5 ふたたび挑戦




 もと来た順路をたどり、大通りに入った。セリを先頭に湊が続き、その左右にトリカとウツギがいる。

 しばらく人の合間を縫って進軍していると、ウツギが呻いた。


「くちゃい……」

「やっぱりダメか」

「いいえ、いけます!」


 後ろを一顧だにせずセリが勇ましく吠えた。が、やや毛が逆立っている。


「これぐらいなら、まだまだ……!」


 と、語気荒く告げたトリカだったが、横を掠めた人の靴から大げさに飛び退った。


「なにもそんなに無理しなくても……」


 三匹の歩調に合わせてのろのろ歩く湊は困りきっている。


「我らは人に慣れなければならないんです」


 セリが静かに告げるや、トリカとウツギも続く。


「だな。うちの山に、臭い輩が大挙して押し寄せてくるようになるかもしれないんだからな」

「そうだよ。その時になってさっきみたいになったら困るの我らだからね!」


 この時はじめて、湊は眷属たちの真意を知った。

 彼らの無謀ともいえる挑戦の原因は、山に人がくるべく仕向けようとする湊だった。

 衝撃を受けて、湊の足が止まった。


「――山に人が入ってくるようになるのは……嫌?」


 しばしの間があった。

 セリも歩みを止め、棒立ちになった湊を見やる。ひどく静謐な気配をまとっていた。


「どうしても嫌なわけではありません。我らは人を嫌悪しておりませんので。ろくでもない者ばかりではないと知識では知っていますから。――ただ拭いきれない不安を感じてはいますが……」


 達観した面持ちのトリカがつぶやく。


「人がくるようになったら、きっと山は変わるだろう。変わらざるをえないだろうな……」

「我らは、いまの居心地のよさだけはなくしたくない。それだけだよ」


 ウツギが力強く述べた。

 気合いを入れ直した三匹が人のそばスレスレを駆け、湊もつられて足を動かす。

 長身と三つの白い影が人波に紛れていく上空で、すずめの一団が羽ばたいていった。


 もともと北部の商店街は小規模である。

 アーケードを過ぎて脇道に入るや、閑散としてきた。早足だった眷属たちの歩みも落ちついてきた頃、目的の場所に着いた。

 味気ない箱型の建物――日向工務店。その隣に古式ゆかしい日本家屋が建っている。以前、ここを通りかかった際、そこの庭で巣箱をつくる親方を見かけた。

 低い板垣を前に湊一行は立ち止まる。見栄えよく整えられた庭木に、いくつもの巣箱が設置されていた。


「すごい巣箱の数が増えてる……」


 間近の巣箱から小鳥が顔を出した。黒いネクタイめいた模様の入ったシジュウカラが小首をかしげる。

 この仕草は人間の目にはかわいらしく映るが、警戒心の表れだと言われている。この町で鳥たちに知られた存在である湊ではあるが、このシジュウカラは湊をはじめて見たのかもしれない。


 日当たりのいい庭を占領する小鳥たちが元気にさえずった。もっとも密集している場所には、餌台がある。

 彼らはまるで、ここで飼われているようだ。

 その様子を見た眷属たちが、穏やかな顔つきになった。

 二本足で立つセリが傍らの湊を見上げる。


「鳥たちがいうには、ここはとても居心地がよいらしいですよ」

「そうみたいだね」


 よく見ると、水場――つくばいまで追加されていた。

 親方は鳳凰から祝福を授かり、うっすら鳳凰の気配をまとっているため、鳥に好かれるようになっている。

 おそらく自らのもとに集まってくる彼らがかわいくてしょうがないのだろう。厳ついご面相に似合わず心優しいらしい。

 そのおかげもあり、鳳凰が祝福を与えたのかもしれない。

 鳥類の長は、職人なら誰でも救うわけでもないのだから。


「おーい、チュンちゃんども、朝メシは足りたかー?」


 家の横手から、丁寧なんだが荒いんだかわからぬ問いかけを発しながら、厳つい壮年の男性が現れた。

 頭に手ぬぐいを巻いた、作業着の親方ご本人である。

 板垣の外側に突っ立つ湊に気づくや、慌てふためいた。


「なっ、と、鳥遣いのにーちゃん、いたのか! ち、違うぞ、俺は、チュ、チュンちゃんとはいってねぇ! そう、あれだ、あれ。スズメ! スズメって呼んだからな!」


 瞬間的に顔を赤らめ、口角泡を飛ばした。気恥ずかしいらしい。


「――はい、スズメでしたね。おはようございます」


 湊は、弥勒菩薩みろくぼさつのごときアルカイックスマイルを浮かべ、相手にあわせた。

 眷属たちも似た表情で微笑む。その三つの尾の状態は変わらない。そこは悪臭を放つらしき人間と相対したら逆立つゆえ、親方は腐臭がしない人物だと知れた。


 素知らぬ顔で通常仕様に戻った親方に、湊は訪問目的を伝えた。

 最後まで話を聞くと、親方は顎をさすった。


「残念ながら俺んとこじゃ、かずら橋絡みは請け負えねぇし、職人の知り合いもいねぇわ」

「――そうですか」

「んが、たぶん伝手を持ってるだろう知り合いがいる。その人を紹介してやろうか?」

「ぜひお願いします!」

「おう。ただその人、電話やメールが嫌いでよ。直接会いに行ったほうがいいだろうな」

「どちらにお住まいですか?」

泳州町えいしゅうちょうだ」

「どのあたりですかね……?」

「隣町だぞ。南部の隣にあるんだがな……。ちょっと待ってろよ」


 胸ポケットから手帳を取り出し、親方は迷いのない手つきで地図を描いていく。

 アナログ人間同類に、湊は親近感が湧いた。いまのご時世、住所や電話番号さえわかれば、スマホが導いてくれる。だがやはり手書きは味わい深くよきものだ。


 慣れた手つきで記される地図は、随所に目立つ目印――絵が入ってわかりやすい。さすがに建築業に携わる者のせいか、非常に達者だった。

 湊が感嘆する中、ものの数分で描き上がった。


「まぁ、いろいろ描いたが、あっちもここら同様開けた平地だ。とにかく海方面へ向かって、最初にある川が方丈町と泳州町の境目になる。そこまで行けば、これが目に入るだろ」


 トンとペン先で示されたのは、クジラの絵だ。


「でっけえクジラのモニュメントだ。そこを過ぎてしばらくいきゃあ、出羽でわ建設会社がある。そこの受付で『出羽前社長』を訪ねてきたって伝えりゃ、居場所を教えてくれるだろ」

「ありがとうございます」


 破り取られた紙片を受け取ると、ついでのように名刺も渡された。裏面に親方のメッセージも添えられている。


「なにか言われた時は、俺の名刺見せとけ」

「重ねがさねありがとうございます」



 ○



 親方の言う通り、クジラのモニュメントは到底無視できない巨大さを誇って、湊と眷属たちを待ち構えていた。他に目立った建物はなく、誰がなんのために設置したのか想像もつかないが、目立つことだけは確かだった。

 通りからやや奥まった位置にあるそれの影に包まれ、見上げる湊一行は口が開きっぱなしだ。

 彼らの視界には、うねのある白い腹部しか入っていない。


「なにこれ……」


 ウツギが呆けた声でつぶやいた。


「これは、シロナガスクジラだよ」


 海の生き物に少しばかり詳しい湊が教えた。


〝湊〟という名は、海にまつわる名だ。

 命名したのは、海釣りが趣味だった亡き祖父であり、そのおかげもあって、湊も幼少の頃から海には思い入れがある。


「これって作り物だから大きいの? それとも実際こんなに大きいの?」

「実物と変わらないと思うよ。この種のクジラは世界最大の海の生物だからね」

「あの水たまりには、こんなのがうじゃうじゃいるってこと?」

「水たまり……。そうか、御山から見たら海はそう見えないこともないか」


 泳州町の先に縁取るような海がうかがえる程度にすぎない。


「それはそうと、このあたりにはこのサイズのクジラはいないよ」

「へぇ、でもそのほうがいいよね。水たまりの中、窮屈そうだもん」


 笑うウツギを見ながら、湊はしばし逡巡した。

 彼らはその水が塩辛いうえ、波があって絶えず動いていることも知らないのだ。実物を目にしたこともないモノたちへの説明は難しい。


「――海は広くて深いから大丈夫だよ」

「そんなもんか」


 トリカをはじめ、他二匹もあまり想像がついていないようだった。

 湊は海の方角を見やった。


「ここから海までちょっと離れてるけど、用事を済ませたあとにいってみる?」

「いきたい、いきたい! 見てみたい!」


 背中を曲げたウツギがピョンピョン跳び、頭を左右へ振った。興奮した時に行われるダンスである。


「いいですね」

「だな」


 躍りはしないセリとトリカだが、その声は弾んでいる。

 眷属たちが外の世界に興味を示すことは極めて珍しい。是が非でも連れていこうと湊が思っていると、


「きっとウツギは飛び込むでしょうね……」


 いまだ軽快に躍る末っ子を眺めるセリがポツリと告げた。

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