16 御山、そこは魔境であった




 久方ぶりの快晴の日である。

 朝日をたっぷり浴びた御山の木々は、青々と色づいている。

 理想的な山の風景が広がる中、突如、それに似つかわしくない異音が響いた。

 枝から一斉に飛び立った小鳥たちが青空へ逃げていく。

 もし彼らが振り返ったならば、見えただろう。登山道を覆う藪が片面だけ綺麗に刈られていくのを。


 むろん、風遣いたる湊の仕業である。

 登山道の真ん中に立つ彼の前方は、藪だらけだ。足の踏み場もないとはまさにこのこと、といった様相を示していた。


「自然のたくましさ、恐るべし」


 湊が人差し指を弾くと、風のやいばが放たれる。道の側面に沿って走り抜け、いとも容易く藪を切断していった。


「植物たちみんな元気だからね〜。いいよいいよ、どんどんやっちゃって〜」


 近場の木の枝に座ったウツギが弾んだ声でいった。

 湊が折り重なった藪を刈り込む間、その上方でウツギがサル顔負けの速さで木から木へ飛び移り、行く手のほうへ登っていく。

 風の刃が藪を抜け切るのを見計らい、ウツギは幹から跳んだ。まっすぐ道を横切り、反対側の木へ。その軌跡をなぞるように、空間に横一文字の切れ目が入る。

 幹に張りついたウツギが両眼をつぶると、その切れ目の中心が上下へ開き、丸い穴が空いた。


 山道の上に浮かぶ黒々としたそれは、まるでブラックホールのようだ。

 いったいどこへつながっているのだろう。

 湊が思っていると、


「湊〜、いいよ〜」


 ウツギの脳天気な声が木霊した。

 その穴へ刈り取った藪を入れ込めばいい。

 ここまでの道行きも同様のことを行ってきて、湊の背後には、なだらかに下方へ延びる道のみがお目見えしている。


 その果てに小さく見えるかずら橋には、手をつけていない。

 橋は専門家に任せ、そこまでとそこからの登山道の整備は湊が担うことにした。


「ああ、うん。いくよ」


 風で藪を押しやり、巻き上げ、穴へ放り込んでいく。

 さほど時間も手間もかからず、登山道が明るみになった。そこを歩きつつ、湊がしみじみいう。


「本当、風が遣えるって便利だよ」


 穴を消したウツギは、道へ降り立つ。


「本当だよね。羨まし〜」

「空間に穴を空けるのもすごいよ」


 そうでなければ、作業はここまで順調にいかなかったろう。本来なら数日がかりであろう作業時間がありえないほど短縮され、しかも藪の処理費用いらずで済んでいる。

 ウツギがくるりと回った。


「えへへ〜、そう?」

「もちろん。大変、助かっております」


 道の端まできたら、今度は積み重なった倒木が出迎えてくれた。それらを覆う苔や藪はまるで布団のようだ。

 彼らはここで、安らかに眠りについている。そんな感想を抱くも、心を無にした湊は風で容赦なく斬り払っていった。




「だいぶ進んだね〜」


 眼下の道を見ながらウツギが告げた。


「そうだね。祠まであとちょっとかな?」

「うん。その前に岩たちが待ってるけどね」


 大量の岩が斜面に散らばっていた。大小さまざまで最大な物は湊の身長に届きそうだ。

 湊が傍らのウツギを見やる。


「岩も穴に入れていいの?」

「いいけど、ちょっと大きいんだよね〜。湊、風で斬って小さくしてよ」

「岩は斬ったことないから、できるかな」

「物は試しだよ。あ、神威はなしでね!」

「わかった。やってみるよ」


 近場の手頃なサイズな岩を目がけ、縦一閃。あっさり二つに割れた。


「――結構簡単だった」


 湊はV字に開いた割れ目に見入る。


「斬り口もまずまず」


 ウツギがそこをするりとなでた。


「綺麗に斬れてるよ。果実みたいだね〜」

「そうだね」


 答えつつ、湊はその周りの岩を順に、縦、横に割って小さくしていく。難なく斬れるとわかれば、ためらうこともない。歩を進めつつ、たんたんと単純作業をこなした。

 湊の目線の高さはある岩を複数個にバラしたら、その背後、やけに横幅の広い岩があった。


「大物発見。これ、もっと小さいなら漬物石によさそうな形してる。――なんだか割るのがもったいない気もするけど……」


 それへ向け、指を弾きかけた時、


「あ、それはダメ!」


 ウツギの鋭き制止がかかった。

 反射で手の角度を変えると、射出した風の刃は別の岩を一刀両断した。

 その隙に、サササッと漬物石が逆方向へ移動していく。そのカニめいた横っぱしりに湊が目をむいた。


「なっ、岩じゃなくて生き物だった!?」


 一瞬慌てたがハッと何やら気づき、数歩後ずさった。


「ま、まさか、神霊が宿りし岩とか!? だとしたらまずいことに……!」


 焦る湊の傍ら、小さい石を自らの穴へポイポイ蹴飛ばすウツギが顔も上げずにいった。


「湊、しっかりして。アレ、そんな大層なモノじゃないよ。神気発してないでしょ」


 湊が探る間、デカイ漬物石は木立を盾に右へ左へ動く。その人をおちょくる動作に心当たりがあった。


「――あ、妖怪?」


 その言葉を聞くや、漬物石の輪郭がゆらめく。しゅんと一気に小さくなり、黒い毛の塊へ変わった。

 それを湊が認識した途端、斜面をゴム毬のように跳ねつつくだって、逃げていった。

 あたりは、再び静寂に包まれた。

 見えなくなってもまだ、湊は消えた方向を気にしている。


「いったいなんだったんだろう。全然正体がわからなかった……。毛むくじゃらなのは間違いないけど」

「さあ、なんだろうね」


 明らかにとぼけて、ウツギは湊の傍らを通り過ぎる。


「そのうち自らあいさつしてくるかもしれないよ。その時のお楽しみってことで!」

「――そっか」


 そういうのならば、先刻の妖怪はこちらに敵意は持っていないのだろう。ただからかわれただけのようで、湊はやや安堵していた。


 湊は、妖怪が認識できていた祖父の存命中、忠告を受けている。

 実家に現れる妖怪なら接触を試みても構わないが、山の中のような人里離れた場所にいる妖怪は避けるようにと。

 たとえ、その存在に気づいたとしても、できるだけ相手にそれを気取らせるなとも。


 実家には、守り神に近しい座敷わらしがいる。

 そのため、座敷わらしが許可した妖怪しか敷地内に入れず、入ってくるモノは、たいてい人間に友好的で無害だ。

 しかし、人里離れた場所に棲まうモノたちは、人嫌いの場合が多い。


 好んで人間や動物を捕食する残忍極まりない妖怪は、昔と違って今はほとんどいない。

 が、ゼロではない。

 とはいえ、あちらからちょっかいをかけてくるなら友好的な妖怪だと、湊は経験上知っている。


「いままで山神さんちでまったく妖怪と会ったことないから、今日出て来てくれたってことは、仲良くしてくれる気はあるってことかな……」


 独り言を言いながら湊が岩を切り刻んでいると、ガサガサと答える音があった。

 見上げれば、頭上から葉っぱが降ってくる。パラリ、パラリと行く手へ導くように、順に降り注いだ。


 その仕掛け人を見定めるべく、目と意識を上方へ向けるも、どこにも姿は確認できず、片鱗すらうかがえない。

 それでも、湊は目を凝らす。――しかし、やはり視えない。生い茂る枝葉で視界は良好とは言いがたく、物理的理由のせいなのか。それとも――。


「俺は、もう妖怪が視えないのか……」


 山神曰く。先天的な能力であっても、普段まったく遣わなければ鈍って、いずれは失われるのだという。

 気落ちした湊の横を歩むウツギが小首をかしげる。


「たとえ視えなくなったとしても、なにも困らないよね。嫌なの?」

「嫌だよ。実家に帰ってわらしさんのこと全然視えなくなったら困る」


 湊は座敷わらしのことを家族の一員だと思っており、大事な身内扱いしている。ゆえにその存在を認識できなくなるのは、あまりに寂しく悲しい。




 それから、湊は気を取り直して作業を続けた。

 直射日光が降り注ぐ崖沿いの道に立ち、上方のウツギへ声を張る。


「ウツギー、風撃つよー!」

「風撃ツヨ〜!」

「え?」


 まるで輪唱するような声がどこからか聞こえた。

 四方を見渡すも、人はおろか動物も見当たらない。


「ウツギー、なにかいった?」

「いってないよ〜!」

「言ッタ〜」


 おかしい。ウツギのあとに聞き慣れない声がした。

 それは若い男の声で、不思議となんとも言いがたい気分になった。

 顔をしかめる湊に向かい、ウツギが駆け下りていく。


「今の声、湊にそっくりだったよ。上手いよね〜」

「俺に? まぁ、自分の声って違う風に聞こえるものだけど……。だから変な気持ちになったのか」


 突然、頭上からカラカラと細かい小石が急斜面を転がり落ちてきた。よもや落石かと斜面から距離を取って見上げても、何もなく追撃もない。

 警戒する湊からは見えない位置――枝の陰に、黒い影の毛むくじゃらが潜んでいる。

 ウツギはそれを一瞥し、肩をすくめる。


「さっきの妖怪だよ」

「戻ってきたんだ。まさか石を落されたりしないよね」

「それはないから、気にしなくていいよ。ただの構ってちゃんだからね」

「違ウヨー! ソンナノジャナイヨ〜」


 上空から湊の声もどきが降ってきて、さらには背後からガヤガヤと多くの声が騒いだ。


「そうだゾ。ボクらは、カマッテちゃんじゃないんだゾ!」

「せやせや。ワイは、ただの通りすがりやで」

「アチキはねぇ、このお人がアチキらを知れるんか気になったんよねぇ」


 湊がすかさずかえりみるも、綺麗に整備された道しかなかった。

 明瞭に声はしたというのに、なんたる素早さか。


「妖怪の声が聞こえるのって……珍しい」


 実家の座敷わらし、および遊びにくる妖怪たちは物音を立てたり、袖を引っ張ったりしてくるものの、声をかけてくることは滅多になかった。

 半笑いのウツギは、湊を促す。


「ホント、構ってちゃんばっかりなんだから。それより湊、早く整備終わらせようよ」

「ああ、うん」


 それから、たびたび複数箇所から会話に参加してくるモノたちはいたものの、頑なに姿だけは現さなかった。

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