14 加護は希少なもの
洋菓子屋の娘は知っていた。
町の名物男たる湊が、越後屋ならびに和菓子屋へ通い詰めていることを。
洋菓子屋にはあまり立ち寄らないことも。
ゆえに、この商品を思いついたのであった。
ふたたびドアからのぞき見た娘が、大きく目を見開く。
そして、そばに立てかけていた看板をひっつかみ、ドアが吹っ飛ぶ勢いで通りに躍り出た。
反動で閉じゆくドアの向こう、父が頭を抱えているがお構いなしであった。
「うわ!」
突如、看板を持つ人物に行く手を阻まれ、湊は驚きの声をあげた。
上半身が隠れていても、スカートからスラリと伸びた脚で若い女性なのだと見て取れた。
「う、うちのしんしゃく、い、いかがでございまひょうか……!」
カミカミで売り込んできた。
看板を握りしめるその手、脚もかわいそうなくらい震えている。新人のバイト生なのだろうか。いたく同情心がわいた。
ともあれ、押し出してくる看板を見やる。
〝抹茶レアチーズケーキ、はじめました〟
さる夏の麺類の売り文句かな、と思うも興味を引かれた。
「山神さんが気に入りそうだ」
山神は近頃、和菓子と洋菓子のいいとこ取りの菓子も食すようになってきている。きっとこちらの新作も、お気に召すに違いない。
湊のこういった勘は外れない。
しかしいまは鳳凰の用事が先であり、なおかつ夏場に生菓子片手に徘徊するのもいただけない。
販売員の脇を通りつつ話しかける。
「帰りに寄らせてもらいますね」
「あ、は、はいッ! なにとぞ、なにとぞお頼み申すッ!」
時代錯誤な話し方に思わず笑ってしまったが、販売員は赤面しながらも、満面の笑みを見せてくれた。
二軒分ほど離れると、店から出てきたコックコートの中年男性が、販売員に何事か告げている。
その光景を鳳凰がかえりみた。
『また憑かれているな……』
うっすら己の気をまとうその身が、濃い瘴気に包まれている。それを麒麟も同じように眺めた。
『そうおっしゃるのであれば、あの男は憑かれやすい体質なのでしょうね。それはそうと鳳凰殿、あの男にも加護を与えたのですか』
『――古傷が悪化して菓子を作れなくなってしまうのには惜しい人材だったからな』
『まったくもう。そうやってホイホイ加護をばらまくから、いまだその身は小さいままなんですよ』
霊獣たちは、湊には聴こえない声で会話をしている。
前へ向き直った鳳凰が胸を張った。
『構わん、いましばらくこの姿のままであろうと。――麒麟、一つ言っておくが、余は職人なら誰にでも加護を与えるわけではないぞ』
『いちおう人となりは見極めているのでしょうが――』
「お、イベント会場があった。あそこみたいだよ」
湊が目的場所を見つけたことで、会話は中断された。
よりすぐりの職人が集う会場は閑散としていた。
おかげでゆっくりと鑑賞できた。途中、鳳凰が身を乗り出したのは、日本刺繍の職人のブースであった。
背の曲がった痩せた翁が、巨大な絹の生地に貼りつくような姿勢で針を刺している。
それをじっくり見ることが叶うのは、こういうイベントならではであろう。
その恩恵にあずかれるもっともよき位置、真正面に湊は立っている。
「動きが速い、でも正確。精密な機械みたいだね」
『うむ、熟練の技は実に見応えがあるな』
うんうんと頷く似た者同士の一方、麒麟はまったく興味を示さない。
『そうでしょうか。ずっと同じような作業を繰り返しているだけでしょう。そんなに長時間眺めていてよく飽きませんね』
特等席から一歩も動かなくなった湊と違い、麒麟は他のブースと行ったり来たりしていた。
湊は苦笑いするしかない。あまりここで声は出さないほうがいいだろう。霊獣が視えない他者から白い目で見られかねない。
しかし鳳凰はお構いなしである。視線をやることもなく麒麟に告げる。
『たまにはじっくり見るがいい。次第に心が凪いでくるから、落ちつきのないそなたも少しは慎ましくなるだろう』
『なにをおっしゃいますか! わたくしめは至って物静かな大人です!』
うきー! と歯ぎしりし、前足を上げて竿立ちになりつつ湊の背後を駆け回る。
しばし憤っていた麒麟であるが、湊にも呆れられ、しぶしぶといった様子でともに職人芸を眺めた。
『金色をふんだんに用いるところは、大変よいと思います』
「お、好反応だね」
『いくらわたくしめでも、よき物はよいと言いますよ。糸だけでなく、生地も絹なのも高得点ですね。眼にも鮮やかです』
「麒麟さん、意外に派手好きだった……?」
『麒麟は派手な物をいっとう好むぞ』
『鳳凰殿もさほど変わらないかと』
「その身なら納得かな」
霊獣たちは己が身を誇示するように、その満身から真珠色の粒子を放出した。
「――ん? なんだ? 目がおかしいな」
職人が老眼鏡の奥の目をしょぼつかせ、霊獣たちは即座に粒子を出すのをやめた。
けれども職人は眼鏡を外して、目の間をつまんでいる。
「――どうにも、見えづらい。調子が悪いな……」
『わたくしめたちのせいではありませんよ。歳のせいでしょう』
麒麟がすげなく言い放った。
「たぶんそうだろうね……」
湊もそこは疑っていない。職人は高齢だ。もとより細かい針仕事は辛かろう。
他の若手の職人に比べても、その動きは数段劣る。
しかしながら、その仕上がりは文句のつけようもなく、素人目に見ても翁がもっとも優れた職人であるとわかった。
それゆえであろう、鳳凰が注目するのは彼のみである。
鳳凰は、シビアだ。一定レベル以上の腕を持つ者にしか関心を持たない。
背伸びした鳳凰が眼を細める。
『目の不調ごときでこの技術が失われるなぞ、あってはならん。もったいないことこの上ない。なれば余が加護を与えてやろう――』
『鳳凰殿、なりません!』
ガツンと麒麟が蹄を打ち鳴らした。心の芯に響くような強さに、湊が瞬く。
それに気づいた麒麟は、バツの悪そうな顔になった。しかし思い直したように顎を上げる。
『湊殿、鳳凰殿がまたも、人間に加護を与えようとしておられるのです』
湊はブースからやや離れ、追ってきた麒麟に訊いた。
「――それは、よくないことなの?」
『与えるごとに鳳凰殿の快復が遅れます』
眉根を寄せた湊は、鳳凰を見やる。
「自分の身を削ってるってことだよね」
『――大したことではない』
ついっとひよこは眼を逸らした。
「でも、麒麟さんが怒るってことはよくないことなのでは?」
『麒麟は人間が嫌いだからな。もとより加護を出し惜しむ傾向がある』
『そこは否定できませんけど、いまだ鳳凰殿は完全に力を取り戻せていない状態なんですよ。だから止めるんです』
「鳥さんが元の姿に戻れば、完全に力を取り戻せたという認識でいい?」
『そう思っていただいて差し支えありません』
湊は鳳凰をとくと見つめた。
その身は以前に比べてひと回り以上大きくなっており、翼の下方は産毛ではなく、羽になっている部分もある。
「もうここまで育ってたんだね。そろそろひよこと呼べなくなりそうだ」
『そうだろう。そう遠くないうちに元の大きさに戻るのは明らかだ。おかげで体がかゆくてかなわん』
羽づくろいをしたそのくちばしに、産毛が挟まっている。
そのままパクっと一飲みしてしまい、湊はぎょっとした。
「――抜け毛は自分で食べるのか。だから火袋の中はいつも綺麗なんだね」
『うむ、これぐらいは自分で始末せねばな』
『では貴殿方、そろそろ次へ参りましょうか』
しれっと麒麟が促すも、鳳凰は諦めていなかった。
『いや、まだいかん。あの翁の目はそのうち見えなくなる。針仕事なぞ到底不可能になるのを見過ごせん』
「そこまでわかるんだね……」
湊が戦慄するなか、鳳凰は麒麟を見やる。
『余は、あの者がいま手掛ける刺繍が仕上がったところを見たい』
うるうるとしたおめめで見られ、怯んだ麒麟は一歩下がった。
鳳凰の意図を察した湊にまで見つめられ、もう一歩後退した麒麟が四肢を踏ん張る。
『わ、わかりましたよ。わたくしめにお任せくださいッ』
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