4 自分でできるもん



 山神家の新入り、神霊は元人型である。

 しばしの眠りから目覚めた神霊は、山神に与えられた新たな体――エゾモモンガの形態になかなか慣れず、動作がぎこちなかった。

 何はともあれ新しい体を使いこなせるようになるべきだろう、と山神が手作りしたボールを与えられた。


 神霊は、とにかく頑張った。がむしゃらに頑張った。


 つい二本足で追いかけたくなる衝動を抑え、四つ足になるとやけに近くなる地面からなるべく眼を逸らし、ひたすらボールを転がし続けたのであった。



 朝日が降り注ぐ神の庭の小径を赤いボールが転がっていく。そのあとをエゾモモンガが追いかける。追いついたら鼻ですくい上げるように飛ばし、また迫ったら前足で蹴っ飛ばした。

 ボールと小動物が庭を駆けめぐる姿を、クスノキのそばで箒を持った湊が眺めている。


「走る動作がサマになってきたな。だいぶ速くもなってる。本物のエゾモモンガに引けを取らないかも。――あ、本物は、樹上生活中心であんまり地上に降りないんだっけ?」


 クスノキの樹冠がざわざわと震え『そうだ』と告げた。

 おだやかな風に背中を押されたエゾモモンガの速度が遅くなった。


「あ、お疲れかな?」


 エゾモモンガは頑張りすぎるきらいがある。ある程度で止めることにしていた。


「今日のところは終わりにしようか」


 声をかけると、エゾモモンガが足を止めた。わずかに身を震わせている。


「疲れたよね。温泉に入ろうか」


 近寄ると神霊が見上げてきた。指をワキワキさせ、期待している。


「ちょっと待っててね」


 縁側へと向かった湊が手に取ったのは、木桶。そのまま露天風呂へ湯を汲みにいった。


 先日、試しに木桶風呂をすすめてみたら、存外素直に入ってくれた。それから時折浸かるようになっている。


 湊は温泉から汲んだ湯の入った木桶をエゾモモンガの目の前に置き、片手を差し伸べた。


「さぁ、どうぞ。こちらにお乗りください」


 ややふざけて言うと、神霊はためらうことなく跳び乗った。木桶に自ら入れないから、毎回このようにして運んでいる。

 手のくぼみに収まる、ふわもこ。その感触に、毎度しまりのない顔になりかけるも、表情筋を叱咤して耐えた。


 ちゃぽんと、木桶の中央へ浸ける。お湯は少なく、その身の半分程度しか入っていないのは、神霊の動作は申し分なくなってきたものの、泳げるかわからないからである。

 湊がプールの監視人よろしく見守る中、エゾモモンガは前屈みになったり、横向きになったりして、その身をまんべんなく濡らそうと努めている。ついでとばかりに頭部も洗い出した。

 一連の動作が完全に人間めいている。


 神霊はひと通り体を洗うと、動きを止めた。

 ただ座して、ぼんやりしている。半眼のうえ、軽く口も開けているせいで、おっさんのような佇まいである。

 しかしながら見た目が愛らしいのでたいそう和む。

 そのまま寝てしまうこともあり、湊はいっときも目が離せない。

 案の定、頭部が横へと傾きはじめる。


「そろそろあがろうか」


 湊はエゾモモンガをそっと引き上げた。

 神霊は必死に瞼をこじ開けようと頑張っているが、抗えないようだ。両手の中でくったり力が抜けた体はグニャグニャで、なおかつ濡れたままである。


 本来、神とその眷属や霊獣は、温泉や川から上がった瞬間に乾いている。

 けれども神霊は違う。

 眠いからではない。乾燥させることができないからだ。

 山神曰く、いまだ生来の神の力を使いこなせていないゆえだという。


 湊はタオルでエゾモモンガの水気をあらかた拭き取るや、両の手のひらから風を出した。

 その風量、まさにドライヤー(中)である。

 風神に力を貸し与えられた直後から、己が髪を乾かすために利用し続けてきたおかげで、お手の物だ。

 ちなみに風の温度は高い。己のためだけに力を遣っていた時は『生ぬるくても別にいいか』という適当さであったが、『神霊を早く乾かさねばならぬ!』と意気込んだ途端、温度を上げることにも成功していた。


「あ、もうちょっとしっかりタオルドライすべきだった……」


 なにぶん神霊がほとんど寝ているから、起こさないよう細心の注意を払わなければならず、あまり拭き取れなかった。

 湊の声が聞こえたのか、突然エゾモモンガの眼がかっぴらいた。


「あ、ごめん。起こしちゃったね」


 もぞもぞと身を起こし、手のひらの上で二本足で立った。いまだ濡れた被毛はぴったり張り付いて、元から小粒な神霊がさらに小さく見える。

 その神霊が、湊の手から跳び下りた。


「待って、まだ乾いてないよ!」


 下にはちょうど石があった。平たいその上に着地したエゾモモンガが、こちらを向いた。


 瞬間、その体が炎に包まれた。


 陽炎のごとき赤い火が小柄な身をすっぽり覆っている。


「なっ」


 目をむいた湊の行動は素早かった。

 大股で一歩横に踏み込み、地面に置いたままだった木桶をひっつかみ、エゾモモンガ目掛けてぶちまけた。


 温泉も神の水である。いかなる炎であろうと、消せるはずだ。

 咄嗟にそう判断した通り、水がエゾモモンガに掛かるやいなや、じゅわっと音が鳴ってあっさり鎮火した。

 あとには、全身ずぶ濡れのエゾモモンガのみが残された。ヒゲから、顎から、尻尾からポタポタと雫を垂らしている。


「大丈夫⁉ 毛は燃えてない⁉ 火傷してない⁉」


 慌てる湊が問うや、エゾモモンガはぷるぷる震え出した。その身は白いままだ。燃えてもいなければ、火傷など一箇所たりともあるはずがない。


 当然である。炎は自ら出したのだから。


 エゾモモンガは数回地団駄を踏むや、ダッと駆け出し、屈んだ湊のスネを前足でポカポカと叩いた。

 火傷どころか、活きがよすぎることに湊も安堵しつつ、その態度は解せない。


「怒ってる? なんで? というか、あの火はいったい……?」

「そやつは己で火をおこし、毛を乾かそうとしておったのよ」


 縁側から山神が説明してくれた。座布団に横臥して眼をつぶったまま、ふさりと尻尾を振る。


「自分でおこした……。じゃあ神霊は、火を扱えるんだね」

「左様。いくら力の扱いが下手であろうと、己が身を燃やすようなヘマはせぬ」

「そっか。邪魔してごめんね」


 叩くのやめた神霊が湊を見上げた。

 言葉は発しないが、大きな黒眼が雄弁に語っており、まだ拗ねているようだ。よほど悔しかったらしい。


「でも、なんでいきなり自分で乾かそうとしたの? 今までしなかったよね」

「たいがいお主が乾かしたあとに目を覚ましていたからであろう」

「あ、そうだった」


 いつも完全に乾燥させてから石灯籠に収容していた。

 片眼を開けた山神がちらりと神霊の横顔を見やる。ふるっと微弱に震えるも、山神は頓着しない。


「そやつは、お主の手を煩わせないようにしたかったようぞ」

「ああ、そうだったんだ。気にしなくていいよ。乾かすぐらい大した手間でもないしね」


 本心であった。しかもやや楽しんでいた。

 なにせ山神をはじめ、四霊はまったく手がかからない。その身が臭うこともなければ、排泄もしないため居場所が汚れることもない。

 ただ金がかかるだけである。

 とはいえ四霊パワーによって、金に不自由はしていない。どころか、湊の口座は雪だるま式に膨れ上がる一方だ。


「なに、甘やかさずともよい。そやつは自立心旺盛ぞ」


 山神が告げると、神霊は湊のそばを離れ、ふたたび石の上に乗った。


 湊は思う。確かになと。神霊はなんでもひとまず己でしようとする。

 木桶温泉をすすめた時も自ら木桶によじ登って入ろうとしたし、体も自分で洗った。できない時だけ、湊の手を借りようとする。

 神霊は子どもでもない。変に甘やかすのはよくないだろう。


 湊は黙って、濡れそぼるエゾモモンガを見守った。

 おもむろに立ち上がった神霊は、両の拳を握った。

 むんと力んだ途端、一挙に炎がその身を取り巻いた。鮮やかな赤い火は、不思議と目が離せない魅力があった。


「綺麗な色……」


 思わず、湊はつぶやいていた。

 人がおこす見慣れた火とは、似て非なる色に思えた。そのうえ、雷神の雷から発せられるすべてを焼き尽くす荒々しい火とも異なる。

 その炎自体がやわらかそうに見えるのは、中心にいるエゾモモンガのおかげだろうか。


 しかし、しばらく経っても毛が乾く様子は一向にない。エゾモモンガがさらに気張るや、炎が大きくなった。その御身の三倍はあろう。


「おおっ」


 湊が感嘆の声をあげるも、やはり体毛はまったく乾かず、張り付いたままだ。

 エゾモモンガの表情が険しくなり、頑張っているのが見て取れた。

 ふたたび炎が大きくなるかと思いきや、違った。

 逆に小さくなり、色が変化する。赤から橙、そして黄色へ。

 温度が上昇するにつれ、その色はますます鮮明に、美しくなっていく。


 が、湊はうっすら身の危険を感じ、数歩下がった。


 直後、ボンッと音高く破裂。

 湊が元いた場所まで、火の粉が飛び散ったあと炎は消え、一道の白煙が上がった。

 その根元には、ボサボサになったエゾモモンガがいる。

 自らの手でごわつく毛をなで、ちりちりになったおヒゲに触れ、その残念な仕上がり具合に気づくや、がっくり項垂れた。


「はじめてなら上出来だよ!」


 湊は褒めながらも、提案した。


「でもちょっと見た目が悪いから、櫛でとかそうか?」


 クククッ。山神の低い笑い声が、午後の神の庭に長く木霊した。


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