22 播磨は見た


お・ま・た・せ☆


――――――――――――



 車窓を真横へ流れていく雨粒を、後部座席に座す播磨はぼんやり眺めた。

 昨夜、方丈町一帯を襲った季節外れの台風が過ぎた今、小雨程度になっている。

 両側に広がる田んぼが面でゆれていることから、風は依然強いようだが、適温を保たれた車内では、それを微塵も感じられない。


 播磨は運転手の後頭部を一瞥し、ふたたび車窓へと視線を移した。

 背丈と色のそろった稲が一面を覆う、のどかな風景が続いている。決して見慣れた景色ではないけれど、懐かしさを感じるうえ、自ずと身体から余計な力が抜けて心も凪いだ。

 それはこの国の民ゆえなのだろうか。

 いずれにしても、楠木邸への途上にお目にかかれるこの景観は好ましい。


 忙しい合間をぬって、わざわざこの地へ足を運ばなければならない事態になっても、その時間が息抜きになっていることは否定できない。

 播磨は前方にそびえる方丈山を流し見、反対側の車窓を見やった。遠方にわずかに見える町並みは泳州町である。

 先日、自ら悪霊を増やすという、前代未聞のあくどい退魔師安庄と死闘を繰り広げた地だ。

 あのあと、安庄は逮捕された。


 が、本当にあれで終わったのだろうかと漠然とした不安があった。

 けれども泳州町は平穏であるとの報告を受けている。問題はないように思われた。


 突如強風のあおりを受けて車体がゆれ、車窓に雨粒と草が貼りついた。

 またひと雨くるのだろうか。

 田を注意深く見ると、倒れた稲が嵩の増した水で溺れそうになっている。

 ただでさえ、被害は出ている。これ以上の雨は農家の方々も勘弁してほしいと思っているだろう。

 無関係の播磨はただ想像するだけで、その面持ちに変化はない。

 しかしあるモノ・・・・を目にするや、眼鏡の奥の双眸を見開いた。


「――あれは……」

「播磨さん、どうかしました?」

「いや、なんでもない。少し眼鏡の調子が悪くてな」


 とっさに言い繕い、眼鏡に触れる。やや眉を寄せ、いま一度見やった。


 田んぼの真ん中で、一体のカカシが回っている。


 く〜るり、く〜るり。地面と平行に伸びた腕を振り、ゆるやかな速度で回り続ける。

 そのカカシが突き立つ田の水は少なく、稲も直立しており、台風なんて来ていませんけど? と言わんばかりに平常通りの状態を保っていた。

 目を凝らすと、そのカカシがいる田から先は同じように稲が立ったままだ。

 播磨はすばやく反対側の車道を見た。

 そちら側の田は、台風が通ったと思しき悲惨な惨状であった。


 かのカカシは神だ。紛れもない。


 田の神であろう。田の被害を防ぎ、そのうえ水の調整もしているようだ。

 その姿を播磨は凝視する。

 あの姿は、常人にも見えるに違いない。現在、昼過ぎである。車も人の往来もさかんとは言いがたいがあるのだ。

 いくらなんでも堂々としすぎだろう。


「なにを考えておられるのか……」

「え? 今日の夕飯のメニューですね。オレの好物なので、楽しみでしょうがないんですよ〜」


 違う、運転手に言ったわけではない。


「――頼むから運転に集中してくれ」

「アイアイサー!」


 若手の運転手は調子よく答え、アクセルを踏んだ。

 加速する中、播磨は通り過ぎるカカシを横目で見た。

 カカシはこちらに注意を払うこともなく、うつむいて下方を見ている。

 田にしか関心がないのだろう。


 己に信仰を向ける者の田にしか。


 播磨はため息をつき、背もたれに寄り掛かった。

 知っている。神の依怙贔屓の激しさを、いやになるほど知っている。

 播磨家の祖たる男神のせいで。

 その時、余計な思考を払ってくれるかのように、車が細道へと曲がった。山の一部のような楠木邸が見えて、播磨の眉間の皺が浅くなった。


 が、いざ表門と相対するや、播磨の顔は盛大に歪み、こめかみに一筋の汗が伝った。

 盛夏の暑さ以上に神気の濃さに圧倒されたからだ。

 まるで山の神が、己の存在を大声で誇示しているようではないか。


「まさかこれほどとは……」


 方丈山のかずら橋が修繕され、多くの人間が入山するようになったのを播磨も知っている。

 それにしても肌がひりつく。呼吸もしづらい。立っているのも耐えがたいほどだ。


 ――拒絶はされてないようだが。


 いちおう湊に訪問を知らせてあるゆえ門前払いを喰らわされることはないだろう。思いつつ播磨は己を戒めた。

 決して気を抜くまいと。

 前回の訪問時、眠気を誘う山神の香気に抗えず、あろうことか三時間も爆睡してしまったからだ。


 ――しっかり睡眠を取ってきたから、今日は大丈夫だ。


 視線を落とし、手土産の紙袋を見た。抜かりはない。ここにくる前に訪れた地で購入してきた物だ。

 これで山の神の気を惹けるに違いない。つつがなく取引できる……はずである。

 気を取り直し、インターホンを押そうと指を伸ばしかけたところ、湊の声が聞こえた。


「あ、播磨さん」


 見れば、横手から湊が現れた。ラフな格好で、汚れた軍手を嵌めている。台風の後始末に追われていたのだろう。


「すまない、忙しい時に来てしまったようだな」

「いえ、ここは大した被害は受けていないので大丈夫ですよ」


 彼が出てきたのは、山側の塀からであった。そちらを一瞥し、湊は軍手を外した。


「敷地外の木がちょっと荒れたぐらいですから」


 含みのある言い方は、敷地内は自然の猛威が振るわないゆえであろう。

 とはいえ播磨は、台風の後始末の経験などない、坊っちゃん育ちである。塀沿いに落ち葉などが入った大量の袋が置かれているのを目にし、つい労いの言葉が出た。


「――大変だな」

「まぁ、そうですね。でも人も毎日たくさんの髪が抜けるから、木もそんなもんでしょう」

「木をそういう風に見なす者、はじめて会ったな」


 声を立てて笑う湊が門戸を開ける。

 途端、いままでと比ではない神気があふれ出し、播磨は口元を引きつらせた。

 が、湊は平然と促す。


「さぁ、どうぞ。入ってください」

「――お邪魔する」


 なけなしの根性で平静を装った。

 門を抜けても、全身にかかる重さはない。気を抜かず、先をいく湊の背中を追って家屋の脇を歩む。

 その途中、屋根から滑空してきた小動物が眼前の肩に張り付いた。


「おっと」


 さして驚きもしない湊は足を止めることもない。

 一方、播磨はギョッと目をむいた。


 モモンガだ。しかも、神だ。


 その気配で石灯籠にこもっていた神だと知れた。

 モモンガはささっと湊の前面へ回り、肩越しにこちらを見据えてくる。ちりちりと痛みをともなうそれは、好意的とは言いがたい。

 されど完全に敵扱いされているわけでもなく、ただ観察されているだけのようだ。

 正直、いい気持ちはしないが、ここは湊の領域である。取り立てて文句をいうつもりはなかった。

 そのうえ、それどころではなかったというのもある。様変わりした庭に足を踏み込んだからだ。つい本音が口をついて出た。


「また改装したのか……」

「ええ、まぁ。山神さんがひさびさに派手にやっちゃいました」


 肩越しに振り返った湊は苦笑している。

 播磨は歩みを止めることなく、庭を見渡す。

 大部分を丸い池が占め、その中央にクスノキが立っている。

 また急激に大きくなったようで、御神木の威厳に満ち満ちている。やはりこの庭にはその姿が相応しく思えた。

 ただ以前とは樹形が異なり、傘のような風情である。その下は板張りの床となっており、そこへ至るための廊下が縁側から延びていた。


 縁側近くの廊下の前で湊は靴を脱いだ。


「播磨さんもここから上がってください」

「――ああ」


 湊はクスノキの方へと歩いていく。

 それに倣って渡り廊下を歩みつつ、なお庭の観察を続ける。途中、池の一点に目が吸い寄せられた。

 あんな山のような岩は以前からあっただろうか。それとも太鼓橋がなくなった代わりなのだろうか。

 疑問に思うその脚が次第に遅くなり、冷たい汗が背中を伝った。

 濃い神気が漂ってくる。

 その源たる山の神が、クスノキのもとに御座すのをまざまざと感じるからだ。


 相変わらず姿は見せてくれないが『ここにおるぞ』と神気で主張してくる。なぜか高級感あふれる座布団はなくなっているけれども。

 それはさておき、一見とても居心地のよさそうな空間だが、そこに踏み込むのはためらわれた。


 ――ちりん。


 力強い風鈴の音に励まされたような気がして、播磨は形容しがたい相を浮かべた。

 見れば、クスノキの下方にガラス風鈴がぶら下がっている。見せつけるように短冊を回すその器物は、付喪神なのだと知っている。去年も見たからだ。

 妖怪であっても害はない。ゆえに退治する気はなかった。

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