15 たいそう美味であったとさ
雨脚は、さほど強まらなかった。
小雨がぱらつく中、裏島が去った地蔵の場所に湊はまだいる。今日もまた、田神にお菓子を供えようと購入してきていた。
地蔵に正対した湊がその周囲の気配を探る。
だがしかしどれだけ集中しても、微塵も田神の神気を感じ取れなかった。
田神の神域へつながる不可視の門は、出現条件が曖昧だ。おそらく田神の気まぐれにより、場所も移動しているのだろう。
そう湊が考えていると、後方から駆ける人の足音が近づいてきた。
かえりみたと同時、その走者がすれ違っていく。一心不乱に前方のみを注視するその小太りな中年男性に、見覚えがあった。
こちらへまったく視線を向けようとしない意味も想像がつく。
「あー……」
湊は意図せず声がもれた。その顔と気配からも男性への同情の気持ちがあふれていた。
つい先日のことだ。
ここで田神が、中年男性の度肝を抜いた瞬間に出くわしたのは。
ゆえに彼は、ここから一刻も早く遠ざかりたいのだろう。
人と交流を図りたい田神は、
しかし残念ながら、湊や裏島のように驚きつつもあっさり受け入れ、普通に接してくれる人間のほうが稀だ。おおむね降って湧いたように出現するカカシにたまげて、遁走する事態となっている。
しばらく地蔵の所にいた湊だったが、田神と接触できないと悟り、離れていった。
てくてくと細道をゆく途中、水田からカエルがゲコゲコ、同じくそこを泳ぐ小魚がパチャパチャ。周囲を飛び回る蜂がブウンブウンと羽音を立てた。
やけに、動物たちがにぎやかだ。
歩を進めるたび、その音の数は増えに増え、音量も上がりに上がっていく。楠木邸の細部まで見える位置に達した頃には、騒音レベルになっていた。
異常事態である。が、湊は動じない。
顔をしかめることも、耳を塞ぐこともない。やや目は眇めているけれども。
なぜなら、動物たちが気合いを入れて音を放つ原因がわかっているからだ。
むしろそれは、湊のせいだといってもいい。
グオーン。ひときわ高いウシガエルの声が一帯に響いた直後、湊は足を止めた。
田神のお出ましである。そう、動物たちの声は先触れだ。
田神は、アドバイスを忠実に実行していた。
湊は片側の田を見た。前回、カカシはそちら側に立っていたからだ。
「――ん?」
おらぬ。
水田の表面が波打つこともない。反対側へ首をめぐらす。
ぬっと水田から麦わら帽子がせり上がってきた。その一本足の先端が水面へ出るや、動物たちの鳴き声は一斉にやんだ。
「やあ」
相対した田神は、飄々と告げた。
その身は濡れてもいなければ、汚れてもいない。パリッと糊の利いた野良着をお召しである。白面にかぶった麦わら帽子のリボンが風にそよいでいる。
「こんにちは、田神さん」
湊はいつも通りの調子で声をかけた。
白面に書かれたへのへのもへじは動かず、表情からは何も推し量れない。声とその御身が放つ神気の状態から察しなければならない。
何かにつけて感情がダダ漏れな
奇しくもそれは、楠木邸に訪れた際の播磨と同様だった。
「ああ、数日ぶりだね。先触れは、キミには効果があるようだ」
田神の声は平坦だが、解せない気持ちも見え隠れしている。
「まぁ、提案したの俺ですからね。他の方にはどうでした?」
「たいがいの者は走って逃げていったよ」
「大して効果のない助言をして、申し訳ありません」
頭を下げれば、田神が頭部を左右へ振る。
「そんなことはない。逃げるまでに時間がかかるようになったからな」
「それは、人側にとって悪いような……」
田神が登場するまでに、じわじわと不可解な現象に頭を悩ませることになったのではないか。むしろ恐怖をあおる結果になったのではあるまいか。
両目を閉ざした湊は心の内で、被害にあった方々へ詫びを入れた。
「田神さんは、他の神様と交流されないんですか?」
「ああ、まったくしない。興味がないものでね」
「そうですか。――人には興味があるんですよね?」
「ああ、とても。人はおもしろい。形はさほど変わらなくとも、中身はずいぶん違うからな」
ふいに湊は心臓のあたりに強い圧迫感を覚えた。
田神に魂を見られているのだ。
神の気配を感じ取れるようになって気づいたが、神は気軽に人間の魂を探る。それが、あちらの常識なのかもしれないが、あまり気分のいいものではない。
まるで本性をのぞき見られているような気がするからだ。
「そこそこ力が回復してきているようだ。まだ完全にとはいかないようだが」
「そんなことまでわかるんですね……」
神様に隠し事はできないのだと、改めて思い知らされた。
「神から力を授かってそれなりに経つだろうに。まだ使いこなせないんだな」
なぜできないのか。言外にそう告げる田神はなかなか不躾だ。
それなりの期間、人間を観察してきているわりに人間そのものを理解できていない。
生身の人間がある日突然神の力を与えられて、軽々と遣いこなせるはずがない。肉体のポテンシャルが違いすぎるからだ。
微妙な雰囲気をまとう湊に反して、田神の気配は至って落ちついてる。飛来したスズメがその水平に伸びた腕に止まった。そこから麦わら帽子へ飛び移られても田神は何もしない。
むしろ、スズメを脅かさないよう動かないようにしている。
優しい面もあるのだ。表には出にくいだけで。
「田神さんには、眷属はいないんですか?」
空気を変えるべく、湊は気になっていた事柄を尋ねた。
「ああ、持ったことがない。特に必要がないものでね」
素っ気ない言い方だった。
眷属はいわば、分身に近い存在だ。神に興味がないのなら、自らに対しても同様なのかもしれない。
とはいえ、山神も昔は似たような状態だったらしい。
眷属をつくってみたら、もっと早く眷属をつくるべきだったとつくづく思ったと、少し前、山神が寝言で熱く語っていた。
ついでにいえば、風神と雷神からの情報だが、山神は眷属ができてから、かなり気性が穏やかになったという。
ならば、田神も眷属――家族ができれば変わるのかもしれない。
そう思ったものの、無責任な発言は控えるべきだろう。責任は取れないうえ、山神が眷属をつくった時、ひどく消耗したのも知っている。
湊はバッグを漁り、菓子折りを取り出した。
「田神さん、こちらをどうぞ」
「ありがとう」
差し出した箱は、ふっとかき消えた。周囲はおろか遠くの車道にもひと気はなく、目撃者はカカシの頭上でさえずるスズメのみである。
田舎はこれだから助かる。
「それお菓子なんですけど、和菓子と洋菓子の詰め合わせにしてみました。どちらがお好みかわからなかったので」
「ワタシは、どちらも好むよ」
雰囲気がやわらかくなった。前回、日本酒を献上した時より、反応がいい。
田神さんも菓子類が好き、と湊は心のメモにしかと記した。
「もらってばかりではなんだからね。これをキミにあげよう」
ドドンッといきなり足元へ
「今年の新米だ。人は好きだろう」
確信を持った言い方だった。確かに間違ってはない、好き嫌いがほとんどない湊とて新米を好む。
が、米俵は最大の六十キロサイズ。でかい、重い。
気合いを入れて担いで帰らねばなるまいよ。
「――あ、ありがとうございます」
やや顔面が引きつったのは、致し方あるまい。
米俵を見下ろす湊を眺めるカカシが頭部をかしげると、その肩に止まったスズメたちが軽やかにさえずった。
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