23 はてさて、なにを企んでいるのやら
かくして、粛々と取引ははじまった。
座卓を挟んで湊と差し向かい、その間に山神がいる。
なにゆえなどといまさら疑問に思うことはないが、そうではないモノもいた。
モモンガである。
湊の肩に乗ったその小動物は小首をかしげている。しかし厳粛な空気を感じ取ったのか、のそのそと湊の腕を伝って床に降りた。
するすると幹を登っていく途中、風鈴に緊張が走ったのを播磨は見逃さなかった。
モモンガが枝上に腰を据えたところで、湊が護符を差し出してきた。その代わりに手土産の紙袋を渡す。
「いつもありがとうございます」
「いや……。あまり時間が取れそうになかったから、ここにくる前に赴いた地の銘菓を買ってきたんだ。気に入ってもらえるといいんだが」
山神が。
同じ旨を思ったであろう湊も同時に、座卓の一角を見た。ともに前髪が逆立ち、上着も翻る。
双眸を細める二人は、床に水たまりができていくのを目の当たりにした。
「池は周りにあるんだけど」
湊が言うや、その水はシュワッと蒸発してしまった。とはいえ、そのあたりに神気が渦巻いており、播磨は口元をひくつかせながら、護符の確認をはじめる。
一方湊は、顔色一つ変えず山の神の神意を代弁する。
「山神さん、だいぶお気に召されたみたいですよ」
「そうか、それはよかった。こし餡だからイケるだろうと思ってな」
「よくわかっておいでで」
「あれだけ何度もこし餡の商品名ばかりを書かれたら、気づかないわけがないだろう」
〝かりんとう饅頭〟と書かれた護符を注視しながらいえば、湊は空笑いをした。
その笑いに同調するように風鈴が鳴る。
――ちり〜ん……。
やけに後を引く音であった。風は吹いていない。
「ん?」
見上げた湊が訝しげな顔をし、播磨も眉をひそめた。
――ちりん、ちりん、ちりん。
段階的に音色が上がるにつれ、神気の濃さも増していく。
そして一陣の風が吹いた。
身構えた播磨が瞬きした次の瞬間、忽然と真白の大狼が姿を現した。
体毛一本、一本が光り輝き、その輪郭を際立たせている。
隣にどっしりと構えた御神体の山に似つかわしき、巨軀が伏せていた。
その外見ももちろんのこと、金色の両眼に何よりも目を引かれた。
太陽のようだ。すべてを灼き滅ぼす苛烈さを秘めているようで、播磨はしばし呼吸を忘れた。
だがしかし――。
「ほう、かるかん饅頭とな」
播磨の手土産たる紙袋を抱え込み、弾んだ声を出す様は威厳もへったくれもない。
「知っておるぞ。これは南の方の銘菓であろう」
しかも普通に話しかけられた。
「はい……そうです」
しかしながらいくら気安かろうが、油断してはならない。何しろ相手は神だ。それも山の神である。
播磨の背筋は物差しをいれたかのように伸びている。が、湊は姿勢こそ崩さないものの、緊張感の欠片もなく。
「あー、なるほど。風鈴の音は今から姿を現すぞのお知らせだったのか」
などと言っている。改めてとんでもない人物だと思う。
これほど神域に馴染み、どころか山の神に対して気負うことすらないのだ。
播磨が戦々恐々となった間も、大狼はのんきにしゃべっている。
「もう一つの包みはさつま芋タルトか。ぬぅ……」
「最近山神さんも洋菓子に慣れてきたから、ぜひいただくといいよ」
湊は笑顔が絶えず、大狼も訝しげに首をひねる。
「なんぞお主、やけに機嫌がよさそうではないか」
「そりゃあ、顔もゆるむよ。ようやく播磨さんにも山神さんが、見えるようになったみたいだからね」
「なにゆえ」
「同じ席についてるのに、俺だけが山神さんと話してるって、なんか変な具合だったでしょ」
確かにな、と播磨は心の内で同意する。
「左様か」とそっけない大狼であったが、ややバツが悪そうだ。
やけに人間くさい神だと感じた。
だからこそ、長くともに過ごせるのかもしれない。
ふたたびその御身を見やる。肌に圧迫と熱を感じる、恐るべき神圧だ。
もとより山の神は、屋敷神系の神とは格が違う。
人間への影響も著しいため、通常山から下りないものなのだが、眼前の大狼は違うらしい。
――相当特殊な存在ではないだろうか。
思考をめぐらせつつ、播磨は護符を確かめ終えた。それから居住まいを正す。
「ぬっ、はじめて食したが、実に独特な食感ぞ」
かるかん饅頭を咥えた山神に見られながら、キョトンとしている湊へ頭を下げた。
「先日は大変世話になった。改めて礼を言う、ありがとう」
泳州町で悪霊退治に手こずり、湊が風の精に託してくれた護符のおかげで事なきを得たからだ。
電話でも礼を伝えたが、面と向かって言うのも筋だろう。
「あ、いえ、そんな」
頭を上げると湊はひどく狼狽したようで、意味もなく両手を彷徨わせていた。
「ぜひ、キミにお礼がしたいのだが」
「――もう、かるかん饅頭とさつま芋タルトをいただきましたけど」
「いや、そちらは別だ」
みなまで言わずともわかるだろう、と視線のみで告げる。
「ええ、まぁ……」
湊は口をもごもごしている大狼を一瞥し、微苦笑を浮かべた。
「なにかほしい物はあるか?」
「いえ、あの、ほんとにいいですよ。お礼の言葉だけで十分です」
こちらが用意した品より、本人が望む物がいいだろうと訊いてみたのだが、芳しい成果は得られない。
あまり物欲は強くなさそうだと思っていたが、案の定、見た目通りであったらしい。
どうしたものかと悩む時間は、ほんのわずかで済んだ。
「この御仁は、辛い物をいっとう好むぞ」
山神が天啓を授けるように宣ってくれた。
「ちょっ、山神さん!」
湊が焦っても、まったく気にしない。鼻先を突き出し、圧をかけてくる。
「ぬしの
「御意」
突然の申し出であろうと間髪いれず返事すると、パクパクと口を開閉していた湊が口を閉ざした。苦言を申したかったようだが、諦めたようだ。存外、神に振り回されているのかもしれない。
さておき、神に望まれたからには全力で応えねばならない。己よりも家族の方が張り切るであろうが、そのためには知っておかなければならないことがある。
というより聞いて帰らねば、家族に責められるのは間違いない。
ありがたいことに山神は気安い。訊いたら簡単に教えてくれるだろう。
「山神様、ちなみに彼は、どのような辛い料理を好むのですか?」
「かれーなる料理ぞ」
得意げに答えてくれた。
満足げな播磨の正面で、赤面した湊が両手で顔を覆った。
◇
いささか長居してしまった播磨は、急ぎ帰途についた。
播磨の乗った車が遠ざかっていくのと入れ替わるように、一羽の鳥が楠木邸へと飛んでいく。
翼を広げた鳥影が、田に突っ立つカカシにかかった。その動きに合わせ、へのへのもへじの書かれた白面も移動する。
カラスのごとき鳥の眼は――赤い。
式神だ。
それに気づくや、
その頭にかぶる麦わら帽子のリボンがたなびく。
シュッと先端から神速で放たれた
「この間くれた美味しい菓子のお返しだ」
その言葉が湊本人に聞こえていなくとも、田神は欠片も気にしない。左右へ首を振りつつ、田の水の調整に戻っていった。
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