34 風神様によるスパルタ指導
正直、いくら現持ち主に庭は好きにしていいと許可されているとはいえ、さすがによろしくないかもと思ってはいた。
「クスノキも倒していいって、いってるしね」
逡巡する湊がクスノキを見上げる。
枝葉を動かしてみせる様は、いつもとなんら変わりない。細かい真意は知れないが、怯えはないようだ。
むしろ喜んでいるような気がする。
ばっさばっさと枝を振り、身をよじっていた。
「じゃ、頑張って斬り刻んでね」
「……え?」
クスノキが直立不動になった次の瞬間――。
ズバッ! と縦に真っ二つに裂けた。
湊が叫んだ。心の準備をする時間すら与えてもらえなかった。
大事にしてきたクスノキが斬られてしまった。
しかも真上から縦に。
どうしてそこからなんだ。普通、根本を
メリメリと幹の根本から折れていく。
が、なぜか片側のみ。
その半分が己目がけ、倒れてくる。
このままでは、家屋もろとも押し潰されるだろう。
「ほら、早く斬らないと、任されている家が潰れてしまうよ、管理人さん」
非道である。
あっさりと昨日の天気でも告げるような軽い口調で告げられた。
人の心がないのか、いや、そもそも人じゃなかった。子鬼だった。
湊が風を放つ。しかし刃状にしたその風の威力はぬるい。遅く、キレもない。
これでは到底間に合わないだろう。塊にした風で木を受け止めることしかできなかった。
激しくゆれる倒木から葉が散る。バラバラと落ちた葉が石灯籠に降り注ぐ。
そこには、眠る鳳凰がいる。
「ほらほら、こっちも」
立ったままだったもう半分の幹も倒れていく。こちらもなぜか御池側へと向かって。
そこには、霊亀、応龍、麒麟がいる。
逃げるそぶりもなく佇んでいるだけだ。
意図的に木の倒れる方向を定めているとしか思えなかった。
ともあれ、倒れゆく木を受け止めるべく風を繰り出す。
ますます湊は焦った。
今まで風を遣う際は、すべて己のペースでやってこられた。常に山神がついていたものの、ただ見守るだけで、ああしろこうしろといいもしなければ、急かしもない。
完全に湊の自主性に任せるスタンスだった。
こんな容赦のないやり方は初めてだ。
「もう斬ってしまったんだし、有効活用してあげないと、ね」
風神が宙に止まった状態の片ほうの木を真ん中から斬った。
それでも、逆の木へと放つ湊の刃の切れ味はまだ甘い。迷いが晴れないからだ。
クスノキの枝葉は、もう動かない。動こうとしない。
さっきまであんなに元気で楽しそうにしていたのに。
「鮮度が命だよ。ほら、早く斬らないと」
風神に告げられて見れば、心なしか葉が萎れてきたような気がする。
葛藤する湊の傍らに、雷神が飛んできた。
下唇に人差し指を当て、小首をかしげて底意地悪そうに嗤う。
「できないなら、アタシがやろうか?」
「俺がやります!」
冗談ではない。欠片も残さず燃やされてしまうのはわかりきっている。
クスノキは古来から、その強い防虫効果を活かし、箪笥類の家具材として用いられてきた。のみならず、神社仏閣の建築材、仏像や彫刻材としても使用されているものだ。
神木クスノキは、一般的な木よりはるかに優れているゆえに、さぞいい木材になるだろう。
我が子の
湊の顔つきが変わる。
己の周囲に、数多の風の刃を形作る。一斉に木へと向けて放った。一つ一つは小振りで、手のひらサイズしかない。
だが先までの切れ味とは段違いだった。
無数に伸びた
次第に繰り出される翡翠の刃の色が変わり始める。
刃の先端部分の蒼みが増す。その色が濃くなるのに合わせ、刃の鋭さも上がっていった。
翡翠は湊固有の色。そして蒼は、風神の色。風神の神威がより強く出たからだった。
次々と小さな四角い木片と化したモノが、地面に転がっていく。
風神と雷神が口角を上げた。その表情は鏡写しのようにそっくりだ。
その背後の縁側にて。座布団に鎮座した山神、集合した鳳凰、霊亀、応龍、麒麟がただ黙し、神威をまとう風を操る湊を見つめていた。
◇
クスノキは、今や根本を残すのみになってしまった。
その前に佇む湊が、ギザギザになった切断面を見つめる。風の刃で撫でるように尖る部分をそいだ。
丸い切り株となったその表面に触れると、少しばかりやわらかい。クスノキは軟材ゆえに、傷がつきやすいのが難点だ。
「このままテーブルにするのは、な……」
傷もまた、よき風合いとなって味が出るだろう。けれども、できれば長く綺麗な状態を保ってほしい。
考えているうちに、地を這う根の先端から急激に枯れ始めた。丸い形も縮み崩れていく。庭の片隅に、ひとまとめにしていた木材に変化はない。
地面に残っている部分だけに異変が起きていた。
「なんでこれだけ……」
「神木だからな」
いつぞやトリカがいった台詞を山神の声が告げた。
振り返れば、こちらに小狼が歩み寄ってくるところだった。
ふたりで並び見守っていると、切り株は見る間にその姿を変えていく。
やがて原型がわからぬほど枯れ、しぼんでしまった。その中心へと山神が向かう。
そして、前足で地面を引っかくと、さして掘るまでもなく、ころりと黒いモノが出てきた。
山神に促された湊が近づき、それを拾い上げる。
黒い種だ。
手の中にあるそれは、見覚えがあった。
「……前に植えたモノと同じだ……。元に戻ったんだ」
「ちと急激に成長しすぎたゆえ、いったん元に戻りたがっておったのよ。また植えれば、大きく育とう」
「そっか。今度はゆっくり成長してくれればいいよ」
指先で触れた種がかすかに震える。湊がうれしそうに笑った。
風が吹く。神威交じりの風に枯れた残骸がさらわれ、一挙に山のほうへと飛んでいった。
それを見納めた湊の瞬きの回数が増す。
「……急に、眠く……なってきた」
「力を遣いすぎたからであろうよ」
「……懐かしいな……この感覚。……久々だ」
「眠るがいい」
ろくに返事もできないようで、種を手にしたまま、ふらりと家へと向かっていった。
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