20 神霊の事情




 さて、次は麒麟の出番である。

 霊亀の抜け殻を張った舟の正面に、麒麟が立った。


『では、わたくしめは、とことん悪縁を弾くようにします』

『ええ効果ぞい。売れること間違いなしぞい』

『ですよね』


 うんうんと頷く霊亀に、笑いかけた麒麟が前足を挙げると、その足元に光が半円に広がった。

 煌々とまばゆいその場へ、石灯籠から弾丸のごとき疾さで近づいていく小さな影があった。


 目覚めた鳳凰である。

 木彫りに集中する湊がいる縁側の下方、ピンクの残像が弧を描いた。羽を閉じて短いおみ足を高速回転させ、ひた走る。

 けれども、クスノキの木陰へたどり着いた時には、光は収まり、麒麟が小躍りして足を踏み鳴らしていた。


『間にあわんかったか……!』

『いま終わったところぞい。鳳凰や、ちと起きるのが遅かったの』


 羽をバタつかせ、飛び跳ねて悔しがる鳳凰を霊亀がなだめた。

 鳳凰も加護を与えるのに参加したがっていたのだが、なにぶん頻繁に寝るため、今回は鳳凰抜きで行っていた。


『鳳凰は、あまり加護をやらんほうがええぞい。せっかくそこまで快復したんだからの』

『……うむ』


 まだその身は小さいままだが、本物のひよこに劣らない歩行速度を出せるようになっていた。


『そうですよ。なにかと人間に加護を振りまくせいで、快復が遅れていたのですから』


 心配そうな麒麟の真向かいの応龍は無言だ。

 麒麟が加護を与えた方の舟を凝視していたその眼が動き、麒麟へ流れた。


『いまいち光が弱いな。さては、加護を惜しんだな』

『――そうでしょうか……』


 心当たりがあるのか、麒麟は喰ってかからなかった。ちらりと応龍の方の一艘を見る。そちらのほうがやや明るい。


『では、応龍殿と同じくらいにします――』


 その蹄の下に、ごく小さき珠ができる。


『量が少ないな』

『むっ。では、これでどうですか……!』


 倍のサイズへ。眼を眇めた応龍が鼻を鳴らす。


『高く売れるお手伝いをするんだろう?』

『ならば、これなら文句はないでしょう!』


 舟を十艘包んであまりある大珠へ。


「え、何事?」


 不穏な気配を感じた湊が顔を庭へ向けたら、エイヤッと麒麟の足が舟にかぶさるところだった。

 ――四霊の加護の色は、湊には見えていない。

 不可解そうながらも、湊は作業に戻った。


 一方、クスノキの木陰で円陣を組む四霊は、糸目になっている。

 その中央に、太陽ばりの光の塊と化した舟がある。

 鳳凰は片翼で顔面を覆い、その光を遮った。


『さすがに、これは……』

『与えすぎぞい』


 霊亀にまで呆れられ、プイッと麒麟がそっぽを向いた。

 珍しく応龍が援護する。


『まぁ、いいのではないか。いままで惜しんできた加護を一気に与えたようなものだろう』


 鳳凰と霊亀が眼を見交わす。


『――確かにな。よい値がつくのだけは間違いない』

『まぁ、そうだの。きっと湊も喜ぶぞい』


 和やかな空気になって、麒麟の尾がシュルンと軽快に振れた。


 四霊誰ひとりとして、まったく深く考えていないが、ただでさえ神木クスノキと霊亀の抜け殻を用い、破邪の力と招福効果があった。

 そこに麒麟の加護がふんだんに加わったのだ。

 いったいどれほどの金銭的価値になるのか。

 縁側でヘソ天で寝ている山の神ですら、予想もつかないに違いない。




 ンゴゴゴ……。縁側で時折あがるいびきに、サリサリと刃物を研ぐ音が交じる。

 立手水鉢で、木彫りを終えた湊が砥石を用いて、彫刻刀を研いでいた。

 手水鉢を彩っていたダリアたちは山神の瞬き一つで姿を消し、神水の張ったそこで行っている。


「腰が楽でいい」


 深く膝を折る必要もなく、作業性も抜群である。

 鼻歌交じりに作業をしていると、その横顔を注視するモノがいた。


 いつもののぞき魔麒麟ではなく、神霊だ。

 石灯籠から出て、その下方の藤の鉢――紫の簾の隙間に黒眼が見え隠れしている。

 湊は、鋭きその視線を感じており、研いだ彫刻刀を小刀に持ち替えつつも、内心驚いていた。

 とはいえ何かしら反応しようものなら、逃げられる恐れがある。ゆえにそのまま普段通りに振る舞えばいい。


 いつしか作業に集中してしまい、気がついたら神霊に背後を取られていた。


 ――!?


 湊は胸中ですくみ上がりつつも、表面には出さなかった。


 エゾモモンガは、縁側の柱の陰から彫刻刀を研ぐ湊を見ている。サリサリと絶え間ない音がするそこへ向かい、踏み出す。

 数歩でズベシャッとすっ転んだ。ものの見事に顔面と腹を強打した。


「えっ」


 派手な音が聞こえ、思わず湊が振り向くと、跳ね起きたエゾモモンガが逃げ出した。

 石灯籠へ向かうも、その動きは異様にぎこちない。

 なぜなら――。


「二本足で歩いてる。なんで……」


 体を起こして短い後ろ足を前へ繰り出し、よたよたと進む。だがやはり、四足歩行仕様のその体で二足歩行は厳しい。立手水鉢と石灯籠の中間あたりで、またも蹴躓いて倒れてしまった。

 たまらず湊が近づくと、飛び上がり、四足歩行で駆け出す。活きはいいようでも、その本来の動作もぎこちなく違和感があった。

 どうにもできず立ち尽くした湊が、ポツリとつぶやく。


「もしかして、あの体は山神さんが与えたモノだから動きがおかしいのか……」


 もともとの体と大きく違うのかもしれない。

 思っていれば、縁側の山神が寝返りを打ち、その両眼がうっすら開いた。


「左様。まだあの身を動かすのもままならぬ。あやつは、元人型であったゆえ」

「あー、やっぱり。だから後ろ足だけで歩こうとするんだね」


 その神霊が、藤の花に隠れてこちらをうかがっている。

 怖い。けれども興味は隠せない。

 どこか素直なその挙動は、まるで幼い子どものようだ。


「神降ろしを行われた時、まだ生まれてさほど経っておらんかったようぞ」

「そうなんだ……」

「剣に閉じ込められておった期間もそれなりに長かったようだが、誰とも接することなかったのであろうな。中身はさして育っておらぬ」

「――じゃあ、まだ子どもなんだね」


 花の簾の間から顔を突き出した。むくれたその顔つきは不満げだ。


 ――ピピピッ。突然、スマホの軽やかな音が鳴った。

 時間を忘れて没頭するのを防止するため、アラームを掛けていたのだった。

 山神が口を浅く開け、盛大に尾を振る。


「ほれ、休憩時間ぞ」


 むろんお菓子付きである。期待からその周囲に風が巻き起こっている。


「もうそんなに時間経ってたんだ……」


 音を止めるべく、湊は縁側へ向かった。




 とにもかくにも、休憩である。

 山神には当然ながら和菓子を、湊は激辛せんべいを。そして、神霊にはハウスみかんを。

 縁側の下方、地面にテーブル代わりの角材を設置し、皿に盛ったみかんを置いた。もちろん皮はむいてある。


「よかったら、ここでどうぞ」


 声をかけたら、エゾモモンガは意外にもすぐにやってきた。まろぶように駆け寄り、オレンジ色の房へ鼻を寄せて香りを嗅ぐ。

 それから、じっと上目で湊を見上げた。


 ――神霊もわかっている。湊は自らを害する者ではないことを。

 いくら精神が幼かろうが、曲がりなりにも神である。

 魂――本質を視て知っていた。

 山神は神霊に体を与えただけで、その性質は何も変えておらず元のままになっている。


 エゾモモンガは一房を両手で持ち、噛みついて薄皮をはいだ。中の果肉だけを巧みに食べている。夏みかんをダメにしてしまった時に比べたら雲泥の差だ。

 まだ口周りを汚してしまうのはご愛嬌であろう。


「お上手になって……」


 湊がつぶやくと、どこか得意げな雰囲気になった神霊だったが、ふすっと山神が鼻で笑うと、かすかに胴震いした。

 おや、と湊が疑問に思っていると、山神は素知らぬ顔であんころ餅にかぶりついた。

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