36 望まぬ招待


 民家に挟まれた通りをすぎる。

 トンカン、トンカン。つい先日も聞いた木を打つ音が鳴った。また家などを建築しているのかもしれない。少し先をいく山神が四辻を曲がった。


「山神さんは、鳥さんと違って人工物には興味なさそうだ……」

「ぬ? よくわかっておるな。左様、微塵も興味はない」

「だよね」


 山神が一度振り返り、再度顔を戻した。

 その視線の先には、金槌を振るういつぞやの大工の親方がいた。

 背後には、数百年は保つであろう立派な日本家屋が建っている。普段着の親方が、金槌で打っているのも小さな箱だ。

 おそらくここは親方の自宅で、休日に何か製作中なのだろう。

 その製作中の物は、小型の家の形状をしている。屋根がついて、入り口は丸い。鳥の巣箱のようだ。


 真剣に製作中のところを邪魔するのも気が引け、静かに素通りする。親方の周りで、数匹の野鳥が地面をついばんでいる様は微笑ましかった。

 


 とっとこ軽快に歩を進めていた山神だったが、不意に横を向いた。


「ぎゃっ」


 悲鳴とともに白いスーツの男が飛び上がる。驚異の高さに、湊が思わず注目した。

 瞬時に男は走って逃げていく。全力疾走だった。その後を、さもいやいやといった風情の女性が追いかけていった。

 双方、二十代後半ぐらいだったろう。その程度しかわからなかった。


「山神さん、さっきの男の人になにかした? 知り合い?」

「……さてな」


 ぷいっと前へと向き直り、まっすぐ進んでいく。

 知り合いらしい。

 気づいたものの、湊は何もいわなかった。

 


 

 湊と山神が歩む住宅地は閑散としている。

 このあたりはちょうど御山の中にあるため池が近い場所になる。

 山道からまばらに見えた屋根の形に見覚えがあった。初めて通る道であるものの、ただ山神についていけばいいだけゆえに楽だった。

 しかし山神の斜め後ろを歩く湊が、怪訝な表情になる。


 何か妙だ。


 いつも家から出ると大概何かしらの生き物が近寄ってくる。つい先ほども通りすがりの野良猫や、頭上を飛ぶ野鳥に鳴かれてあいさつされた。

 だが道幅が狭くなってきた頃から、ぱったりとそれらが途絶えてしまった。


 周囲に動物の気配を一切感じないのは気のせいか。どことなく空気に重苦しさを感じるのは、ただの気のせいなのか。


 住宅が途切れ、少し進んだ場所に、さまざまなモノが打ち捨てられていた。

 冷蔵庫、洗濯機、テレビ等。大物家電が目につき、伸びきった草に埋もれている。鉄類の寂れ具合から相当な年月が経っているようだ。


「山神さん、ここら辺ってなにか変じゃない――」


 そこへと視線を流した時、突然目の前に歪みが発生した。

 虚空が歪む。景色がたわむ。

 一気に湊だけが引き寄せられる。


「うわっ」


 抵抗する間もなかった。すぽっと半身が入り込んでしまった。

 傍らの山神は微動だにしていないが、その両眼は据わっている。不機嫌そうだ。あまり見たことのない様相だった。

 普段山神が本気で怒ることは、まずない。

 憤ってみせるのは一種のポーズにすぎない。本性は山なだけあって、おおらかで懐も深いからだ。

 湊の身体が歪みに呑み込まれていく。

 それを追って、山神も飛び込んだ。

 あっという間に、ふたりはその場から消えてしまった。




「いでっ」

「ぬう、目測を誤った」

「また!?」


 倒れ込んだ湊の腹部に、のすっと山神が伏せの体勢で乗っている。


「風で対抗すらできなかった……」

「まあ、仕方あるまい。いきなりであったゆえ。斬って出ればよかろう」


 山神がいつも通りのおかげで、呑気におしゃべりできていた。さして危機感もない。


 湊が周囲を見渡す。

 そこは、洞窟のようだった。

 曲面を描いた壁と天井は土でできている。立ち上がっても頭は当たらないであろう高さと、大人二人が並んで歩くに支障はない程度の幅はある。

 明かりはなくともほの明るく、左右に蛇行して伸びる先の方まで見通せた。


 一見なんでもない洞窟の途中のようだが、空気が悪い。妙に重さと粘性が感じられて息苦しい。

 否が応でも、穢れた神の神域を想起させられた。


「嫌な空気だな……山神さん、大丈夫?」

「むろん」


 その言に虚勢は感じられない。とはいえ穢れたこの場に山神を置くのもためらわれた。

 よって、小脇に抱える。


「山神さん、毛並みいいね。ふわふわしてる」

「我――」

「山神ぞ」


 はいはい、とばかりに湊がお決まりの台詞を奪う。

 そうはいいながらも、初めて山神に触れて内心軽く感激していた。

 山神を筆頭に周囲のモノたちは動物の形態をしているが、愛玩動物ではない。ゆえに一度もじかに触れたことはなかった。


「でも予想以上に重い」

「軽ければ威厳が損なわれよう」

「……ソウデスネ」


 元からほぼない。


「ところで、ここは前のように穢れた神様の神域ってことだよね」

「左様。さして力も持たぬモノが創り出したモノぞ」

「その元神様は、どこに?」


 ついっと顔ごと示された方向には、ただ洞窟が続いているだけだ。湊では異常を感じ取れない。


 一方、山神には視えていた。

 そちらから黒い瘴気が這うように流れてきている。

 湊の持つメモ帳が発する翡翠の光に当たった瞬間、しゅわしゅわと溶けるように祓われていた。


「さながら淡雪のごとし。儚いものよ」

「なにが?」

「お主には視えておらぬモノが、な」


 積極的に視たくはないが、多少の興味はある。目を凝らしてみても、やはり何も視えなかった。

 湊は穢れた神クラスの穢れでなければ、視認できない。

 ほんのわずか残念に思うものの、己が目で視えぬのなら、山神のいう通り相手はさほど強くないのだろう。


「山神さん、ちょっと訊きたいんだけど。このまま俺たちがここから出たら、ここを創った神様はどうなるの」

「さらに穢れが増すであろうよ。ちと近隣に影響が出ておったな」

「いずれ、人にも影響を及ぼすってことだよね」

「そうさな、ほぼ確実に被害は出るであろうよ」


 山神の表情に憂いも同情もない。そういうものだと静観している。

 ただ、それだけだ。

 山の神が、己が山以外に毛ほども興味を示さないのは致し方ないだろう。


 しかし湊は人間である。

 この近辺の人たちと面識もなく、関わりを持ったことすらないが、同胞だ。見過ごすことはできない、したくない。

 それに山神の山はここから目と鼻の先にある。影響が皆無のはずもないだろう。

 洞窟の奥を強い目でじっと見つめる湊を、山神が見上げて鼻を鳴らす。


「放っておけぬか。お人好しがすぎよう」

「かもね」

「だが、お主らしい」


 うっすら口角を上げ、湊が足を踏み出す。その腕に抱えられた山神がふさりと尾を振った。

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