17 招かれざる客ども



 奇妙に静かな楠木邸の玄関前に、二人の退魔師は並び立った。


 つい先ほどまでしていた自然のモノたちの息遣い――野生動物の鳴き声、風の音が何一つしないことに、彼らは気づかない、気づけない。


 遠慮の欠片もなく短躯の男が玄関扉を叩き、ドアノブを回し、声を張り上げた。


「楠木さーん、いい加減起きて出てこいよって……。あれ?」


 カチリと玄関扉が開いた。


「マジか。門だけじゃなくて、玄関まで開けたまんま寝てるんでやスかね」

「無用心極まりねぇな」

「っスね」


 せせら笑いながら玄関扉を開いた。

 ――ふんわりとさわやかな香りが流れ、二人を包んで通り抜けていった。


「この家、すげぇーみかんの匂いしやスね」

「ああ……。けどすぐ消えたな……」

「ほんとだ。なんだったでやスかね」


 二人は玄関をくぐった。短躯の男が内装に気を取られつつ、家に上がりかけ、

「いってー!」

 悲鳴をあげた。上がり框でしたたかに足指をぶつけていた。そこをつかみ、一本足で跳んでいる。

 やや後方に立つ長躯の男がせせら笑った。


「だっせえな、お前」

「ひでぇ、ちょっとぐらい心配してくれたっていいっしょ? オレ、ここんとこ、とことんツイてねぇんでやスよ」

「気のせいじゃねえの。いや、あれだ。ワルイことばっかしてるせいで、罰が当たったんだろ」

「今まで特になにもなかったやスけど……。でも、なんか、コレ盗ったあとから悪いことが続いてる気がするんでやスよね」


 半ズボンのポケットから取り出されたのは、細長い角材。〝くすのきの宿・水星マーキュリー〟の文字と、クスノキの葉っぱが彫られている。


 その〝くすのきの宿〟の客室用キーホルダーを見た瞬間、長躯の男の顔色が変わった。


「――お前、まさか……。ソレ盗って金置いてこなかったのか?」

「当たり前じゃねぇスか。こんなもんに金出すわけないっしょ」

「バッカ野郎! 盗るなら、絶対に金置いてこいって言っといただろ!」


 眉根を寄せた短躯の男は、口を尖らせる。


「だって金もったいねぇし」


 長躯の男が朋輩ほうばいから距離を取った。

 一般家庭育ちの短躯の男と違い、長躯のほうは代々退魔師の家系で、人ならざるモノの恐ろしさ、容赦のなさを知っていたからであった。


〝くすのきの宿〟には、人ならざるモノ――座敷わらしが棲み着いている。

 妖怪は、さり気なく人の世に交じって存在しており、イタズラ好きではあるが、基本的に無害なモノが多い。


 けれども一度、彼らと結んだ誓約せいやくを違えた場合、情け容赦なくその牙をむく。


 湊は実家を出た今もなお、母を介して物を贈り合うほど、座敷わらしと仲がよい。

 その湊がつくった物を勝手に盗る輩を、座敷わらしが見過ごすはずもない。



 数年前、〝くすのきの宿〟の特異性――悪霊すら瞬時に灰燼かいじんす、表札とキーホルダー類に気づいた、一人の退魔師がいた。


 その者がキーホルダーを失敬しようとした時に現れた座敷わらしと交渉を試みた結果『対価を払うなら見逃す』と言われたのであった。


 以来、その噂を聞きつけた――腕に自信のない退魔師たちと極道の面々は宿を訪れ、対価を払ってキーホルダーを持ち帰っている。




「だいたい、わざわざスゲェ田舎まで出向いたっつーのに、手ぶらで帰ってくるわけないっしょ」


 窃盗を働こうが悪びれる素振りもない短躯の男のむき出しの手足には、至る所に大小さまざまな傷がある。


 ――新しいものばかりだ。


 この男は、座敷わらしの怒りを買ってしまった。

 これから先の人生、運という運から見放され、ことごとく不幸に見舞われることになる。


 そう確信した長躯の男は、この仕事が終わったらこいつとは縁を切ろうと心に決め、顎をしゃくった。


「――早いとこ、家の中調べて引き上げようぜ。進めよ」


 廊下を進んだ短躯の男が引き戸を開いた。

 そこは、和室であった。


「うわっ、畳クサッ!」


 殺風景な六畳一間。正面にふすま。庭側が障子しょうじになっており、その前に、古びた和箪笥わだんす一棹ひとさおあるだけだ。


「おっ、なんかいかにもお宝がありそ」


 喜色を浮かべた短躯の男が和箪笥に近寄った。

 まるで獲物を見つけたとばかりいきいきと、三段の抽斗ひきだしを下から順に開けていく。

 それを朋輩は咎めることもなく、後方に突っ立て眺めている。窃盗を働こうとしているが今さらだ。

 家宅侵入した時点で言い逃れもできぬ。


 下段と中段は、カラであった。


「あれ、開かねぇ……」


 引っかかった上段を、短躯の男は力任せに開けた。

 そこには、和紙の束があり、見慣れた形をしていた。


「お、呪符発見!」

「お前、マジで手癖ワリィな」

「またまた、そんなこと言いながら、興味あるっしょ? 楠木ってヒト、呪符も書くんでやスね。……ん?」


 裏返しになっていた和紙をひっくり返す。


「これ、甘酒饅頭って書いてある……。これって、呪符なんでやスかね? それかただの買い物用のメモ?」


 ひょいと掲げられた瞬間、長躯の男は後ずさった。


 彼らは〝くすのきの宿〟の看板、表札、キーホルダーしか知らない。その作り手たる湊が書いた護符とは、初めてのご対面であった。

 しかもこれは、湊が先日試しに今現在の祓いの力を込められるだけ込めた、特別な護符だ。

 なお、湊は書き上げたあと倒れた。


「――なんなんだよ、ソレ……」


 顔を歪めた長躯の男は鼻周りを覆い、絞り出すようにこぼした。

 ひらひらとゆらされる護符は、鼻腔のみならず脳まで直撃する激臭を放つ。いくらさわやかな香りとはいえ、これほどまでに濃いなら害でしかない。


「ひまえッ!」

「は? 今なんて言ったんでやスか?」


 きつく両目を閉じ、手を外して怒鳴った。


「――ソレを抽斗の中に戻せ!」

「なんででやスか? これをちょっとだけパクっていけばいいっしょ。アンタが反応するなら、祓う効果あるってことやスよね?」


 長躯の男は震え上がった。

 あるなんてもんじゃない。ありすぎる。


 桁違いにもほどがある。

 完全に一人間が行使できる力を超えていた。束になった悪霊でさえ、敵うまい。瞬時に消し炭にされてしまうだろう。

 それは、人の域でつくり出せる代物ではない。


 ――神の域のモノだ。


「いいから、元に戻せっ。鼻が痛えんだよ!」


 顔面を腕でかばいつつ、焦れて叫んだ。

 しぶしぶと短躯の男は、護符を元に戻す。

 が、身を屈めて呻く朋輩を見るや、その手がこっそり護符へ伸びる。

 バタンッ! 音高く抽斗が閉まった。


「ハァー!? なんで、勝手に閉まるんでやスか! このオンボロ抽斗!」


 引手を力任せに引くも、今度はミリも開かなかった。

 ようやく長躯の男が復活し、ぶつくさ文句を垂れる非能力者を羨ましげに眺める。


「……もう、帰ろうぜ」


 長躯の声に覇気はない。一気に気力が萎えてしまった。

 短躯の男が和箪笥に拳を打ちつけ、立ち上がった。


「そうでやスね。んじゃあ、最後に押し入れを拝見〜」


 片引きの襖を激しい勢いで開ける。スパーンッと派手な音が鳴った。


「なんだここ、押し入れじゃないじゃん……」


 またも和室であった。

 八畳の間。和箪笥はなく、正面に二枚の襖があるのみ。

 短躯の男が顔をしかめた。


「なんか、畳の匂いが強くなったでやスね……」


 足音高くヘリを踏みつけて襖を開けると、お次は十畳がお出ました。短躯の男が憤慨する。


「なんスか! この家! 畳ばっか! クセェ!」

「おい、待て!」


 焦った大声から待ったをかけられ、短躯の男は襖に手をかけたまま後ろへ顔を向ける。

 朋輩は六畳の部屋から動いていなかった。


「先輩、早くいきやしょーよ。オレ、畳マジ嫌なんスよ」

「お前、気づかねぇのかよ!? どう考えてもおかしいだろうが!」


 長躯の男の顔色は真っ青だ。

 それを見ても、短躯の男は止まらなかった。襖にかけた手に力を込めて開けたら、十二畳の和室があった。最奥には四枚の襖がある。

 それを遠目に見た長躯の男は、片足を退いた。


「よく考えてみろよ。こ、この家……こんな長く続く部屋がありそうなとこだったか!? せいぜい三部屋くらいしかなさそうだったじゃねえか! そのくせ……なんで、こんなにずっと部屋が続いているんだよ……。あ、ありえないだろッ!」


 泡を食い、身を翻す。その鼻先で引き戸が、電光の速さで無慈悲に閉まった。


 ふんわりと、どこからともなく甘酸っぱい香りが漂ってくる。

 長躯の男は引き戸に顔面からぶち当たり、和室の異様さに気づいた短躯の男が駆け戻る。


 その二人を、夏みかんの香気がやわらかく絡みつくように包んだ。



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