26 鎮まりたまえ





 ここは町中である。

 路地裏といえども、誰の目があるかもわからない。普段の湊であれば、こんな場所で神の力を行使するなどありえない。

 が、いまは怒りに我を忘れているため、その力を振るうことにためらいはなかった。


 雨を含む暴風が吹きすさび、家屋の窓やドアが軋み、庭木が荒れくるう。その中を、湊はゆっくりと園能に近づいた。


「ひぃ」


 濡れて滑る看板を乗り越えようと、男はみっともなく足掻く。

 雷鳴が響くなか、それを湊は据わった目で見つめた。


 ――この輩は、みすみす逃すしかないのだろうか。


 先日、泳州町を悪霊だらけにした男はお縄についたと聞くが、この男はそうはできないだろう。

 狼藉を働いた相手は、鳳凰――霊獣に対してであり、人間ではないからだ。

 人間社会のルールはただでさえ、動物に無体を働こうとも大した罪にはならない。


 ――ならば、こいつは誰が裁くのだ。


 この手の手合いは、多少痛い目にあったところで改心なぞしやしないだろう。

 たとえしたとして、それはいつになる。

 明日か、一年後か、それとも十年後か。

 その間、また同じことをしない保証はどこにある。誰がしてくれる。


 ――次は誰を狙うつもりだ。霊亀か、応龍か、麒麟か。


 湊のオリーブ色の目が剣呑に細まる。


「させるものか」


 天を覆う積乱雲に雷光が枝分かれして走った。

 同時、爆発的に風と雨が吹き下ろし、けぶる厚い壁が北部商店街をぐるりと覆った。

 その中心地で、湊が放った風の刃が園能の手をかすめ、看板を斬り裂いた。


「ぎゃああ!」


 横手へ倒れ、男は白目をむいた。

 その身体に距離を詰める途中、湊の頭にある閃きが走った。


 男は手印を結んでいた。

 おそらくそれが、妖しげな術を発動させる条件なのだろう。

 ならば、その両手を切り落としてしまえばいい。

 さすれば、二度とよからぬ術は行使できまい。


 突如世界が真白に染まる。

 轟く神鳴り。迫りくる衝撃波。ゆれる地面。

 ビリビリと鼓膜が振動しようとも、無表情の湊は倒れた男を見据えたままだ。

 その身のうちで風神の力がうねり、その背に火焔光背のごとく蒼い炎が立ち昇っている。


 湊は人差し指を男へと向ける。

 突然横から伸びてきた手に手首をつかまれた。


「ずいぶん変わった力を身につけたようだね」


 見れば、和装をまとう高齢の男であった。

 ずぶ濡れの衣装が肌に張り付き、パナマ帽からも水が滴っている。

 すっとその帽子が引き上げられ、懐かしい顔が現れた。


「か、つらぎ、さん」


 在りし日のままとはさすがにいかず、増えた皺が流れた年月を感じさせた。

 けれども、大樹のごとき佇まいは一向に変わっていない。


 ――そうだ、この方だ。


 先日、方丈町南部で見かけた人物は別人だったようだ。

 確かに姿はよく似ていたが、こちらを圧倒してくる覇気がまったく違う。その背後に二体のシャチが浮かんでいる。

 かつて己が番号を振った色違いのぬいぐるみだ。つくり物であるというのに、心配そうに見つめてくる。


「そろそろ力を抑えないと、町が一つ滅びてしまうよ」


 そういう葛木角之丞の声は至っておだやかだ。しかし強い視線を向けてくる。

 湊はようやくあたりに意識が向いた。

 三階建ての建物に囲まれた薄暗い場所に葉や物が散乱し、塀からせり出す庭木が倒れそうにしなり、外れかけた裏木戸が音高く開閉している。

 台風が直撃したかのような有り様と成り果てていた。

 むろん原因は己から生じる風のせいだ。


 一刻も早く止めなくてはならない。わかってはいる。


 だが、抑えがきかなかった。


 まだ怒りは冷めやらず、この煮えたぎる気持ちはどこにぶつければいいというのか。

 奥歯を嚙みしめ、視線を落とす湊に向かい、葛木角之丞は湊のポケットを一瞥して言葉を重ねた。


「いいのかい? 傷ついたその霊獣をいつまでも放っておいても」


 パタリと風がやんだ。




 その頃、その真上にあたる積乱雲の上であぐらをかく二体の子鬼があった。

 横並びのうり二つの容姿をしており、皮膚の色が赤と青という対称的な彼らは、風神と雷神である。

 膝上の雷鼓らいこに手を添えた雷神が眉根を寄せた。


「ねぇ、アタシの出番なくなっちゃったんだけど」


 たいそう不満そうでも、風神は肩をすくめるだけだ。


「そうだけど、もともと人間が起こしたいざこざだったんだから、人間同士で片がつくならそっちの方がいいでしょう」


 ちょいと動かすその人差し指から細い糸が垂れている。真下へと伸びており、その先端は湊の魂につながっている。


「もう冷静になれたみたいだね。じゃあ、力を戻してあげよう」


 青い人差し指が下を向くと、糸を伝って蒼い光の珠が降りていった。

 湊がどれだけ荒ぶっても、周囲の建物などが原型を保ったままでいられたのは、風神が湊に与えた力を半分以上取り上げていたからに他ならない。

 もとより、自らの力ゆえに減らすことも増やすことも思いのままだ。


 蒼き珠が湊に吸い込まれるように入っていくのを眺めていた雷神は、雷鼓の表面に指で円を描いた。


「力を取り上げるのがもうちょっと遅かったら、町が一個吹き飛んでいたわよね」

「まあね。別に町の一つや二つなくなろうと僕は一向に構わないけど、あの子が正気を取り戻した時、気に病むだろうからね」


 そうだろうけどぉ〜、とむくれた雷神が仰向けに倒れざま、雷鼓を放り投げた。霞のごとく消えゆくそれを見ることなく、赤い子鬼はジタバタと手脚を動かす。


「つまんな〜い! ひさびさに暴れようと思ったのにぃー!」


 半目になった風神が嘆息する。


「人間たちを建物から出さないために、派手に神鳴り鳴らしたでしょう」

「あれだけじゃ、全然足りないわ。それにほとんどアンタの雨で事足りたじゃない」

「まあね。あ、そうだ。雨雲回収しないと」


 風神は背負っていた風袋の口を開け、ズゴゴゴゴーッと掃除機のように積乱雲を吸い込みはじめた。

 雷神はころりと腹ばいになり、雲間から下界をのぞく。方丈山の林冠の鮮やかな色、茂り具合が鮮明に見えた。


「ちょっと寝ていた間に少し時間が経ったみたいね。方丈山山神の色を見るに、いま夏よね?」

「みたいだね」


 どうでもよさそうだ。二神に日付の感覚なぞない。

 方丈山のお膝元にポツンと建つ一軒家――楠木邸の屋根を雷神は見下ろす。


「最後に、あのおうちにお邪魔したのは春だったかしら?」

「そうだね。桜餅を出してくれたよね」


 かねてより時間も日付も気にせず、過ごしてきた。

 ところが楠木邸に遊びにいけば、旬の食材を用いた料理でもてなしてもらえる。

 ゆえに季節は気にするようになった。


 両手で支えられた赤い顔が愉しげに綻ぶ。


「夏の食べ物ってなにかしら?」

「去年、夏野菜たっぷりカレーと冷やし中華とそうめんを食べさせてもらったよね」

「そうそう。やだ、思い出したら食べたくなっちゃったじゃな~い」

「僕も。とりあえず海に手土産をとりにいこうか」

「それもそうね。よ~し、大物を狙うわよ〜!」


 シュバッと立ち上がった雷神の声が、晴れ渡る高空に響き渡った。

  

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