17 その声の正体
ザンッと縦に分かれ岩が音高く地に伏せた。
土煙に包まれたその片方へ、湊は指先を向ける途中で、腕を下ろした。
「やっぱり大岩を斬るのもったいないよね」
周囲の岩から岩へ飛び移っていたウツギが湊の足元に降り立つ。
「じゃあ、まとめて道脇にでも積んでおく?」
「そうしようかな。そのほうが目印になるし、景色も変わって山歩きも楽しいだろうし」
延々と風景が変わらない山登りは飽きがくるうえ、何より精神的に厳しくなってくる。
「オブジェみたいに飾っておけば、誰かの救いになるかもしれないしね」
大岩に神秘性を見出すのは、万国共通でもある。きっとこの岩を目にした人々もそうに違いない。
腕を組んだ湊が一人納得するも、ウツギがつぶやく。
「ただの岩なのに……? 人間ってホント変わってる……」
湊は傍らの切り立つ岩へ近寄った。それは、円錐の形をしている。
「これとか、いかにも山っぽい見た目だよね。庭の片隅にあったらかなり存在感を放ちそうだ」
まるで誰かさんのように。そう思い、ニヤけていた湊の鼓膜を重低音が打った。
「ほう、左様か。さては、庭に山を置きたくなったな」
振り返ったら、山神が登山道をくだってくるところだった。
その最中、四方の岩を注視する視線は熱い。
「石で高さを出した庭もよき……」
完全に品定めをしている。
「そういうわけじゃないけど、まぁ、岩を持っていくぐらいなら神力はさほど遣わないか。――というか、俺が風で運べばいいか」
「今日は快晴だよ。すっごい遠くからでも岩が落下するのが見学できちゃいそうだね〜」
ウツギにからかわれ、湊はあっさり諦めた。
「――やめとく。万が一あの家の屋根に落としたら詫びのしようもないしね」
気に入ったらしき大岩をなでながら、山神がちらちら見てくるも、気づかないフリをして、近場の巨岩を風で転がした。
あらかた岩を片付けた湊とウツギは、次に丸太階段の修繕に取り掛かった。
カンカンと小気味よい音を響かせ、湊は木槌で杭を打ち込む。その階上で寝そべる山神が、規則的なその音に眠気を誘われ、大あくびを一つ。杭を支えるウツギは見上げて、山神の赤い口内を見て呆れている。
丸太階段はあと数段で完成というところまで漕ぎ着けた。だがしかし、丸太も杭も足りない。あらかじめ御山の木を伐採し、丸太と杭を準備していたのだが――。
「あー、材料の数ミスったみたい」
湊が階上を見上げたら、山神はうとうとしていた。
「山神さん、また木の乾燥をお願いしてもいい?」
「――うむ。そうさな」
山神は、気だるげにウツギを見下ろす。
「ウツギ、ぬしがやってみよ」
「うん!」
待ってましたとばかりに、ぴょんと飛び跳ねた。
本来、木材は乾燥させて使用するものだ。
中に水分が残った状態では、自然乾燥する過程で収縮・変形が起こり、完成品や建造物に歪み・不具合などが生じる。
乾燥させたからこその利点も多い。強度が増し、カビや木材を腐らせる
ただ、その乾燥にはいたく時間を要する。天然乾燥なら半年以上もかかる。
けれども昨日、湊はその工程を数秒で終わらせていた。
山神の神域を利用したおかげである。
神域内の時間は自在に操れることを田神の神域で身をもって知り、試しに山神に頼んでみたら、あっさり行ってくれた。
それから木材の表面に防腐剤も塗装し、仕上げの乾燥まで済ませてある。
なお、神木クスノキからとれた木材は乾燥がいらない。
かの木材は、水分を含んでいるからこそ、破邪の効果を保っている。
ついでにいえば、クスノキの木材を加工できるのは湊のみである。
なぜなら、依然意思が宿っており、なんぴとたりとも、その表皮に傷すらつけられないからだ。
湊が新たに伐採した丸太をウツギに渡すと、傍らに浮かぶ黒い穴へ放り込んだ。
その穴が急速に閉じると、ウツギはムンと拳を握り、気合いを入れた。
「じゃあ、
「よろしくお願いしまーす」
同じ階段に座る湊が見守った。
ウツギも神域内の時間を操れるようになっているが、まだ完璧ではない。時間を過去へ戻すことは容易でも、未来へ進めるのは難しいため、まだ習得できていなかった。
両眼を閉じたウツギの前足が、中空で何かをかき混ぜるように動いた。眉間に盛大なるシワを寄せ、軽く唸る様は誰も触れられないような威圧までも発している。
その集中力の高さをまざまざと感じ、湊は息さえ殺して待った。
山神はといえば、最上段の位置で前足を垂らして舟を漕いでいる。
それなりの時が流れ、ウツギの尾が急速に膨らんだ。
「できたッ!」
「んあ?」
バチンッと頭部に匹敵するほどの鼻提灯が割れ、山神が目を覚ました。ブルブルッとかぶりを振る様を湊は見上げることもない。やる気のない山神はいつものことだ。
「ちゃんと乾燥できてるはず! じゃあ、いまから出すね。よいしょ、と」
ウツギは空間に穴を開け、そこからズルリと丸太を引っ張り出した。
確かに乾燥はできているようだ。けれども残念ながら、二つに分かれそうな深い亀裂が入っていた。
これでは使い物にならない。
「あー、失敗しちゃった……」
耳を下げたウツギがしょぼくれる。
「本当に難しいんだね……。それになんだかこの丸太、すごく時が経ったみたいな見た目になってる」
表皮も乾燥しきって、湊が指先で少し触れただけでパラパラとこぼれ落ちた。
山神は手ぐさみのように生木の杭を転がしつつ、告げる。
「入り口を閉じてすぐ急激に時を進めたゆえ、その時すでに割れておったぞ。そのあとも時を流しすぎたな。その丸太は優に百年は経っておる」
「ひゃ、百年も?」
空恐ろしさを感じた湊が上半身を引いた。
「もう一回! もう一回やる!」
飛び跳ねつつ意気込むウツギに、湊は丸太を恭しく差し出した。
「よろしくお願いします」
再びお願いすれば、頷きながら受け取ったウツギが穴へねじ込む。それを山神はあくびをしつつ眺めている。
「材料はごまんとある。ぬしの好きなだけ励むとよい」
「確かに」
湊も同じ思いだった。山神の言葉通り材料には困らぬうえ、急ぎでもない。
かずら橋の修繕は来月からの予定であり、そこまでの道行きの整備はもう済んでいるため、時間に余裕はあった。
ウツギのみが奮闘する間、手持ち無沙汰の湊は階段の路面部分を踏み固めて歩いた。
ふいに横から風が吹きつけてきて、その中に風の精の気配を感じた。
ぐるりと周りを回遊する彼らに、片手を挙げて応えていると、木々越しの下界が見えた。
豆粒サイズの建築物が埋まる町並みを分断するようにゆるやかな川が通っている。
先日、泳州町に赴いたからこそ、その川が町と町の境界線になるのだと知った。いままでただの風景でしかなかった景観が、意味を持つようになったともいえる。
じっと目を凝らして、川付近を見つめた。
「さすがにここからじゃ、シロナガスクジラのモニュメントは見えないか」
「あれ、すっごい大きかったよねぇ」
しみじみというウツギは、先日受けた衝撃を忘れられないようだ。その前足はふわふわと漂うような怪しげな動きをし続けていて、術を行使している。
ややあってピタリと動きを止め、顔を上げて力強く言い放った。
「よし、できた! 今度の丸太こそばっちり乾燥できたよ!」
その周囲には木材の成れの果てが堆積している。
ウツギが神域の時間操作をはじめた頃、中天にあった太陽もかなり高度を下げて、山神も本格的に寝入っていた。
「お、できた?」
湊が階段を上ってくる。その靴が踏んでいく路面は、象が乗っても大丈夫なほど、踏み固められている。
湊がウツギのそばまでいくと、神域から取り出された丸太がズイッと突き出された。
ひびや割れなぞどこにもない。しかと乾燥されているようだ。
「おお、素晴らしい」
丸太を回して確認した湊が感嘆の声をあげた。
ウツギは腰に手を当て、ふんぞり返る。
「もう完璧に時間の調整覚えたもんね。これからはすぐにできるよ!」
「すごい、すごい」
「うむ。ならば、次は千年先を目指さねばな」
拍手して褒める湊と打って変わり、山神は眼を開けることもなく、課題を出した。
むぐぐ、と唸ったウツギの下方、湊は丸太を階段に立てる。その表面を指先で縦になぞると、真っ二つに切断された。
指先から圧縮した風を薄く、細く噴射して斬ったのだ。ウォーターカッターの風版といったところか。
湊の風遣いは、妙な方向で熟練の域に達しつつある。
二つに割った木材を両手に持った湊が立ち上がる。
「山神さんは本当、厳しいねぇ。あ」
片手から落ちた木材が、カコンと山中に快音を響かせて同意した。
材料はそろったものの、防腐剤はない。
「今日のところはここまでにするよ。お疲れ様でした。ウツギ、手伝ってくれてありがとう」
「どういたしまして〜」
湊、ウツギ、山神の順で階段を下りた。
ウツギは元気がありあまっているようで湊の足元をぐるぐる回る。あまりに速く、まるで白いドーナツのようだ。
思いながら湊が笑っていると、
「打チ上げシヨ〜! オ酒呑ミターイ!!」
ウツギの声で耳を疑う台詞が聞こえた。
「お酒……? ジュースじゃないの?」
ウツギは、酒は呑まない。興味を示したこともなかった。
湊は足元をよく見て、回る中に白い塊が二つあることにようやく気づいた。その二つがピタリと正面で止まり、体を起こした。
毛並み、顔つきもそっくりなテンが二匹。煌めく黒眼も同じだ。
が、片方の尾は茶色だった。
ウツギがそれを見下ろし、こそっとつぶやく。
「尻尾真似できてないよ」
「アウ、シマッタ〜」
ぺちっと自らの額を叩き、ドロンと白煙を上げた。
それを割って飛び出してきたのは、四肢を持つ茶色い毛むくじゃら。スタコラサッサと階上へ向かう途中、振り返った。
むくむくの体つきに、隈取りのある顔の正体は――。
「タヌキだ……!」
見上げた湊に言い当てられると、タヌキは眼を弓なりに細めた。
「ニヒヒッ」
愉快げに笑い、目にも止まらぬ速さで階段を駆け上がっていった。
己の声真似をしていたのはかのモノかと湊が見送っていたら、山神が飄々と告げた。
「あやつは、なかなかの
「そうなんだ。タヌキって本当に化けるんだね……。しかも声までそっくりだった」
湊は、いたく感慨を覚えていた。同時に不思議でもあった。
「なんではっきり見えたんだろう」
「もとより実体を持っておったモノが転じて妖怪となったゆえ、異能を持たずとも誰しも見えよう」
「――そっか」
ならば、座敷わらしはダメなのか。
目を伏せる湊へ向かい、山神が告げた。
「生まれ持った異能を失いたくなくば、意識して遣えばよい。ただそれだけぞ」
顔を上げた湊を山神の鼻先が促す。その方向へ湊が目も意識も向けると、木立の陰に白くぼんやりしたモノ――妖怪がいた。
「いる……! 前より薄くなった気がするけど視える!」
「意識すれば、そのうち感覚を思い出せよう。そのうえ、感度が上がるやもしれぬぞ。なにせ我の山には掃いて捨てるほど妖怪が棲み着いておるゆえ」
「イヤー! 捨テナイデー!」
ぼんやりした白いモノから、上空から、横手から。至る所から悲壮な声があがった。
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