21 お隣さんもいろいろ
湊のみが近づくと、裏島たちは笑顔で迎えてくれた。
「楠木君、おはよう」
「はよーございまーす!」
あいさつを返すと、男の方が手を差し出してきた。
「どうもはじめまして! 弟の
握った手を大きく上下に振る彼は、明るく物怖じしない性格のようだ。付き合いやすそうで、湊は胸をなでおろした。
「はじめまして。里帰りですか?」
「そんな丁寧に話さなくていいよ、俺ら同い年だろ?」
「そうらしいね。じゃあ、そうするよ」
「うん、そーして。で、俺は里帰りっていうか、出戻り?」
「え?」
「会社辞めて帰ってきちゃったの、この根性なし君」
「姉ちゃん、ひっで」
岳はケラケラ笑い、千早は仕方なさそうに肩をすくめる。
「子どもの頃から田舎はイヤだ、都会がいいって言ってて、高校を出てすぐ上京したんだけど、十年も経たないうちに地元が恋しくなったんだって。だから根性なしって言われても仕方ないよね?」
「離れたからこそ、ここのありがたみがわかったんだよなぁ」
岳はポケットに手を突っ込んで笑い、まったく悪びれた様子はない。とはいえ、こういうタイプは湊の地元にも少なからずいた。
「実際離れてみないとわからないことって多いよね。だから、いいんじゃないかな。ずっと出ていきたいって思いながら地元でくすぶってるよりもね」
「――うーん、それもそうかなぁ……。出ていく行動すら起こせないのに、地元の悪口を言いながら残ってる人、結構いるものね……」
千早は、やけに実感のこもった言い方をした。
「それに出戻りの人たちって、ものすごく地元愛が強くなったりするしね」
「まーね」
岳は我が意を得たりと言わんばかりにニヤけ、湊の顔をのぞき込む。
「楠木はどう? 地元に帰りたいと思わねーの?」
「――最初は思うこともあったけど、最近ではほとんどないかな」
「マジか。なんかうれしいわ、こんな辺鄙なとこ気に入ってくれて」
「そういう風にとるのか……。ポジティブだね」
「だってそうじゃなきゃ、自分ちのもんでもない山の整備なんてしないだろ」
「――まぁ、確かに」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。
しかしながら岳が言うことはあながち外れてもいないだろう。湊はもう何年も前からここに住んでいるような気になることもままある。
「あ、 そうだ」と突然千早が言い出した。
「楠木君、伝えたいことがあったの。実はここで、ちょっと困ったことが起こってるみたいでね……」
切り出した割に口ごもってしまったため、岳が引き継ぐ。
「山にゴミを捨てたり、場を荒らしたりしたやつが妖怪にお仕置きされてるらしいんだよな」
「――伝聞系なんだね」
「そういう噂を聞いたんだよ。少し前かららしいけど、よそから来た人たちだけがされてるみたいで、俺たち地元民は気づくのが遅れたんだ」
湊はそわつきそうになる視線をなるべく固定し、何食わぬ風を装いながら尋ねる。
「――そう……。ちなみにお仕置きの内容は?」
横髪を耳にかけつつ、千早は虚空を見た。
「放ったゴミを投げつけられたりとか、転ばされたりとか、大きな音で脅かされたりとか、あと追いかけられたりとか。いまのところ噂にすぎないんだけど……。ただ、私たちも登山口付近で見ちゃったのよね。妖怪じゃないんだけど、妖怪にそうされたのかもしれない、あの、その……」
視線を彷徨わせ、組み合わせた指を開いたり、閉じたりとまごつく。ひどく言いづらいらしく、見かねた岳が教えてくれた。
「盛大にしょんべん漏らしたおっさんが、喚き散らしてるのをな。危うく妖怪に連れ去られそうになったらしい。戦って撃退したって言ってたのは、噓くさかったけど」
「それは私も思った」
なー、ねーと顔を見合わせる姉弟を前に、湊は迷った。二人にこの山の特異性を告げるべきかと。
おそらく仕置きの噂は事実だろう。
ここの妖怪たちは我が強い。己たちの住まいを好き勝手にされたら黙ってはいまい。
かといって、裏島家の者に注意喚起をすべきなのか。
もしそれをするなら、己のことを話さなければならない。妖怪が視えるばかりか、会話もできるのだと。
だがそのことを長年、他者に隠し続けた湊の口は重い。
裏島家の者たちとはまだそこまで親しいわけでもなく、弟に至っては初対面だ。
逡巡した末、ひとまず現状を確かめるのを優先することにした。裏島家への通達はそれから考えればいいだろう。
「――そうなんだ」
「そーなんだよ」
軽い調子で同意した岳は一転、奇妙に静かな目を向けてきた。
「たとえここに妖怪がいたとしても、ただの人間でしかない俺らには対抗する術はないからな。とりあえずこっちが悪さしなきゃ害はねーみたいだけど、いちおう楠木も気をつけた方がいい」
「――わかった。気をつけるよ」
それから仲よく三人で祠掃除をしたのち、裏島姉弟は下山していった。
それを見送った湊は、山の奥へと分け入った。
厚い林冠が覆うあたりは昼でも薄暗い。落ち葉を踏む自らの足音のみがあたりに反響する。
ウツギはそばにいないが、とりわけ不安は感じていなかった。
湊は基本的に、山で一人になることはない。
山神一家や風の精、ご機嫌伺いの野生動物など、いずれかのモノが近くにいる。
いまは妖怪である。
歩きながら湊は視線を動かす。
妖気を感じる枝上、木立の陰、岩の陰へ。妖怪が潜む場所を正確に捉えていた。
ひときわ強い妖気がした方向へ向き直ろうとした時、バサリと大きな羽音とともに妖怪が舞い降りた。
はじめて目にする異形の姿に、さしもの湊も半歩下がった。
目線の高さはさして変わらない人型だが、頭部は鳥で、その背に身の丈にあった大きな翼がある。
山伏の装束をまとい、片手には錫杖。足の鉤爪を大地に食い込ませた――烏天狗であった。
こちらをひたと見つめてくるその眼は、友好的とは言いがたい。
それに比べて、古狸はなんと親しみやすい妖怪であったかと痛感しつつ、まずはあいさつを口にした。
「どうも、はじめまして」
こちらに敵対する気はないという意思表示である。
ふんと一笑に付され、冷たい声色で問われた。
「ここになにをしに来た」
「山に来た人たちが噂している内容が、本当かどうか訊いてみたいと思って……」
「人間がゴミを投げつけられたり、転ばされたり、大きな音で脅かされたり、追いかけられたりしたかをか?」
裏島千早が言っていた内容と寸分違わなかった。しかも順番通りだ。
「やっぱり俺たちの会話を聞いてたんだね」
「いやでも聞こえるからな。お前たち人間より、はるかに優れた聴力を持っているもんでな」
「どうして人にそんなことをしたのか、訊いてもいい?」
ドンと激しく地面に突き立てられた錫杖が鳴る。
「ゴミはもとからそいつの持ち物だったから投げ返しただけだ。転ばせたのは野生動物を追いかけ回したからだな。大きな音で脅かしたのは、意味もなく木を傷つけようとしたから、追いかけ回したのは野生動物に石を投げたからだ」
聞けば聞くほど、人間側に非があるとしか思えず、湊は悲痛な表情で押し黙った。
それを気にすることもなく、烏天狗は強い口調で続けた。
「ここは我らの棲家だ。お前ら人間だって、突然やって来た見ず知らずのモノが己の家を荒らすのを黙って見てはいまい」
「そうだね。特に人間はね」
「ああ、そうだ。徹底的に排除するだろう。己に敵対するモノであったなら、その命を奪うこともためらうこともないはずだ」
烏天狗は居丈高に顎を上げる。
「残虐非道なお前らと違って、おれらはせいぜい脅かす程度だ。かわいいもんだろう。たったそれしきのことで、なにか文句でもあるのか?」
「――いや、やりすぎないなら構わないと思うよ」
湊は妖怪に囲まれて生きてきた人間である。
この世は人間だけのものではないことを、身をもって知っている。
人間以外を排除するのは間違っているうえ、してはならないと思っている。
そもそも人間だけが優遇されるのはおかしなことだ。人ならざるモノや野生動物も、好きに生きる権利はあるだろう。
「俺としては、仲よく共存できたらいいと思ってるよ」
「――それはお前ら人間次第だな」
翼を広げた烏天狗が地を蹴った。飛び立つ風圧で落ち葉が舞い散り、湊は腕で目元を庇う。
林冠の間を飛ぶ烏天狗は、見上げている湊を一度だけ見やって去っていった。
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