10 あなたに幸運を
いつも通り縁側での夕食会。山神と湊が差し向かいで座卓についていた。
その傍ら、霊亀が深皿を傾け、日本酒の泉に顔を突っ込んでいる。
楽しげな湊が、今日の幸運を報告していた。
「――で、今日、かなり運がよかったみたい。とりあえず日本酒一本だけ持ち帰ってきたんだ。な、亀さん旨い?」
ずいっと湊へ向けて前頭部で空皿を押し出してくる。
一雫すら残っておらず、聞くまでもなくご満足いただけたようで。
「残りは明日届くから、楽しみにしてて」
笑いながら豪快に注ぐ、山神のボウルにも同様に。
「よかったではないか」
「うん。山神さんの和菓子も、たまたま物産展がやってたから買ってきた。俺の地元の有名銘菓なんだけど」
「うむ。白餡もよいものよな。しっとりとした食感、大層美味である」
「よかった。眷属たちにも買ってきたから、持っていってよ」
眷属たちは時折訪れる程度で、今日もきていない。洋菓子好きの彼らの分も、もちろん買ってきていた。
「お主の――」
「あ」
山神が何か言いかけたと同時、卓に置いていたスマートフォンが着信を告げる。
視線で促され、見ればディスプレイに『実家』の文字。目礼し、スマホを耳へと当てる。
「はい、あ、母さん。うん、元気元気。そっちは――」
しばし互いの近況報告が続く。家族に変わりがないようで一安心だった。心配性である母の質問攻めに、やや辟易しつつ応えを返し続けた。
「――うん。大丈夫大丈夫、ちゃんとしてるよ。だから腹は出して寝てないって、子供じゃないっての。それに雷さまきたから聞いてみたけど、『やっだ、ヘソなんか取るわけないじゃない』って言ってたし、あ、や、何でもない気にしないで。で、用件は? ……えっ!?……あ、はい。お願いします」
通話を切ったスマホを持つ腕が段々下がっていき、胡座をかいた片膝に置かれた。
茫然自失といった具合で、暗くなった画面を眺めている。
尻尾をゆらめかせた山神が「どうした」と首を傾げた。
「……俺がここにくる前、応募した懸賞はがきが百万円当たったらしくて、口座に振り込んでおくからって」
「ほう」
「ええ、こんな連続で幸運が続くって、あり得なくないか? いや、起こってるけど」
「よいではないか。日頃の行いの賜物であろうよ」
「そうか……?」
別に何も大したことしてないような、と顎に手をやり、首を捻って不可解そうに小声で呟く。
とはいえ、これで当分のあいだ、神々に満足してもらえる品々を買えそうである。
スマホを卓上に置いてグラスを手に取った。
「でも仕事は探すよ」
「左様か」
呑んだくれている霊亀をどこか愉快げに見ながら、山神がちろりと酒を舐めた。
◇
そんな会話をした翌日、再び陰陽師の播磨が菓子折り持参で訪れる。
湊に仕事――護符作成を依頼するためだった。
「よろしくお願いします」
播磨が座卓を挟み、深々と頭を下げた。
前回と違い、皺一つないブランド物であろう黒スーツをまとい、血色も良く、髪も綺麗に整えられている。
草臥れたところなどどこにもなく、さも仕事できますといった風情である。
体型に沿うスーツを隙なく着こなし、眼鏡をかけた人には、湊はおおむねそんな感想を抱く。
仕事に精を出すのは結構だが、健康を損なうまで闇雲に働く様には、いささか思うところがあった。
さておき、願ってもないチャンス到来である。
己の特技らしき能力が活かせるこの仕事、是非とも引き受けねばなるまい。
「お仕事、お受けします」
言いながら、両手で差し出された菓子箱を笑顔で受け取った。
その箱の移動に合わせて卓の一角を陣取る山神の強烈な視線も、ともに移動する。
剥がれない、決して剥がれないあっつい視線。箱に穴が空きそうだ。
品のある桜色の包装紙から中身を推測せずとも、山神の反応からして高級和菓子なのは明白。
案の定、顔を上げた播磨から「和菓子好きだろう」と皆までいうなとばかりに、確信を持って告げられた。
湊は、胡散臭さに定評の愛想笑いを浮かべるしかなかった。
前回メモに書いたのはすべて和菓子名だったことからか、よほど和菓子好きだと思われているらしい。
山神が、なんだが。
大いなる誤解だ。けれども、涎の垂れかった山神をちらりと見やり「ええ、まあ」と澄まして答えた。
実は湊、辛い物好きである。
甘い物は大して好きでもない。
されど山神のためなら、次回からも手土産に多大な期待ができる取引相手に、多少の嘘をつくくらい許されるだろう。
デカデカと和菓子名が書かれたメモ紙を受け取った播磨は、すぐに帰っていった。
浮かれた山神に急かされ、早速、頂いた菓子箱を開ける。
途端、ふわりと桜の香りが鼻先を掠めた。
ずらりと並ぶ二枚の桜葉に包まれた艶めく道明寺生地の桜餅であった。
それを前にした山神の涎、滝のごとし。
前足前に滝壺が生成される始末。できる限りの精一杯の速度で小皿へ並べて「お待たせしました」と卓上に置いた。
一つずつ、一つずつ。ゆっくりと。
丁寧に丁寧に口へと含み、幾度も、幾度も、噛みしめる。恍惚の表情で、うっとりと呟く。
「鼻に抜ける、この、さ、桜の香りが、た、たまらぬ。粒もほどよくやわらかく、塩気もよき塩梅。ぬぅ、やりおるわ。なんと云うても、この舌の上で蕩ける、まったり、こし……ぁ、……」
彼方へと旅立っていくのを横目に、バリバリと小気味いい音を立て、煎餅を噛み砕く湊が握る袋に書かれた文字は『徳用大袋、激辛せんべい』。
「うめえ」
安上がりな男である。言葉に偽りなく満足げだ。
「あっつ。身体熱くなってきた」と薄手の上着を脱ぎTシャツ一枚になる湊を、山神が複雑そうな顔で見やる。
「人の好みは千差万別。お主がよいのなら、もうなにも云うまいて」
「俺、甘い物はそこまで好きじゃないから。気にしなくていいよ」
桜餅を頑なにいらないと固辞したのを気にしているようだ。
実際、そこまでお菓子にこだわりもなく、気にしなくていいと毎回不毛なやり取りをしていた。
「ともかく、仕事見つかって安心したよ」
向こうからやってきたのだが。
嬉しげに、ジンジャーエールを呷る。山神が今度は隠さず呆れたため息をつく。
「少しは己がために使えばよかろう」
「特にほしい物ないし、別にいいよ」
「無欲がすぎよう」
「そんなことないよ。あ、そう言えば、ほしいやつがあった」
「ほう」
「明日買いにいってくるよ」
さて、何を求めるのやら。
山神は最後の桜餅を舌の上で名残惜しげに長く転がし、霊亀は酒のつまみの浅皿に盛られた塩を舐めた。
翌日、庭にて湊の感嘆の声があがる。
「さすが新品、ここまで違うとは」
新調した竹箒の使い心地のよさを心から喜ぶ着古したジャージとサンダル姿の若者を、高価なお供え物を前にした神々は微妙な気持ちで眺めるのだった。
◇
夜も更けたダイニングで湊が入念に準備をしていた。
明日、久方ぶりに活躍してもらうこととなったバックパックに最後の荷物、軍手を入れた。
「よし、とりあえずこんなもんかな」
ファスナーを閉め、ダイニングの椅子の上に置いた。その脚もとに置いた段ボールから、ビニール袋を取り出して開ける。
それは、登山靴。実家から送ってもらった物だ。
目の前に掲げ、回して状態をくまなく確かめた。
「ちょっと年季入ってるけど、まだまだ十分いけるだろ」
片方の踵に大きな傷が入っているものの、へたれてはおらず底も減っていない。数年前、吟味に吟味を重ねて購入した、お気に入りの登山靴である。
ほどけていた靴紐を軽く結び直した。
「明日よろしく」
明日、早朝から山神さんちにお邪魔予定である。
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