35 そこのけ、そこのけ、山神様が通る
湊と山神は『越前亭』へと向かうべく、桜並木道を歩いていた。
桜の木はほぼ葉だけとなっている。道路のどこにも花弁一枚すら落ちていない。世間ではもうとっくに桜の時期は終わっていた。
桜は散り始めると、あっという間に見頃の時期は終わってしまう。
それが本来の在り方なのだと、しみじみ思いつつ、湊が桜の枝の下を通る。
その歩みはひどくゆっくりだ。山神が普段通りの歩調のため、移動距離が稼げないからだった。
にしても、天上に輝く太陽、傍らの光をまとう小狼。あっちもこっちも非常に目にうるさい。双方、唯一無二の存在感を見せつけてくる。
「山神さん、今日も輝いてるね」
「むろん」
「でも、サイズ的に目のダメージは少ない……ような気はする」
視界の隅にいようと存在感抜群だけれども。
「いかなるさいずであろうと、我の威光は損なわれぬ」
「……若干陰っておられた時もあったけどね」
「さて、なんのことやら」
山神はすぐに忘れた振りをする。こういうところが老獪な翁じみていると思う。
ちろっと上目で見られ、もちろんうさんくさい愛想笑いで返した。
やや暑いくらいの日差しを浴びながら、だらだらと取りとめもないことを語り合う。
優雅に練り歩く山神の真横を、同サイズのロングコートチワワがせかせかした足取りで通りすぎた。どんどん距離が開いていく。
尻尾をふりふり、張ったリードを持つ飼い主を引きずるように前方へと駆けていった。
「あれぞまさに小型犬って感じだよね。一生懸命歩いてます感が微笑ましい」
「我、狼ぞ」
「存じております。でもあの調子って、人のほうが犬に散歩されてるみたいだ」
「犬はそのつもりであったぞ」
「……悲しいお知らせ」
切なげな様子の湊より先に、山神が道の角を曲がる。
そこにちょうど、人がいた。
若い男性が運悪く山神を蹴るかたちになりかけた。
クイッと山神の顎が横へと向く。さすれば当たる間際だった男性の足が弾かれる。よろけたその腕を湊がとっさにつかんだ。
たたらを踏んで転倒を免れた男性は、目を白黒させている。
何が起きたのかわかっていないようだ。
それもそうだろう、歩いている最中、いきなり虚空で足を払われたのだから。
「大丈夫ですか」
「……あ、ああ……?」
湊と呆けている男性を置き去りに、山神は止まることもなく進んでいく。
早足になった湊がその背に追いついた。
「ひどい」
「邪魔であったゆえ」
「転けなかったからよかったけど、傍若無人がすぎる」
「加減はしたぞ」
その言葉には露ほども悪びれた色はない。
我の行く手を阻む者なぞ、何人たりとも許さぬ。
そうありありと伝わってきた。
神とは身勝手なものだと、こういう態度を見せられるとつくづく実感する。
「いつもは、人のほうが過剰に避けてくれるよね」
「我の身が小さいゆえよ」
小さいといっても確固たる存在感を誇っている。湊にはわからない違いがあるのだろうか。
今は平日の昼すぎで、通りにはさほど人も車もない。自転車が山神に突進しようものなら目も当てられない。
とりあえずは今のところは大丈夫だろう。湊が視線を落とすと、山神の歩みが早くなった。
先を見ると『越前亭』の店舗が見えた。
広い敷地に駐車場もかね備えたログハウス。こぢんまりとしており、経年劣化がいい風合いを醸し出してる。
されど和菓子屋より洋菓子屋といったほうがしっくりくる外観だった。
「このお店?」
「うむ。変わっておらぬ。相変わらずのはいから具合よな」
ハイカラなる単語、一体何年ぶりに耳にしたことだろう。笑ってしまいたかったが、それよりもだ。
湊がさりげなくあたりを確認する。
車も人もいない。今のうちにさっさと買い物を済ませるべきだ。身勝手な山神の被害者をこれ以上増やすわけにはいかぬ。
やや挙動不審な湊を店の戸口前でお座りした山神が待ち構えていた。そのちび尾はひっきりなしにアスファルトを掃いている。待ちきれないご様子。
越前亭は春にしか店を開けない特殊な店で、むろんこの時期しか評判の桜餅は買えない。
山神も一年ぶりになるという。そろそろ店舗を閉めてしまう越前亭へと赴いたのだった。
湊が扉を開けると、桜の香りが鼻をついた。
洋風の雰囲気を吹き飛ばす和の香り。湊に続き、入店する山神が天井へと向けた鼻をうごめかせた。
人影のない店内は狭い。客が五人も入れば、ろくに身動きも取れないであろうが、桜餅しか売っていないのなら、十分かと思われた。
ささやかなカウンターに関東風の桜餅が並んでいる。
クレープでくるりと巻かれたその形状は、湊には見慣れない物だった。
湊はこの地に越してきて初めて、関東風桜餅に出会った。
「うちの近くには、これは売ってなかったからね」
「どちらもよいが、ここのは特にな」
「山神さん一押しか。結構、楽しみ」
山神と話した直後、カウンター越しの木扉が開く。
「いらっしゃいませ」
告げながら、店主が入ってきた。
すらりとした肢体をコックコートで包んでいる、パティシエと見紛う壮年の男性。雑誌に写っていた姿だった。
けれども、その自然な笑顔を浮かべる顔色は明るい。軽快な動作も、至って健康そうだ。
山神からの
湊が希望の個数を述べると、店主が袋に入れるその数は三つほど多い。
湊が戸惑う。すると店主が視線を落とした。
そこには、山神が鎮座している。
「お連れ様に差し上げてください」
店主には視えていた。山神が胸を反らし、尾を振った。
店から出たふたりが通りを歩んでいく。
「山神さん、結構山から出かけてるんだね」
「そうでもない。数十年に一度程度であったぞ」
「甘味めぐりに……?」
見上げてくる山神が眼を細め、わずかに口を開けた。笑い顔だ。表情豊かな狼である。何事かたくらんでいそうな悪い顔にも見えた。
山神は秘密主義だ。いいたくないことは決していいはしない。
子どもでもあるまいに、相手の何もかもが知りたいはずもない。別にそれでも、一向に構わないと湊は思う。
「あやつは、我に供え物を持ってくる珍しいやつぞ」
「完全に山神さんが視えてたよね」
「優れた目を持っておるようでな」
お供えにくるのは一年に一度らしい。なぜか越後屋と同じ地蔵のある場所に供えてくれるという。ありがたい御方のようだ。
「越前亭ができたのは、三十年前っていってたよね。じゃあ、かなり若くして起業したってことになるんだ。すごいな」
「あやつは越後屋と同い歳ぞ」
湊が仰天する。
「……なら七十すぎ……? 五十、いや四十代で通る見た目だった……」
「若作りよな」
「そうなんだ」
低く笑う山神がいそいそと進んでいく。行きと段違いに疾い。桜餅が食べたいのだろう。
おかげで帰りは、順調な道行きとなりそうだ。
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