19 トレビア〜ンな木彫りに変身
ここに来たばかりの頃、そんな力は遣わなかったはずだ。
四霊は霊妙なる獣であり、神獣ではない。
けれども、応龍が行使する力は神たる山神と大差ないだろう。
そのうえ雲を操ることも不思議で仕方ない。霊獣が持つには過ぎたる力ではないだろうか。
思えば、青龍がここを訪れたあとから応龍の力が増したような――。
考え込む湊をよそに、二艘の舟を引き連れた応龍はクスノキの木陰に降り立った。
そこには、霊亀と麒麟が待ち構えていて、輪になった三匹の真ん中へ二艘が舞い降りた。
『借りてきたぞ』
『ご苦労ぞい』
霊亀が応龍を労う間、麒麟は舟たちを睨みつけていた。
『なぜ、この舟らにわたくしめの鱗は使われなかったのでしょうか。帆にだってなんだってなりえましょうに……!』
しなやかな尾が不満を表し、鞭のごとく振れている。
霊亀がぬっと首を伸ばす。
『まぁ、そういうなぞい。湊はこだわりが強いから、さも舟の見た目にしたかったんだろうの。実際、水に浮かべるわけでもなかろうが……』
『いえ、浮かべることもあるかもしれません。わたくしめ、知っております。クスノキは舟にも適した木なのだということを』
キリッと麒麟が頭上を見上げれば、さわさわと枝葉がゆれた。
『昔から多くの者どもが山ほどの、いいえ、山がハゲ散らかるほどのクスノキや他の大木を切り倒し、舟の材料のみならずさまざまな物へと使用してきました。愚かなことです。木が大木と育つまで、いかほどの時を有するか考えもしないのです。人間一人の寿命程度では、到底足りないというのに……』
深々とため息を吐き出した。真向かいの応龍が羽をわずかに開く。
『いやに詳しいな。人間嫌いでありながら、それらの観察を好むという、わけのわからん趣味を持つだけはある』
その場に不穏な空気が流れた。クスノキの樹冠がなだめるように細かく震えるも、効果はない。
『どこがわけがわからないのです。敵の観察は必須でしょうに。まず相手を知らなければ話になりません』
刺々しい麒麟の物言いを応龍は意にも介さない。
『知ったところで、なにも役立たせることはできんだろうが』
二匹の間に、幻影の火花が散った。
頭部を下げた麒麟の前足が地に食い込み、羽を広げた応龍が大きくアギトを開けた。
ガチンコ勝負開幕かと思われたその時、霊亀が半眼をかっぴらく。
『ええ加減にせえ』
ドスのきいた鶴の一声が響くや、麒麟と応龍がピタリと動きを止めた。
その二匹を霊亀は順に睨みつけ、最後に二艘の舟で視線を止めた。
『この舟らが壊れたらどうするつもりぞい』
即座に応龍と麒麟は気を鎮め、居住まいを正した。
『すまん』
『申し訳ありませんでした』
『うむ』
鷹揚に首肯する霊亀の眼はもう半分閉じられている。
普段、霊亀――四霊の最年長かつまとめ役が怒ることはまずない。だがしかし、度が過ぎればしかと物申す。
『しからば、誰がこの舟らに加護をやるかぞい』
『それはやはり、抜け殻を用いられた朕らだろう』
ギリギリと麒麟が歯噛みするが文句は言わなかった。
それを見た霊亀が首を伸ばし、自らの抜け殻が張られた舟をさした。
『麒麟や、こっちには
『ありがとうございます、霊亀殿!』
喜色の乗った声で告げた麒麟は、すぐさま表情を改めた。
『わたくしめ、必ずや、きちんと加護を与えてみせますッ』
その背に紅蓮の炎が燃え盛った。
麒麟は湊に加護を与えた時、打撃までも喰らわせてしまい、地にめり込むほど反省して、次の機会を狙っていた。本当ならば、自らがモデルとなった木彫りに加護を与えたかったが、いかんせんまだ完成していないから致し方あるまい。
この舟にしかと与えてしんぜようと燃えている。
その姿を前に、眼を眇めた応龍だったが、とりわけいちゃもんはつけず霊亀へ問うた。
『湊はこれを売って、金銭を得ようとしているのか?』
『そのようぞい』
応龍は、まるで解せない言わんばかりの表情になった。
『なぜだ、アレを買えば済む話だろう。――あの……アレの名はなんといったか……。確か紙切れだったと思うが、カネが何倍にもなって返ってくる物があったろう』
人の世に微塵も興味がない応龍は、世間知らずである。
それに引き換え、やけに世情に明るい麒麟がさりげなく教えた。
『もっとも有名な物は、宝くじと申します』
『そう、それだ。なにもこれを売らずとも、否、売ることに反対ではないのだが、わざわざ手間隙かけずとも、そのくじなる物を買えば済む話だ。朕らが加護を与えておるから、必ず当たるだろうに』
霊亀と麒麟は顔を見合わせ、霊亀が浅く息を吐く。
『龍や、わかっておらんな。あの湊ぞい。楽をしてカネを得ようとする考えなんぞ、一切持ち合わせておらん』
『そういう方ですからね……。ですので、少しでも高く売れるよう、わたくしめたちでできるお手伝いをしましょう』
麒麟にまで諭され、ややバツが悪そうになった応龍は、自らの皮が張られた舟を注視した。
『ならば、朕がこれに加護を授けてくれよう』
『お待ちください、応龍殿。いかような加護を与えるおつもりですか?』
四霊が付加する加護は、基本的に福を招く効果がある。
他に、一つの効果に絞った――鳳凰が親方の健康を取り戻させたモノや、麒麟が湊に与えた悪縁を弾くモノがある。
応龍は、上げかけていた前足を下ろした。
『まんべんなく福を招くようにするつもりだが……』
『一つに絞ったほうがよろしいのではありませんか? そちらのほうが効果は高いですからね』
応龍が口を開く前に、霊亀が割り込む。
『そのほうがええかもしれんぞい。小耳に挟んだところによると、この舟らを卸す店はやや変わっておるらしいからの。やけに清浄な場所で、神域に住まう人間によってつくられる物ばかりが売られておるという』
『ほう?』
応龍はさして思うことはなさそうだが、麒麟はしたり顔で頷いた。
『なるほど。そうであるなら、そこへ出入りする者たちの中には、わたくしめたちの加護に気づける者もおりましょう。――もしかすると、客の中に神もいるかもしれません』
首を傾けた応龍のヒゲがゆれた。
『人間が賄う店に神が出入りするのか?』
『はい、そういう店はさして珍しくありませんよ。この国だけではなく世界各地に存在しますし、店の経営に神が携わっている場合もあります』
『それは、予も知らんかったぞい』
感心する霊亀へ、フフンと得意げに顎を上げた麒麟を横目に、目を伏せた応龍が熟考に入った。
沈黙の落ちた場に、クスノキの枝葉がこすれる音だけが優しく流れる。地面にいくつもの雲の影が通り過ぎていった。
悠久の時を生きる彼らは、元来のんびり屋さんである。
欄と光る眼の応龍が顔を上げた時、時計の長針が半周した時が経過していた。
『ならば、朕は災いをはねのけ、身を護る効果を授けてくれよう』
『ええ効果ぞい。売れるであろうの』
『よな』
霊亀のヨイショを受け、応龍は気分よさげに前足を掲げた。その三本指の中央に四方から青銀の粒子が集まっていく。あっという間に丸い珠となったそれは、まるで宝珠のようだ。
それをそっと舟へ乗せた。まばゆい閃光が拡散し、すぐさま溶け込むように消えていった。
もとより、煌めいていた帆はさらに明度を増し、舟自体も光のベールに包まれた。
『さらに、見栄えが上がったぞ』
応龍は満足そうだが、湊なら派手だというだろう。
ともあれ、その光は常人の視界には映らない。やけに目の優れたいづも屋の店員は見た途端、度肝を抜かれるかもしれないけれども。
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