6 とんとん拍子




 クジラのモニュメントに別れを告げ、しばらくうろつくと目当ての出羽建設会社を見つけた。

 道が入り組んだ場所にあったものの、比較的あっさりたどり着き、あまつさえ受付に尋ねるまでもなく、目的の人物――前社長に出くわした。

 かなり前に隠居した身らしいが、本日はたまたま会社に赴いていたという。


 湊と眷属たちは、前社長――出羽翁に建設会社の応接室へ通され、ソファで待っていた。

 そこに、社員に電話一本をかけさせた出羽翁が戻りしな、


「職人たちが確保できたよ」


 と、にこやかに告げた。いずれも経験のある熟練の者らしい。


「向こうもやる気みたいでね。なにぶんかずら橋は珍しいから全国的に少ないんだよ。それで腕を鈍らせたくないのと後継者も育てたいから、ぜひ請け負いたいと先方がいっていたよ」

「本当ですか!」


 喜色を浮かべた湊が身を乗り出す。


「ああ、ちょうどかずらもあるようだ。架け替えになっても十分足りるだろうとのことだったよ」


 数トンもの量を必要とするが、現代ではその数をそろえるのも難しくなってきている。

 にもかかわらず、すぐさま調達できるという。


 それを聞いて安堵した湊の下方、ソファに身を伏せる眷属たちが目配せした。

 彼らにしてみれば、当然の帰結にすぎない。なにせ湊が絡むのだから。

 いうまでもなく、何もかもトントン拍子に事が運ぶのは、湊に与えられた四霊の加護による恩恵だ。

 両肩と背中にある四つの足跡――加護の印が淡く灯った湊が、深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございます」

「いいよ、いいよ。こっちもありがたいからね」


 出羽は愛想よく笑い、湊の対面のソファに腰掛ける。


「――それは、ともかく……」


 その手に持っていた菓子盆をテーブルに置いた。

 中には、みっしりと焼き菓子が詰まっている。


「小腹が空いているんじゃないかい。この中の好きな物をお食べになるといい。――白い方々もね」


 眷属たち一匹一匹を見ながら告げた。

 紛れもなく姿を隠した彼らを認識できている。

 実は応接室に通された時、ウツギがテーブルに置かれていた飴に釘づけになっていた。

 出羽翁は素知らぬ顔して、いったん退出したものの、しっかり見ていたらしい。


「――我らもこのお菓子、食べていいの?」


 身を起こしたウツギの眼は煌めいている。


「もちろんだよ。さぁ、お好きなだけどうぞ」


 ついっと好々爺こうこうやは菓子盆をウツギへ向けた。

 その振る舞いは神の眷属に対する固さはなく、孫を相手にするような気負いのなさだ。礼を告げたウツギがクッキーを選び取り、お次はその横のトリカとセリへ。


「すまない」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ほのぼのとした交流を湊は黙って見守っていた。

 眷属たちがじかに人と接する機会は、あまりない。貴重な場面だった。

 それにしても、この三匹は本当に、あの自由奔放な山神の分霊なのだろうかと不思議でしょうがない。

 ともに出かけたら、あちこちへ自由に動き回る山神とあまりに違いすぎる。

 ただ彼らが遠慮しているだけかもしれないが、手がかからず大いに助かってはいる。


 そんな眷属たちは、小花の幻影を振りまきながらクッキーを頬張っている。

 その様子を微笑ましげに眺めていた出羽翁だったが、ふいに湊を見た。


「ところで、橋梁きょうりょう工事は、かなりの金額がかかるけど――用意できるのかい?」


 気遣わしげだ。それもそうだろう。神の眷属を連れているとはいえ、湊はただの若者にしか見えまい。童顔でもある。

 そんな個人が飛び込みで大がかりな橋の修繕を依頼しにきたのなら、真っ先に懐の心配をされるのは道理であろう。


「費用はどれくらいかかるものなんでしょうか」


 湊が切り出すと、出羽は考えるまでもなく答えた。


「一千万は軽く超えるだろうね。架け替えになったら二千万はかかるかもしれない」


 一応覚悟はしていたが、やはり大金だった。

 いずれにせよ、いますぐ満額払えはしない。


「――必ずお支払いします」


 膝の上に乗る両の拳に力が入った。

 ――いいだろう。きっちり耳をそろえて用意してみせようではないか。

 湊の闘志に火がついた瞬間だった。



 ○



 短時間で予定が済んでしまった湊と眷属たちは、出羽のもとをあとにした。

 巨大なクジラのモニュメントを背に、一人と三匹は車道沿いをのんびりゆく。

 両側に点在するコンビニエンスストアやチェーン店も方丈町とさほど変わらず、取り立てて目を引く物もない。隣町ならそんなものだろう。


 ざっと周囲を流し見た湊は、前と左右を歩む眷属たちにのみ気を取られている。

 跳ねるようなその足運びに不安はない。時折人とすれ違う程度なら体調が悪くなることもないらしい。

 と思っていたら、行く手から二人の男女が歩いてきて、三本の尾がぶわっと膨らんだ。湊ともども素早く避けて終わった。


「体調は問題ない?」


 湊が通行人のいない隙を狙ってセリに尋ねた。


「はい。いまの者らもなかなかの悪臭でしたが、問題ありません。やはり慣れですね。多少眼は痛みますが、吐きそうになることはもうありません」


 他二匹も幾度も首を縦に振って同意する。


「そっか。よかったけど、こればっかりはね……」


 どうしようもない。彼らが慣れるしかなかろう。臭う人間だという理由で排除するわけにはいくまい。


「じゃあ、海にいこうか」

「うん! いこう!」


 ウツギが勇んで答えたその時、二車線を越えた向かいの歩道で、おうながバッグを落とした。

 中の果実が派手にぶちまけられ、四方へ転がっていく。腰の曲がった嫗は、屈むのも一苦労のようで集めるのに難儀するだろう。

 湊がとっさに駆けつけようとするも、ひっきりなしに車が行き交い、車道を渡れない。


 その時、嫗の後方や店舗の前にいた若い男たちが動いた。またたく間に散らばった果実を拾い集め、バッグへ入れると嫗へ手渡す。皆一様に声を発することもなく、さっさと去っていった。

 寡黙な紳士たちによる鮮やかな無言劇だった。


「よかった……」


 安堵する湊の足元で、三匹たちはただ一部始終を眺めていた。


「――ああいう人間たちもいるんですね」


 目をしばたたかせたセリが、静かな声でつぶやいた。


 バス停を目指し、歩みを再開した湊一行が横断歩道に近づいていく。一時停止線の手前で停まったままでいる車を見て、湊は怪訝そうな表情を浮かべた。

 信号は青だ。なぜ一台も発進しないのだろう。

 案の定、後方の車がクラクションを鳴らしはじめた。騒音の中、湊たちが横断歩道の手前に達した時、理由が知れた。


 しましまの道路をカルガモの親子が渡っていた。

 河原が近いとはいえ、大胆な御一家である。その小さき彼らを挟さんで、二人の警官も歩んでいる。

 そして彼らが無事に横断歩道を渡り切ると、車たちはようやく動き出した。


「気をつけて帰るんだよ〜」


 交通誘導棒を降る二人の警官に見送られ、列をなしたカルガモ親子は先端がオレンジ色のクチバシを右へ左へ向けて、されど振り返ることはなく、脇道へ入っていった。


「のどかで何より」


 歩き出した湊の感想を聞くや、


「だね〜」


 ウツギは笑いながら後方宙返りをした。

 同時、みんなの背後から不自然な風が強めに吹いた。

 お馴染みの風の精だ。小鬼たちが眷属それぞれの背中に乗り、湊の背中にも複数まとわりつく。


「湊、『送るよ〜』と風の子たちがいっていますよ」


 毎度のセリからの伝達に、強風で片足が浮いた湊はハキハキと応えた。


「いいえ、結構! 謹んでお断りする! 風は強めなくていいよ!」

「え〜、なんで〜? ばびゅーんって遠くまで飛ばしてくれるんでしょ? おもしろそうなのにぃ〜」

「ウツギは飛ばされなくても、自分で跳べるじゃないか。はいはい、ありがと風さんたち。――またいつかね」


 不満げにポコポコ体当たりしてくる風の精たちをいなし、湊はしかと街道を踏みしめ、ようやく見えてきたバス停へ向かう。

 その道半ば、反対側の歩道の向こうに威風堂々と構えた鳥居があるのに気づく。そこを貫く参道の両脇には店舗が建ち並び、多くの人でにぎわっていて、その奥に小さな社殿がある。


 セリのみがその神社方面を見やった。

 鳥居の脇――梅の木の陰に隠れていた黒い影が、びくりとその輪郭をゆらした。

 人型の悪霊だ。セリの鋭い眼光に震え上がって空へ逃げ出し、社殿の屋根を足場にして飛び越えていく。

 その黒影を最後まで見送ることなく、セリは前を向いた。

「やはり、ろくでもないモノはどこにでもいますね……」

 嘆息しつつ、先をゆく一人と二匹に追いつくべく、駆けていった。

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