11 山神さんちにお邪魔します


 初夏の山中は緑鮮やかだ。


 梢の合間から陽光が差し込み、なだらかに流れる渓流が虹色に煌めく。耳に心地よいせせらぎの音。湿った土と木の独特ながらも心落ち着く芳香に満ちている。


 湊が肺いっぱいに山の新鮮な空気を吸い込んだ。

 山は馴染みの場所でもある。


 視線を落とすと、光る水面に苔むした飛び石が等間隔に浮かんでいる。

 キャップのつばをつかんで被り直し、慎重に足を乗せる。石周辺で体をゆらめかせていた魚たちが、流れに逆らって泳いでいった。


「足元に気をつけるのですよ」

「あいよ」


 忠告してくれたのは、先に渡った対岸に後ろ足で立つ眷属のテン――しっかり者の最年長セリである。


 後ろから、面倒見がいい年長トリカが石を跳んでついてくる。


「この川を渡れば、もうすぐだ」

「わかった」


 そしてもう一匹。湊の背負うバックパックの上、器用に後ろ向きに乗った天衣無縫の末っ子ウツギ。

 呑気にフィナンシェを食べている。


「うんまい~」

「しっかり噛んで食べなよ。喉に詰まらせないように」


 うっかり詰まらせ、のたうち回った山神のようにはなってほしくない。

 セリが苛立たしげに腕を組んだ。


「自分の分をいつ食べようと勝手ですけど、そこで食べるのは、どういう了見ですか」

「ウツギ、下りて歩け。湊に負担がかかる」

「大した重さじゃないから、大丈夫だよ」


 年長二匹にたしなめられる末っ子を湊が庇う。


「もお、甘やかして」


 セリが仕方なさそうに息をつく。

 その横へ「よっと」最後の石を踏み越えた湊が降り立った。



 湊とテン三匹は、山の中腹にある祠へと向かっている最中である。

 そこは昔は絶えず人々が足を運んでいたらしいが、今は完全に放置されているという。

 それを聞いてしまえば、いかずにおれぬ、と奮起した湊の案内を買って出てくれたのが眷属たちだった。


 早朝から迎えにきてくれた彼らと道なき道を進む。

 やはり、彼らは獣だ。

 人が通らないであろう鬱蒼と生い茂る草薮や、落ちたら怪我だけではすまないであろう際どい崖っぷちを選択してくれる。


 山の形状的に気軽にハイキングとはいかないだろうと覚悟していたが、よもやここまでとは。

 実家から登山靴を送ってもらった自らに称賛を送りたい。


 スニーカーと登山靴では足の疲れ具合が大幅に違うものだ。

 底が固く、がっちりと足首を固定してくれる頼もしい相棒を帰り着いた際には、心を込めて磨かねばなるまい。


 そう思い、行く手を阻む枝葉を掻き分け、強引に身体を捩じ込む。年季が入り傷が目立つ登山靴が、固い土面を蹴りつけた。




 やがて、緑のトンネルの向こうに歩きやすそうな平坦な道が見えた。

 おそらく昔の人たちが使っていた山道だろう。

 ほっとしながら先をいくセリを追って雑木林を抜けた。


 その道は幅が狭い上、急勾配となっていて、さらには巨石が散らばっていた。


 湊の顔が引きつる。見上げると片側は木々に覆われた断崖絶壁で所々抉れており、色味から随分前に落石したのだろうことが窺える。


 ここのところ、晴れの日が続いているから追撃はない、はず。


 今さら弱音など吐けるわけもない。

 身体を斜めに、横にしながら巨岩を回避して登っていく。


「邪魔だよねえ」

「う……ん」


 ウツギがバックパックの上に立ち上がり、伸び上がって頭上からのんびり声をかけてきた。呑気なものである。

 それなりの時間、喘鳴を響かせ、登っていく。

 祠はまだか、と若干よろけつつ岩石を大股で跨いで乗り越えると、急にひらけた箇所に出た。


「こっちですよ」


 声のほうへ視線をやれば、山道沿いに佇む小さな祠があった。

 両側にセリとトリカが立ち、片手で祠をペチペチと叩いて示している。バックパックからウツギが飛び下り、二匹のもとへと走っていった。


 その前の二段の石段を上がり、近づく。

 湊の胸あたりの高さほどしかない石造りの祠だ。

 すっかり苔むしている。

 加えて倒木が被さり、周囲は雑草が伸び放題になっていた。


 山の一部に取り込まれ、辛うじて祠と判別できる具合になってしまっているのは、人の手が入らなければ当然の結果だろう。


 肩を下げ深い息を吐いたのは、疲れからだけではなかった。

 しかしながら、切ないと感傷的になるのは、人間のみのようで。


「別にこれを綺麗にしなくても山神は気にしませんよ」

「だな。じかに山神を敬ってくれてるから、意味ないぞ」

「お菓子こんなとこに置くの? どうせ我らが食うから、直接ちょーだい」


 見上げて揃えた前足を出してくるウツギに乾いた笑いが出る。

 想像以上に朽ち果てた姿に、流れた年月を突きつけられた気分だ。

 数年、数十年どころではなく、おそらくもっと永い時間放置されているだろう。


 倒木を避けて中を覗くと、拳大の丸い石が三つ。

 一つは真っ二つに割れている。

 勝手に人間が設置し、勝手に御神体として崇め奉っていたモノだ。

 これ自体が御神体であるはずもない。


 だがそれが偶像崇拝であろうとも、人々がこれに山神への信仰心を向けていたのは、紛れもない事実だ。


 ここにわかりやすく信仰を向けられるモノがあるからこそ、ほんのわずかな時間でも立ち止まり、手を合わせ、目を閉じて祈りを捧げた者も多かっただろう。


 人からの信仰心が山神の力の源なら、山神が今日こんにちまで存在できたのは、これがあったおかげともいえよう。


 そんなありがたいモノが今や、ただの苔むした石くれにすぎない。

 己が御神体として崇めていたモノが歳月を経てこんな有り様になっているのを知れば、先人たちはどんな気持ちを抱くものか。


 綺麗にしてあげたいと思うのは、ただの自己満足でしかない。

 だがそれでいい、湊も人間なのだから。


 湊は浅く息をついた。


「掃除が終わったら、みんなで飯と菓子食おうな」


 はーい、と揃った現金なよい子のお返事を背中に受けながら、肩からバックパックを下ろした。




 一通り磨き上げた祠は、見違えるように綺麗になった。

 その後、お楽しみの昼飯とおやつも終えた一行は、山をくだる。


 行きと同じ獣道をテンに前後を挟まれ、たどっていく。腕を広げて幹から幹へと伝い、斜面を下りる背にあるバックパックは軽い。

 一休みしたおかげもあり軽快に歩を進めていた。


 傍らを滑るように歩くウツギが無邪気に尋ねてくる。


「風、操れるようになった? ビューッ、くるくる~って、風神みたいに!」

「少しだけ。髪乾かすのに便利だよ」

「ええ~、髪の毛ェ~?」

「冬場は寒くて無理だろうけど」


 やや伸びてきた前髪を引っ張りつつ、湊は朗らかに告げる。

 テンたちが呆れて、もったいないと口々に喚いた。


 比較的、斜面がなだらかになり、足で草むらを掻き分け、キャップを被り直す。


「ほかに使い所がないしね」

「葉っぱ集めは?」

「繊細な操作は、かなり難しいんだ。俺には難易度が高すぎる」


 集めた落ち葉を派手に散らかして以来、もっぱらドライヤー代わりに遣っていた。

 せっかくいただいた異能だが、いまいち遣いこなせておらず、毎日地味に強弱の付け方だけを訓練していた。


 そんな他愛ない会話を交わし、渓流に差し掛かった時、頭上から鋭い鳥の鳴き声がした。

 枝葉をゆらし、小型の鳥たちが飛び立っていく。


 まるで、警告音。

 そう感じた直後、渓流沿いで立ち止まった湊の周りにいた三匹の目つきが変わる。

 その眼差しは鋭く、極めて獰猛。全身から怒気の気配を放つ。

 いつもの陽気な彼らから一変した。


 あまりの変貌ぶりに湊が驚く中、一斉に上流へと向かって駆け出していく。転がる石の合間を跳び越えて駆け抜け、大きく曲線を描き巨大岩の向こう側へ。

 あっという間に視界から消えていった。

 慌てて湊もあとを追う。

 

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