25 いましばらく平和な時間を




 青葉が茂る御山にて、祠の前で湊と山神が佇んでいる。

 月に一度の清掃を終えた湊の手には、一つの石がある。それを山神へと向けた。


「山神さん、この石でいい?」

「どうでもよき」

「山神さんの代わりなんだから妥協しないでよ」


 祠にはもともと三個の石が安置されていたのだが、そのうちの一個は割れていた。

 この先、多くの人の目に触れるのならば、割れていては格好がつかないであろうと渓流で石を拾ってきていた。

 三つあった石は古来、自然物に神が宿るとされてきた名残と思われるが、この国の民は今なお信じている者も少なくない。湊はその気持ちを汲んで、石を置こうとしているのだが、ご本尊はまるで興味を持っていなかった。


「なにもわざわざ増やさんでもよかろう。石ころなぞ一個でも十分ぞ」

「ダメだよ。もともと三個だったんだから三個にしておかないと。なにか意味があるのかもしれないし」


 湊は時折、やけに頑固さを発揮する時がある。

 そうして新たに仲間入りを果たした石は、サイズも色合いもなんの違和感もなく他の二個に馴染んだ。

「いい感じ。昔からここにあったみたいだ」

 湊が満足そうに頷く傍ら、山神は大あくびをした。



 祠をあとにした湊と山神が丸太階段をくだっていると、若い登山客たちとすれ違った。


「こんにちは」

「こんにちは〜」


 にこやかなあいさつを返してくれた二人は、自ずと大狼を避けて階段を上っていく。一人が指で下方を指し示した。


「見てあれ。すごい大きな石がある」

「ほんとだ。なんかあれさ、漬け物石っぽくね?」


 階段を下りきった湊が、音のする勢いでかえりみる。

 デン! と木立の前に巨石があった。

 突如現れた見覚えのあるそのフォルムは、古狸が化けているに違いない。しかもご丁寧にしめ縄まで巻いてある。

 何かよからぬことをしでかさないかと湊がハラハラする中、その石が妙な動きをすることはなく。


「漬け物石ってなによ、たとえが古すぎでしょ。今どきそんな石、どこの家にもないよ」

「それもそうか。なら温石おんじゃくっぽい」

「ますます伝わりづらいよ。君、いつの時代の人なの」


 登山客たちは笑いながら、階段を上っていった。

 見届けた湊は、ほっと息をついた。


「かまって古狸さん、よく我慢できたね」

「あやつもほんにアホよなぁ」


 山神の呆れ声が山間に響くと、漬け物石めいた巨石がわずかに浮いた。


 緑のトンネルを歩いていれば、今度は複数の中年男と出くわした。

 全員、山登りスタイルで、一眼レフを構えている。

 道脇に離れて立つ彼らはそれぞれ別方向へとレンズを向けており、その間を湊と山神が通っても誰一人気にする素振りすら見せない。

 みなぎる緊張感に湊はつい忍び足になった。

 途中、一つのカメラが狙う先を湊も注視すると、木の枝でアカモズが羽づくろいをしていた。


「珍しい、はじめて見た……」


 思わずつぶやいてしまい、山神ともども早足でその場を離れた。

 なだらかにくだる登山道を歩みながら、湊は口を開く。


「ここには希少な被写体がいっぱいいるから、撮りたくなる気持ちもわかるな」

「ぬぅ、人間はほんに見慣れぬ動物が好きよな。ここのところ、それら目当てに訪れる者らが増えよったわ。昔はおらんかったモノらが、とみに増したことも一因であろうが」

「動物たちは、自分の長のそばにいたいらしいね」

「左様。ゆえにお主の家側に新参モノが集まっておるぞ」

「そ、そうなんだ」


 他愛ない会話に興じていると、かずら橋に着いた。

 以前の朽ちかけた見るも哀れな姿とは違い、ゆるぎなく向こう岸に架かっている。

 その姿は、非常に頼もしく見えた。

 現在のかずら橋はワイヤーも用いられており、耐久性が上がっている。それでも三年ごとに修繕を行わなければならない。

 今後の課題ではあるが、ひとまずいまはかずら橋の完成を喜んでおくべきだろう。


 湊は手すりに手を添え、慎重な足運びで橋を渡る。

 吹き抜ける風、ゆれる足場、音量を増す渓流のせせらぎ。もう何度も渡っているが、かつての越後屋のように走り抜けようという気にはならない。


「やっぱり踏み板の隙間から川が見えるのは、ちょっと怖いね」

「うむ。己が身一つで飛べぬ人間は、より恐怖を感じような」


 後ろを歩む山神は通常運行である。優雅なる歩みで板を踏み外すことなく渡る。


「山神さんは、空を飛べるの?」

「お茶の子さいさいぞ。まぁ、飛ぶではなく駆けるであるが」

「あ、そうだった。天狐さんと空中戦をしていたね。おっとっ」


 橋が大きくゆれ、湊は手すりを握りしめた。

 振り返ると、橋の中央にいる山神の背毛が逆立ち、太い四肢がかずら橋を踏みしめている。

 その喉から発せられる唸り声が増すたび、その身を覆う神気も高まってゆらめき立ち上る。


 荒ぶっておられる。

 相変わらず天狐の話題は山神の逆鱗に触れるようだ。

 このままであれば、かずら橋が危うい。


「場所を考えなかった俺も悪い……。山神さん、申し訳ありませんでした」


 どうかお鎮まりくだされと心を込めて謝罪するや、山神は鼻息一つで神気を散らした。


「――いや。この程度で気を荒ぶらせるなぞ、我も精進が足りぬわ」

 うつむきがちな山神とともに、無事に対岸へたどり着いた。


 登山口も間近に迫った所で、またも登山客の団体と出会った。登ってくる全員の衣服と持ち物はすべて真新しく見えた。

 その一行とあいさつして行き過ぎたのち、湊は小声で話す。


「いまの人たち、いかにも山登り初心者って感じだったね。最近登山とか山でキャンプとかが流行ってるせいかな」

「かもしれぬな。よく地域情報誌にも特集が組まれておるゆえ」

「ご存知でしたか。それもそうか。山神さんは和菓子記事以外もしっかり目を通すからね」


 和菓子記事担当者以外の記者たちも歓喜するであろう。


「きっと、これからもどんどん御山に人がくるだろうね」


 湊は横目で白き御身を見た。

 昼日中であれ薄暗い山の中であれ煌めきを放ち、浮かび上がるその姿は以前となんら変わらない。かずら橋が完成してまだひと月も経っておらず、目に見える変化は現れていなかった。

 ただ少しだけ、山神の睡眠時間が短くなったように思えた。先ほど荒ぶりかけた際の神気も、以前より濃くなったような気もする。

 ささいな変化にすぎないが、いい傾向であろう。

 わずかずつでもいい、山神の力が増すのならば。


「もっと山がにぎやかになるといいね」

「――やかましいのは勘弁ぞ」


 素っ気ない口調ではあったもののその足取りは軽く、尻尾もゆれていた。


 山神と連れ立って楠木邸に戻ってきた湊は、驚きの声をあげた。


「うわ、いっぱい来てる!」


 家を中心にして何羽もの大型の野鳥が飛び交い、敷地外のクスノキにも数多の小鳥の姿があった。

 彼らは己が長である鳳凰のご機嫌伺いに訪れていた。近隣の鳥以外にも、遠路はるばるやって来た鳥も多い。

 湊の姿に気づいた野鳥軍団が一斉に鳴き、大合唱が木霊する。


「みんな、ちょっと待ってて」


 慌てた湊は小走りで裏門をくぐった。

 野鳥たちは理解している。ここの管理人が在宅で、なおかつ鳳凰が起きているのならば、敷地内に入れてもらえることを。


「あ、鳥さん起きてるね」


 ――ちりん。


 その声と風鈴の音がすれば、神域が開放。箱の蓋が左右へ開くように空間が広がっていくそこへ、野鳥が殺到する。


 そんな中、敷地外のひときわ高いクスノキの先端に止まった漆黒の鳥だけは、動かない。


 その身と同色の眼で、石灯籠から羽ばたく鳳凰を見下ろしている。

 我先にと敷地内へ舞い降りる同族とは異なる温度のない眼で、野鳥に囲まれる鳳凰を見つめている。


 ――シュン、と大気を斬り裂く音が鳴った。


 野鳥の頭部を金色こんじきの矢が貫いた。

 漆黒の身が紙片へと姿を変え、矢とともに燃え上がる。

 一瞬にして消し炭と化し、落下する途中、自然の風にまかれて彼方へと流されていった。


 それを光の矢を放った山神が、冷然たる眼で眺めていた。


「我の所に式を寄越すなぞ、身のほど知らずもはなはだしいわ」


 その白き御身をうっすら放電が覆った。

 山神は対岸の火事なら眺めてやり過ごすが、己に降りかかる火の粉は全力で払う性質である。


 両眼を細めた大狼が身を翻す。打ち払うように尻尾を大きく振り、裏門へと歩を進めた。

 その身が裏門を越えるや、格子戸がひとりでに閉まっていく。

 ぴしゃりと固く、強固にその門戸が閉ざされた。





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