12 管理人さん頑張りました





 遠目では蛇の感情はうかがいしれない。

 しかし時折、耐えがたいようにその身をよじる様が、ひどく痛々しく感じられた。


「死したあとも、かように恨みを持ち続ける動物は珍しくはある。しかしまぁ、蛇ゆえ致し方なかろう」

「――そうなんだ」

「うむ。覚えておって損はあるまい、蛇は殊の外執念深いぞ」


 顔を歪めて嗤う山神に、湊は総毛立つ。しかし山神はその顔を一瞬で消し去り、蛇へと顎をしゃくった。


「なんにせよ、あやつが完全な悪霊となり、手当たり次第に生者を狙うようになるのは時間の問題ぞ」


 聞き捨てならぬ台詞に、湊の顔が強張った。


「八つ当たりみたいな感じ? それとも悪霊になってしまえば、理性が保てなくなるってこと?」

「後者である。肉体を失い、魂のみになってもこの世にとどまり続ける最大の未練――人間への恨みを晴らせなかった。ただそれだけしか覚えておられまいて。憎い人間を殺す。その感情のみに支配されたケダモノと化すぞ」


 湊はあぐらに乗せた拳に力を込めた。

 蛇から応龍へと視線を移す。

 説得しているのかもしれないが、状況は何一つ変わっていないように見えた。

 応龍たち四霊は、あくまで霊獣である。

 神獣たる四神から力を与えられていようと、万能ではなかろうし、何事にも定められた領分はあるものだ。

 おそらくこの状況を打破できるであろう山神は、動こうとしない。しゃしゃり出る気はないようだ。

 それもそうだろう。救ってやる義務は、山の神にはあるまい。


 ならば、己にできることはないだろうか。

 自ずとそう考える湊は、縁側の端を見た。

 そこには、塔のごとく積まれた木箱が乱立している。昨日の宴会中、応龍が遊んでいた木製の酒箱だ。

 それらが、アマテラスの神域で見た光景と重なった。

 そして己の力を貸し与えてくれた、かの女神の言葉も思い出した。


「――恨みの感情だけを木箱に閉じ込めてみようかな」


 できるとは聞いていたが、いまだ感情のみを閉じ込めた経験はない。

 もし首尾よくあの木箱に封じることができたならば、かの蛇は未練から解放されるのではないだろうか。

 さすれば、心置きなくあの世へいけるのではないのか――。


 ふいに寒気がして、湊は見上げた。

 アギトを開けた蛇がのたうち、瘴気をまき散らした。その身がみるみる黒に染まっていく。


 ――もう時間はない。


 湊は駆け出した。渡り廊下を経て縁側に至るや、うず高く積まれた一番上の木箱をひったくるように手に取った。

 普段、己の祓いの力を紙片に閉じ込めている方法とは、やや違う。

 田の神たる田神の御魂をそのカカシの体に閉じ込めた時のように、スサノオの御魂をその身体に閉じ込めた時のように。


「やってみよう」




 ふたたび渡り廊下へ駆け戻った。

 屋根のてっぺんから波のごとく瘴気が伝い下りてくる。その根源たる蛇体は、顔周りだけを残してドス黒くなっていた。


「いきなりごめん!」


 湊は手をかざした。

 手のひらから網が噴射し、放射状に広がる。蛇の身を包み込んだ途端、一挙に収縮していく。

 その間、強く強く念じた。

 恨みの感情だけを、それだけをよこせと。

 硬く手を握りしめ、手繰り寄せる。が、鎌首の下方で引っかかった。

 そこに魂があるに違いない。

 さらに念じつつ湊は力を込めて引いた。


「いッ」


 バチンと手に衝撃がきた。蛇が暴れ、抵抗している。

 やむを得まい。いかなる感情であれ、己のモノだ。他者に、それも恨みを持つ同族に好き勝手にされたくはないだろう。

 申し訳ない気持ちはある。けれどももうあとには引けなかった。

 蛇体が暴れるたび、手および全身に、断続的に激痛が走る。

 しかし網への力の供給を止めるわけにはいかない。

 本能で悟り、慎重に、かついっそうの力を流し、網を引きつけた。

 ズルリ……。重く、淀んだ怨念が取れた。たわんだ筋を通し、恨めしい声が伝ってくる。


『殺ス、殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス――』


 絶え間ない殺意に、冷や汗が吹き出した。

 力を振り絞って引っ張ると、丸い形状となった先端が弧を描いて飛んでくる。木箱で受け止め、蓋をかぶせた。

 両手で上下を挟むように持ち、アマテラスの力で閉じ込める。

 パリッと雷光に似た音がし、一瞬箱が振動するも、大人しくなった。


「できた……!」


 それをしかと抱え、渡り廊下にへたり込んだ。


「きっつ……っ」


 肉体的にも精神的にも多大なる疲労感を感じていた。


 ともあれ、蛇の本体はどうなったのか。

 見れば、屋根の上にとぐろを巻いている。その色は、元の緑がかった暗色であった。

 間に合ったようだと、安堵の息をつく。応龍が蛇のもとへ飛んでいくのを眺めていると、山神の声がした。


「無理やりがすぎよう」


 のろのろとかえりみると、優雅なる足運びで迫ってくる大狼の表情は呆れ気味であった。


「時間がないって思ったから、つい」

「間違ってはおらぬが、もう少し丁寧にやるべきであったぞ。震えが止まらぬであろう」

「うっ、はい」


 そのせいで、歯の根も抱えられた箱もカタカタと鳴っている。

 いまだ身の内に、蛇の怨念が残っているような気がして、それを意識すればするほど、ひどく心がざわついた。

 戸惑っていると、ついっと伸びてきた獣の手に胸部を軽く押される。


「っ」


 何か・・が背中から滑るように出ていった。

 そう明確に感じたあと、ピタリと震えは治まった。


 目を見開くその背後に、黒いモヤが漂っている。

 山神がガブリと口を嚙み合わせるや、そのモヤが霧散した。ちろりと金眼を湊へと向ける。


「お主は、蛇の怨念に引きずられておったのよ。その感化された感情のみを押し出して消してやったぞ」

「俺の、かんじょう……」


 呆然とつぶやき、湊ははっきりと自覚した。

 己の心が暗く淀むような感覚が確かにあったことを。もしそれが残ったままであれば、どうなったのだろう。あの蛇と同じように他者に殺意を抱くようになったのだろうか。

 そう思った途端、激しく動揺し身震いした。


「お主はまだ、怨念に打ち勝てる心の強さは持たぬ。ゆえにあのまま放置しておれば、同調した感情に振り回される羽目になったであろうよ」

「山神様、ありがとうございます……!」


 正座して、深々と頭を下げた。


「うむ、以後気をつけるように」


 すっかり今し方と立場が逆転した構図になっている。

 山神が屋根を見上げた。


「しかしまぁ、お主の頑張りであやつは救われたようぞ」


 見れば、蛇が応龍に巻きついていた。離れたくないと言わんばかりである。


「うわぁ、熱烈だね」

「うむ、動物らの長なる立場もなかなか気苦労が多そうよな」


 山神に同情的な眼を向けられようと、龍は微動だにせずされるがままになっている。しばらくすると、その取り巻いた蛇の身が薄くなりはじめた。


「あ、消えていく……」

「未練がなくなったゆえ、もはや生前の形を保っておられぬ」


 やがて蛇体は、青白い鬼火となった。


「昨日の夜中に見たのと同じだ」


 同じモノが霊亀の周囲を飛び交っていた光景を思い出した。

 霊亀のもとにも同じように動物霊が集っていたのだ。

 鬼火は名残惜しげに応龍の周囲を一巡し、ようやく離れた。静かに上昇していく青白い火の玉へと向かい、応龍が大きく羽を広げた。

 高空に漂っていた雲から小雨が降り出す。

 応龍を起点に大橋のごとき七色の橋が架かり、それを鬼火が沿うように渡っていく。

 渡り廊下から湊と山神。池の淵から霊亀、屋根の上から応龍。さらに石灯籠からカエンが静かに見送った。




「これ、どうしようかな……」


 酒箱に視線を落とした湊は、途方に暮れたようにつぶやいた。

 後のことは何も考えていなかった。怨念とはいえ、他者の感情である。


「俺が勝手にどうこうしていいものじゃないと思うんだよね。というか、どうにもできないけど……」


 真正面の山神がしばし酒箱を注視した。


「その中に閉じ込めておける期間はそう長くはないぞ。せいぜい三年ほどであろう」

「そんなに短いの⁉」


 焦る声があがったその場に、小さな足音が近づいてくる。湊が見れば、エゾモモンガが短い四肢を駆使して駆けてくるところであった。


「あ、カエン」


 すぐそばまできて、後ろ足で立った。その相貌、雰囲気はいたく硬い。酒箱を見たあと、湊を見た。


「それは、いらんものか」


 やけに冷たい声で問われ、湊は若干戸惑った。


「うんまぁ、いらないといえばいらないかもしれないけど……」

「ならば、燃やす」


 強い口調に目をむく湊の手から、酒箱が浮き上がった。

 バシュッと打ち上がる激しさでクスノキの高さを越え、たちどころに白い炎に巻かれ燃え上がった。

 酒箱は瞬時に炭化し、中から黒いモヤが生じる。

 暴れ、もがいてゆらめくも、炎がそれを逃がすはずもない。

 ちりも残さず燃やし尽くした。それが終わるや、白い炎はひと回り大きくなって消えてしまった。


 一連の流れを眺めていた山神は、長く嘆息する。


「ぬぅ、ぬしも手荒すぎるぞ」

「――一刻も早く消さねばならんと思うたのじゃ。やや荒かったが、やむを得まい。なにせあれは、みな……」


 湊の名を呼びかけ、視線だけで湊を見て、言葉を続ける。


「かの者を闇に引きずり寄せようとしたのだぞ」


 悪びれた様子もない。

 カエンはその愛らしい見た目に反して、そこそこ苛烈な性格をしている。恩人への蛮行を許すはずもなかった。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る