18 素敵な木彫りに変身




 橋梁工事代を稼いでみせる。

 そう決心した湊は、燃えに燃えていた。

 家の管理人本業の給金をはるかに凌ぐ、副業の護符づくりに昼過ぎから精を出していた。

 ここ最近、祓いの力と神の力もあまり行使せず過ごしたおかげで、筆の動きも軽快だった。


 早々と護符の作成を終えたら、お次は木彫りに取りかかる。

 こちらは、和雑貨店・いづも屋に持っていく物だ。先日、南部の散策中に惹かれて入ってみれば、店員に木彫りを気に入られて卸すことになった。

 果たしていくらの値がつくのか皆目見当もつかない。

 あまり期待しないほうがいいかもしれない。


 なお、実家からの依頼で温泉宿の表札やキーホルダーを作成しているが、そちらの代金は基本的に現物支給となっている。

 定期的に母から地元絡みの品々が大量に送られてくるため、まったく不満はない。


 むしろ、この近辺では手に入らない物ばかりで大変助かっており、送られてくるのを楽しみにしているくらいだ。

 昨日、いづも屋で購入した組紐をつけた狼の木彫りと、表札・キーホルダーを作成して送ったばかりである。

 今回は数が少なかったから、また手癖の悪い客に盗られて長くは保たないかもしれない。


 ちなみに、彼らからの〝侘び代〟はすべて貯金されている。相当な額になっているが、湊はそのことを知らない。

 湊がまとまった金を必要とする際、渡す手筈になっている。


 湊は、そろそろ盗難の件に関して家族と相談しようと思いながら、小刀で木を削る。

 おぼろに浮き出たその形は、亀だ。霊亀を彫っていた。

 角材からどんどん形が浮き彫りになっていく過程を、横臥した山神は見るともなしに眺めている。


「木を彫るのも、ずいぶん手慣れてきたものよな」

「そうかな、でもまだまだだよ」


 人それぞれ異なるようだが、湊は木材の中に形がみえる性質ではなく、ひとまず下絵を描いてから、それに沿って木を彫っている。


「でも、いくつか練習した甲斐はあったかも」


 その言葉通り、粗彫りを行う小刀の扱いも様になってきた。

 ひよこと狼を仕上げ、その後、練習を兼ねて簡単な形の舟を二艘作っていた。

 舟にしたのは、ひさびさに海に赴いて舟を見たからというのもあった。


 しかしながら、宝船のように立派なモノではなく、ただ角材をくりぬいて形づくった丸木舟だ。手のひらサイズのそれらも、神木クスノキを使用している。

 湊は作業の手を止め、脇に置いていたその一艘を目線へ掲げた。全体をくまなく眺める、その眉間には深々とシワが寄っている。


「うーん……。出来は悪くないと思うんだけど、味気ないよね。飾り物としては微妙な気がする」

「そうさな、ただの小物入れにされてしまうかもしれぬぞ」

「それでもいいけど……」

「帆でも張れば、多少は見栄えがよかろうて」

「あ、確かに。じゃあ、真ん中あたりに帆柱を立てて、それから帆の材料は――」


 湊が室内を見やる。ダイニングテーブル上の和紙は播磨から支給される物だ。それを使うわけにもいかない。


「あの和紙に似た物ならどうだろう。いや、それよりも布のほうがいいか――」


 今度は、縁側の端へ目を転じた。

 そこには、別の神域への入り口が存在し、中には神木クスノキの木材の他に、霊亀と応龍の脱け殻・麒麟の鱗も入っている。


「亀さんと龍さんにもらったあの脱け殻、使ってもいいかな……」

「構わぬであろう。むしろ使ってやるとよき」


 仰向けでくつろぐ山神は、なんてことない口調でいってのけた。


 もしこの場に、一般常識を持ち合わせた者がいたのなら、さぞかしたまげたことであろう。唯一無二の存在たる四霊の抜け殻と鱗を加工して売ろうとしているのだから。

 不幸にもなのか幸運なのか判然としないが、ここには、一般的とはいいがたいモノしかいない。

 山神をはじめ、庭でくつろぐ霊亀、応龍、麒麟、誰ひとりとして。

 湊たちの会話を聞いていた四霊すら『ご随意に』とばかりに首を縦に振っている。


 湊は帆柱と帆桁ほげたをつくったあと、保管庫から応龍と霊亀の皮を取り出し、両手で広げるように持った。その顔面を下から真珠色の光が照らしている。

 手に伝わってくる極上のなめらかさは、到底この世のモノとは思えない。

 湊は改めて、その輝きと質感におののいた。


「とんでもないモノなんだろうけど、しまっておくのはあまりにもったいないよね」

「お主が持て余すのであれば、大いに用いて売りさばくとよき。――かの店に惹かれる者らに、悪人はおらぬゆえ」

「そうなんだ。でもあの清浄な気配がするいづも屋さんなら納得」


 いづも屋は、店舗自体とその店先も清浄さに満ちた不思議な所だった。

 それを思い出しつつ、湊は応龍の脱け殻を座卓に敷き、切る長さを決める。


「だいたいこんなものかな」


 いざハサミを入れたら――。


「――切れない」


 閉じることもできず、キズ一つすらつけられない。まるで歯が立たなかった。


「すごいな。防御力が高すぎる」

「なにも切らずともよかろう」

「でもそうしないと張れないよ」

「ならば、我に任せよ。それらをこちらへ。――ハサミはいらぬ」

「あ、はい」


 舟と抜け殻を山神の前に置いた。

 山神が広げられた抜け殻に前足を乗せた。見る間に抜け殻が小さくなっていき、さらには形が変わった。

 四角になってしまった。


「帆というのは、こういう形であろう」

「まさにそれだよ」


 湊は見入りながら答えた。山神が前足を引き上げると、肉球にピッタリと張り付いている。そうして、帆桁に近づけると、くっついた。

 湊が感動に打ち震える。


「糊いらず! 素晴らしい……!」

「もう少しマシな感想は云えぬのか」


 前足を引く山神は半眼になっている。

 それから帆に顔を近づけ、フスっと鼻息を吹いた。帆が大きく膨らみ、座卓を滑る。向かってきたそれを湊は両手で受け止めた。


「すごい、水に浮かべても問題なく走れそうだ」

「むろんぞ」


 自慢げな山神はもう一艘にも霊亀の抜け殻で帆を張った。




 かくして素朴な木舟が、霊亀と応龍の脱け殻を帆として張ったことにより、宝船のごとき佇まいへと変貌を遂げた。

 座卓に並ぶ世にも珍しい二艘の木舟を前にして、湊は渋い顔をしている。


「帆が目立つ。これはこれで……舟が帆に負けてるような……」

「否、どこも負けてなぞおらぬ。木とて神木クスノキである。比類なき至宝ぞ」

「まぁ、うん。物自体はいい物だけれども」


 やはり木彫りの出来ではなく、そちらに価値を見出されるかと湊は苦笑する。どちらの材料も極めて希少ゆえ、こればかりは無理からぬことであろう。

 庭の中心でクスノキが樹冠を縦に振るのを視界の端で捉えつつ、湊は麒麟の鱗を指でつまんだ。


「麒麟さんの鱗はまた別のモノに使おう」


 太鼓橋で伏せていた麒麟が、がっくりと頭部を落とした。その下方、優雅に泳ぐ応龍が薄笑いしながら、橋の下を通っていった。

 残念ながら、モデルを熱望してくれる麒麟と応龍の木彫りには、まだ手をつけていない。なにぶん彼らの造形は難しく、依然、絵の段階で止まっていた。


 そろそろそれらの絵も仕上げなければならない。

 そう考えていると、小さな羽音が聞こえて顔を庭へ向ける。応龍が縁側のへりに舞い降りるところだった。


「龍さん、どうかした?」


 羽を畳んだ応龍は湊を見てから、鼻先で舟を差した。


「見たいのかな。どうぞ」


 頷いた応龍の長いヒゲがしなった。帆を張った二艘が浮き上がり、宙へ出航する。背を向けた応龍が羽ばたくと、危なげなく追走していった。

 Bon voyageよい旅を

 遠ざかる一行を見送った湊は、首をかしげる。


「龍さん、あんなこともできたんだ……」


 まるで山神のようではないか。

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