21 あくどい退魔師のお仕事




 八畳の和室に突如、獣めいた咆哮が響き渡った。その声を発したのは、部屋の真ん中にいる中年女性だ。

 化粧っ気のない顔を歪め、白目をむいている。

 にもかかわらず、正座したままだ。

 その正面に対座していた若い男は仰天し、腰を抜かしたようだ。その様子を中年女性の背後に佇む僧衣の男が、愉快そうな目で眺めている。


 ――ちょろい、ちょろい。


 退魔師――安庄は声をあげて笑いたくなった。

 だがそんな気持ちはおくびにも出さず、鬼気迫る顔をつくり切羽詰まった声を出した。


「お母さんに憑いているのは、狐の悪霊のようです……!」


 その手に持つ大幣を派手に振り回した。いかにも悪霊祓いの儀式を遂行中ですと言わんばかりに。

 むろん舞台装置も抜かりはない。後方に祭壇も組んだし、部屋の四方に呪符も貼り付けてある。


 ――なんの効果もありはしないがな。


 しかし大事だ。効果のあるなしなぞ常人に知れなくとも、様式と見た目は重要である。

 愚かな依頼人たちを騙すために。


 本日安庄は、〝母に取り憑いた悪霊を祓ってほしい〟とその息子から依頼を受け、他県にあるこの家に訪れていた。

 実際、中年女性を視てみれば、悪霊は憑いていなかった。おそらく精神的に弱り、多少の奇行が見られたのだろう。

 悪霊をまったく認識できない者が、悪霊に取り憑かれているせいだと決めつけるのは、あまりに早計である。

 だが意外にもこの手の者は多く、そして人伝に退魔師を頼って依頼してくる。


 ――鴨が葱をしょって来たんだ。逃がすわけがない。


 だから、あえて悪霊を憑けてやった。


 そのせいで中年女性は髪を振り乱し、叫び続けている。

 その異様な光景に恐れをなした息子が襖まで後退し、尻餅をついた姿勢で叫んだ。


「や、やっぱり、母さんには狐の悪霊が憑いていたんだ! そうじゃないかと思ってたんだよッ」


 確かに中年女性の目尻は吊り上がり、狐に見えないこともない。


 ――なに言ってんだか。お前のかーちゃんに憑けたのは、元狐じゃなくて元人だよ。


 思っていても、安庄は別のことを口にする。


「そうです! あ、襖は開けてはいけません! 結界が破れてしまいます!」


 息子は襖から手を離し、這って部屋の角に逃げた。


 ――そもそも結界が張られた中に、自分も入っているおかしさに気づいてもよさそうだが。


 バカバカしい演出であろうと、やらねばならぬ。この作法が伝統であり、金のためである。

 ここできっちり仕事をこなせば、この息子が吹聴してくれるだろう。いつの時代であろうと口コミの力は侮れないものだ。


 ――次の仕事につながるから、大いに喧伝してくれよ。


 ゆるみそうになる頬を叱咤し、安庄は声を張った。


「それでは、いまから悪霊を祓いますッ」


 呪を唱えつつ大仰に大幣を振った。

 その下方で、ほどほどに効果のある呪符を中年女性の背中に押し付けた。




 ひと仕事を終えた安庄は、ニヤけながら街道を歩いていた。僧衣をさばきながら進むその足取りは軽い。


「ボロい仕事で笑いが止まらんわ」


 今し方の件で、隣県での仕事はすべて終わった。数日ぶりに地元――泳州町へ帰ろうとしていた。

 やがて泳州町に入る場所で、安庄は周囲を見渡した。


「ん? 瘴気がないな……」


 まだ町外れだからだろうか。

 たとえ隣町との境界付近であろうと、町の至る所で悪霊を増やしている影響で、瘴気が漂っているはずなのだが――。


「――まぁ、いい。とりあえず、祓い残しておいた家にいくか」


 いかにも騙されやすそうな者が身内にいた場合、あえて悪霊を完全に祓わず、二度三度と分けて祓うようにしていた。

 むろん回数に応じて費用もかかるのだが、目に見えて効果が現れるため、疑うことなく支払ってくれる。


 方丈町南部に近い一軒家を前方に認めた安庄は、首をめぐらせた。

 前回ここで三人の陰陽師と出くわしたからだ。危うく依頼人に憑いた悪霊を祓われるところであった。


「まったく忌々しい」


 町の随所に放っている式神の知らせで追い払えたが、油断も隙もありはしない。


「あいつらはどこか遠い土地で、お仕事してりゃあいいのによ」


 ブツブツ文句を言いながら、一軒家のインターホンを押した。

 即座に応えはなく、しばらく待っていると直接玄関の扉が開いた。

 ズバンと扉が外れかねない勢いで出てきた人物を目にして、安庄はあんぐりと口を開けた。


「性懲りもなくまた現れたわね! このインチキ野郎!」


 箒を構えた勇ましきアマゾネスであった。


 ――おかしい。ここの娘はこんな勝ち気なタイプではなかったはずだ。いかにも騙されやすそうな気の弱い小娘だったはずだ。


 訝しむ安庄を睨み据える娘が吼えた。


「なにしに来たのよ!」

「それはもちろん、こちらのお宅の方に憑いた悪霊を祓いに――」

「噓ばっか言うな! おばちゃんに憑いていた悪霊、全然祓えてなかったって、知ってるんだからね! もう神社の宮司さんに祓ってもらったから、アンタなんかに用はないのよ!」

「なんだと……」

「二度とくるな! 失せろッ!」


 箒をぶん回され、安庄は一も二もなく退散した。長居は無用である。





 住宅地の路地を歩む安庄は、噛んでいた爪を離した。


「まぁ、いい。一件くらい仕事が減ったところで大したことじゃない」


 なにせ町に瘴気がまん延するだけでも、健常者すらおかしくなるのだ。疑心暗鬼に囚われ、通常視えないモノまで視えて、常に不安に苛まれることになる。

 その延長で悪霊に憑かれていると勘違いするだけではなく、精神安定のよすがとして呪符に救いを求めてくるだろう。

 こちらは商売繁盛。してやったりである。

 そのはずであった。


 泳州町の中心街を目指して車道沿いを進むたび、安庄の顔は険しくなっていった。


「これは、どういうことだ……」


 陽光に照らされた町は、のどかな風景に満ちていた。車道を行き交う車、時折すれ違う通行人もおかしな点は一つも見当たらない。

 どこにも瘴気なぞありはしない、ありふれた正常な町並みであった。

 小走りで廃屋と化していた元店舗に近づく。

 ここには、隣町に赴く前まで悪霊が巣喰っていた。それがどうだ、いまや瘴気のしょの字もない。

 乱暴に戸を開ければ、こざっぱりとした部屋に出迎えられる羽目になった。


「なんでだよっ」


 憤怒の形相で身を翻して駆け出す。


「園能のやつ、なにをやってやがる!」


 安庄にはたまに仕事をともにする相手がいる。昔から家同士の付き合いのある園能という同年代の男で、さして霊力も持たず、町を監視する程度の弱い式神しか使えない。

 いったいあの男はどうしているのか。ほんの数日留守にしていただけでこんな有り様になるとは。


「あの無能めっ」


 安庄は地を蹴った。黒い衣をはためかせ、全力疾走する中年男に目をくれる者は誰もいなかった。


 息を弾ませた安庄が行き着いたのは、街の中心地からやや離れた場所であった。

 広い敷地を誇る、瓦屋根を有する大家屋。代々続いた退魔師の一族――安庄家の住まいだ。一族が散り散りになった今、無用の長物となり安庄一人が離れで生活している。

 その母屋を埋め尽くすほど、悪霊を飼っていた。二日前までは――。


 木戸門を抜けた安庄は愕然と立ちすくんだ。

 悪霊はおろか瘴気も消え去り、ここ数年まともに見ることも叶わなかった外観がその全貌をあらわにしていた。


「だ、誰が勝手に祓いやがったんだ――」

「俺だ」


 安庄が勢いよく振り返る。

 木戸門の横手に、眼鏡をかけた黒衣の陰陽師が佇んでいた。


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