24 一助になれば幸いです
同じ頃、敷地外でも葛木が顔色を蒼白にしていた。
自らも式神もずぶ濡れだ。それでも式神は、悪霊を喰らおうとしている。
いくら食いしん坊の式神とはいえ悪霊を喰らい続けることは不可能だ。喰らう速度が落ちており、限界も近い。できればやめさせたい。
けれども悪天候の今、呪符は使い物にならないため、式神に頼らざるを得なかった。
「やっと祓ったっつーのに、また大量の悪霊を放つとか、なんの冗談だよ……っ」
夜かと見紛うほどに暗くなる中、クジラとペンギンを抱えつつ、街路樹まで後退した。
最初に敷地内からあふれ出た悪霊は、一条の活躍もあってほぼ祓われていた。あと少しで祓い終えそうになった頃だ、悪霊が飛び出してきたのは。しかも数が増していた。いまなお果敢に祓っている一条の後ろで、堀川は木にもたれている。青ざめて震えているのは、霊力が残りわずかとなった証だ。
葛木がその姿を見やった時、横手から獣型の悪霊が襲いかかってきた。その横っ腹に反対方向から泳いできたサメが喰らいつく。
だが、呑み込んで祓うことは叶わなかった。
悪霊の首が長く伸び、サメの頭部に牙を突き立てた。
「一号!」
葛木の叫びと突風が吹いたのは同時であった。
サメを咥え込み、首を横へと振りかけた悪霊が一瞬にして蒸発するように姿を消した。
なぜ祓われた。いったい誰が、どうやって。
そう疑問に思うも葛木はサメを抱え込み、裂けてしまった表皮をつかんだ。
「よ、よかった」
ひとまずこれで綿の流出は防げるだろう。サメも己が命の危機を理解しており、微動だにせず眼だけをキョロキョロ動かしている。
安堵の息を吐いた葛木は、キンと甲高い音を耳にした。
振り仰いだその目は見た。
降りしきる雨など物ともせず、いくつもの紙片がこちらへ一直線に向かってくるのを。
「あれは、播磨家専属の符術師のモノか……!」
播磨一族が幾度も近くで使用するおかげで知っていた。その符から高く澄んだ神の音色が聞こえることを。
「はは、すげぇ」
その祓う効果の絶大さには、笑うしかなかった。
まだ辛うじて紙片だと認識できる距離にもかかわらず、敷地外の悪霊および瘴気もすべてなぎ祓われてしまった。
複数の護符は、まさに突撃する体で木戸門から敷地内へと侵入していった。
「なんで和紙が濡れもせず、折れも曲がりもせず、整列して門から入っていくんだよって、ツッコむべきか? それとも行儀がいいなと褒めるべきか?」
『小鉄兄ちゃん、細かいことは気にすんなって』
と式神三体から言われた葛木は強風にあおられ、目をつぶった。
実のところ、風の精たちによって運ばれた湊の護符は、その数と効力も大半を失っていた。
方丈町北部の楠木邸で湊に護符を託され、南部を経て泳州町に至る間にも悪霊と瘴気を祓い続けてきたせいである。
せっせと風の精たちによって運ばれ、効果を失うと一体、また一体と離脱していき、いまや五体――五枚となっている。
それらが敷地内に侵入し、四つん這いになった播磨の頭上を過ぎた時、また一体の風の精が脱落。そびえる巨人の悪霊の右腕をかすめて祓った一体も離れ、左脚を消滅させた一体も空へと戻っていった。
一本足になった悪霊が膝をつき、片手を地面につけようとしたところに護符が叩きつけられ、腕もろとも四散した。
が、悪霊はしぶとい。
蛇めいたその身をうごめかせて地面を這い、播磨を呑み込まんと大口を開けた。その喉へと最後になった護符が風の精によって射出。黒い後頭部を突き抜け、立ち上がりかけていた安庄の頬をかすって、壁に刺さった。
血の流れる頬を抑える安庄が悲鳴をあげ、悪霊は木っ端微塵に吹き飛んだ。
風が吹き荒れ、播磨は腕で顔面を庇う。風の勢いが弱まるや、その目を開けた。
いつの間にか雨はやんでいた。
水浸しの地面に、無数の元紙片であった物が散らばっている。
その中に、形を保ったままの和紙が数枚ある。いずれも見覚えがあった。己が湊に渡した物だ。
もちろんそれを見るまでもなく、今し方の悪霊は湊の護符によって祓われたのは理解していた。
紙片から発せられていた、かの翡翠の色を見紛うはずもない。
「――不自然な風に、あの護符の軌道。おそらく風の精霊が運んできてくれたんだろう……」
そうとしか考えられなかった。湊が風の精と戯れるのを目撃していたからこそ、気づけた。
湊が彼らに護符を運ぶよう頼んでくれたのかもしれない。
播磨はよろめきつつ立ち上がり、空を仰いだ。
厚い雨雲は楠木邸のある方角を避けるように移動しており、そちらは晴れている。
緑鮮やかな御山へと向かい、播磨は黙祷をするように両目を閉ざした。
○
「お〜、終わった終わった〜」
広大な瓦屋根の上に座した若者が快活な声をあげ、手を打ち鳴らした。
高らかな音が響くそこは、泳州町の外れ――小高い山の中腹に建つ寺院である。
ひときわ大きな本堂の上にあぐらをかく若者――鞍馬は、陰陽師たちの悪霊退治を遠巻きに眺めていた。
彼は特殊な目を持つため、湊の祓いの力の色が視えていた。
おかげで方丈町北部から飛んできた翡翠色の光の集合体が黒い霧を払い、もとい祓っていく様子をあますことなく見学できた。運よく雨雲も逸れてくれたので、濡れることもなく、まさに高みの見物であったといえよう。
「ちょっとヒヤヒヤしたけど、最後の一枚だけは対象に当たらないと祓えないやつだったんだろうな」
徐々に光の明るさが落ちていき、範囲も狭くなっていっていた。
「いや〜。それにしても、くすのきの宿の守護神サマの力、半端ねぇな。葛木の爺さんもとんでもなかったけど――」
数体の悪霊がこちらへ飛んでくるのを目にし、鞍馬は言葉を止めた。
おもむろにその手に持つ一刀を横にないだ。
悪霊らは寺内に到達することもなく上下二つに分かれ、倍の数になって叫びつつ消えていく。
それを見ることもなく、鞍馬は刀を肩に担いだ。その至極色の刀身が曇り空のもと、鈍く光る。
「世の中まだまだ強いやつはいるんだろうなぁ」
歌うようにつぶやくその顔が綻んだ。
「こらー!
だが下方から罵声を浴びせられ、一気にしかめられた。
見下ろせば、五人の僧侶がいる。己とよく似た顔が五つ並んでいるのは、いつ見ても微妙な気持ちにさせられる。
「うっせぇよ、兄貴ども。誰のおかげで
口をほとんど動かすことなく、声もあまり出さずに愚痴をこぼした。
「そんなところでおもちゃの刀を振り回すやつがあるかッ!」
「おもちゃじゃありませぇーん。刃は潰れてるけど立派な呪具でぇーす」
言っても無駄なため小声だ。
兄たちは僧侶でありながら、いや僧侶ゆえか、悪霊の存在に懐疑的だ。認識できないがゆえに致し方ないともいえる。
その中にいない還俗した五男だけは、悪霊を認識できるからわかってくれるのだけれども。
「ひさびさに会えるかと思って、わざわざいずも屋まで出向いたのにいなかったし……。どこかに買いつけに出かけたんだろうけど、なにもオレが帰って来た時にいかなくてもいいじゃんか……」
拗ねたようにつぶやき、喚き続ける兄弟たちに目もくれず遠くの下界を見渡した。雲の隙間から放射する光に照らされた町並みは、どこにも悪霊も瘴気の気配すらなかった。
○
――ちりん!
縁側の縁に腰掛けていた湊の頭上で、風鈴が高らかに鳴った。
間髪いれず敷地内に風が吹き込み、その横髪がゆれる。
「悪霊、ぜんぶ消えた!」
「泳州町、キレイ、キレイ!」
風の精からの情報を聞くや、湊の相貌は和らいだ。
彼らに護符を託したとはいえ、気が気ではなく、ずっと泳州町方面を眺めていたのであった。
泳州町を覆っていた雨雲が訪れた時と同様、急速に去っていくのを見ながら、湊は風の精を労う。
「そっか。ふたりとも伝えてくれてありがとう、お疲れ様でした」
手をかざすと、風の精二体がその周りをくるくる回り、ふたたび空へと舞い上がった。
笑い声とともに小さくなっていく彼らを、座布団に伏せた山神が見送った。
「ほんに人使いの荒い精霊らよな」
「まぁ、そうかもだけど……。知らせてくれたのは助かったよ。――正確な顛末はわからなかったけど」
苦笑いしながら、湊はスマホを手に取る。
播磨へのメールをしたためる様子を視界の端で捉えつつ、山神は大あくびをかました。
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