座に、まったく同じポーズをキメた。

 その一糸乱れぬ、統率された動きはまるで――。


「軍隊みたいだ」


 公園の入り口脇――フェンスを背にして突っ立つ湊が、ボソッと感想を述べた。

 公園内にいる人間は湊のみである。

 しかしながら、フェンス越しに眺める者はチラホラいる。


「鳥遣いの人って、ここまで野鳥に言うことを聞かせられるんだ……。とんでもねぇ」

「スゲーよな、鳥遣いの人」


 違います。すごいのは鳳凰です。

 そう言えるはずもなく、湊はギャラリーの感嘆の声を聞き流す。

 バサバサと多くの野鳥が翼をバタつかせ、闘志をあらわにし出した。

 準備は整ったようだ。

 そう、鳳凰と野鳥たちが行っていたのは、競争前の準備体操ストレッチであった。


 ぞろぞろと歩いて、跳んで、野鳥が鳳凰の左右に一直線に並んだ。

 カラス、ハト、ヒヨドリ、メジロなどなど。いずれも若い鳥で、鳳凰の相手をするのに不足はあるまい。

 意気込む鳳凰に視線を送られ、湊は頷く。


「よーい――」


 パンッと両手を打てば、公園に鳴り渡った。

 しゅんっ。真っ先に駆け出したのは、もちろんピンクのひよこであった。先陣を切るその両脚はあまりに速く、見えない。

 シャカシャカと公園の外周を周り、コーナーに差し掛かる。野鳥らも負けじと二本脚を駆使して猛追し、ドタドタばたばたとコーナーを曲がっていく。


「いや、飛べよ」


 見学者のツッコミの声が重なり、ズベッと一羽のカラスが滑って転んだ。

 どっと沸くギャラリーの端を野球帽をかぶった人影が横切る。

 そのことに気づく者はいなかった。



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