7 山の神の怒りを知れ




 とはいえ湊は、やや感心していた。


「頭に血が上った状態でも、ここには入ってこないんだね」

「さしあたり、そのようであるが……」


 山神が敷地外で相対した白と黒の狐を見やった。


「黒狐め、ようやく出てきたな。ここであったが百年目――」

「もう忘れたのですか。ついさっき会ったばかりなのです。それにあなた、まだ百年も存在していないおこちゃまでしょう」


 ツムギに小馬鹿にされた白い狐は、ブワッと毛を逆立てた。


「そんなことはわかっている! 決まり文句だろう!」

「まったく……。こっちは会いたくもないというのに。なんなのです、いつもいつも……」

「お前にまだまだ言い足りないことがあったから、追いかけてきたのだ」

「ご存知ですか。いまの世ではあなたのような輩をすとーかーと呼ぶのですよ」

「神の眷属たる我をストーカー呼ばわりするなーッ!」


 突進してくる白い狐をツムギは上空へ跳んでかわす。身軽に前転した白い狐は透明な壁を足蹴にし、ふたたびツムギに突撃をかました。

 思いっきり山神の神域を蹴りつけた。

 それをばっちり見てしまった湊の喉から無気力な声が漏れた。


「あー……」


 ちらりと正面を見れば、大狼が半眼になっている。

 が、まだ怒気は発していない。


「なぁに、かような小童のおいた程度、騒ぐほどでもないわ」


 鼻を鳴らした山神は、オトナの余裕を見せた。


 上空では、白い線と黒い線が縦横無尽に入り乱れ、絶え間なく舌戦が繰り広げられている。

 二匹が真正面から衝突し、前足で互いの喉元を押さえながら大口を開けて威嚇し合う。


「だいたいお前の主は稲荷神でもないくせに、なぜ己が住まいを稲荷神社と称している。勝手に名を騙りよって!」

「仕方ないでしょう。人間が勘違いしただけなのです」

「どうせこの山に稲荷神社を建てよ、とどこぞの人間にお告げをしたのだろう。そうに決まっている。よそモノのくせに!」

「勝手に決めつけないでください。不愉快なのです。だいたい――」


 後方へ飛び退ったツムギは勢いあまって傍らを過ぎていく白い狐の尻尾を後ろ足で蹴り飛ばす。

 尻尾を振り回し、回転して遠ざかっていく相手を見据え、ツムギは顎を上げた。息を荒らげて睨み上げてくる相手を睥睨する。


「よそから来たからといって、文句を言われる筋合いはないのです。この地の者は土着の神であろうがなかろうが、毛ほども気にもしませんよ。いずこかの神――とりわけ吉祥絡みの神なら諸手を挙げて歓迎し、祀り上げるのですから」


 下方の湊が深く頷いた。


「確かに」


 ツムギの言い分には同意するしかない。

 先日海で出会ったネズミの神――福の神としてお馴染みの大黒天も元は異国の神だという。真偽のほどは定かではないが、他にも多数そういう神は存在し、むしろ日本固有の神の方が珍しいかもしれない。


「それに、神様と同じくらいたくさんの人が篤い信仰心を向ける仏様は、すべて異国の方々だしね。日本人は大らかだから気にしないよ」

「単に節操がないだけであろうよ」


 山神は、ふすっと軒先に鼻息を吹き出した。


「にしても、ようやりおるわ……」


 二匹の狐は頭部を突き合わせ、押し合いへし合いやり続けている。力も覇気もツムギの方が勝っているため、突き飛ばされた白い狐がでんぐり返った。それでも即座に体勢を整え、果敢にツムギに向かっていく。

 呼吸は乱れているものの、体力は底なしのようだ。

 いつまで経っても終わらぬ空中戦は熾烈を極める。

 とはいえ神域内には、なんら影響はない。


「すごいよね。でも山神さんと天狐さんが戯れた時ほどの激しさじゃないかな」

「神同士と眷属同士の戦いを比べるのは、酷というものぞ」

「それもそうか」


 うむ、と相槌を打ちつつ、山神は座布団に横になった。

 上空を見るともなしに見ながら前足の間に顔を置く。


「稲荷神絡みのモノらは縄張り意識が強いゆえであろうな」

「じゃあ、結構大変だよね。稲荷神社ってとにかく多いし」

「左様。あまりの多さに、ちと前に栄えたどこぞの地域で、〝伊勢屋、稲荷に犬の糞〟なる言葉まで生まれるほどであるゆえ」

「へぇ、はじめて聞いた」


 まったり雑談にふける地上と、衝突音と衝撃波が入り乱れる上空の落差が激しい。


「云うて、このあたりに稲荷神を祀ってある所は多々あれど、人間らが〝稲荷神社〟と呼んで足繁く通うのは、天狐のところのみぞ」

「ああ、だから南部の稲荷神社は閑散としていたんだ……」


 先日の風景を思い出していると、上空から刺すような視線を向けられた。

 かすかに肩をすくめた湊が目を上げれば、白い狐が睨んでいる。すかさずその横っ腹にツムギの後ろ蹴りがメリ込んで飛んでいった。


 空の殺伐感なぞ意にも介さず、山神は語り続ける。


「あの女狐は、いたくわがままで好みもやかましいが気前だけはよい。とりわけ己が好みの品を献上する人間には、大盤振る舞いをする。ゆえに熱烈な信者が多いのであろうよ」

「やっぱりそうなんだ。なんとなくそうかなとは思ってた」


 ツムギが必ずお返しを持ってくることから、その大本たる天狐もそうであろうと湊は思っていた。

 上空からツムギの声が降ってきた。


「我が神は、湊殿お手製の蕎麦いなりも好きです!」

「ありがと。今度つくるよ」


 ほのぼのとご近所さん会話をしているさなか、ツムギにふっ飛ばされた白い狐が神域の壁に激突。それでもまったく戦意は喪失しない。即座に体を捻り、壁を蹴って駆け出した。

 それを見ていた湊は、急に寒気を覚えた。鳥肌の立った腕をさすりながら、正面を向く。

 伏せた山神が眼を眇めていた。全身の毛が波打ち、神気をも放っている。


 たいそう荒ぶっておられる。


 顔を引きつらせた湊が上半身を引くやいなや、ガツンと白い狐が神域を足場にして蹴った。

 続けて二度、三度。さらには、ガガガガッと連続して透明な壁を蹴りつける。


「――あれは、さすがにダメだろ……!」


 血の気の引いた湊が縁側の端まで退避した時、大狼が身を起こした。

 その満身から神気が陽炎のように立ち上るや、虛空の裂ける音が響き、渦巻く風が唸りをあげる。

 滝の水量が増し、川も荒れくるい、筧からも噴水のように神水が吹き出した。

 台風めいた様相となろうと、クスノキはどっしりと立っているが、他の庭木は右へ左へと流されている。

 数多の葉が乱れ飛ぶ中、大狼が口を開いた。


「ここを誰の地と心得る、たわけどもめ。おいたがすぎようッ」


 語尾が跳ね上がった直後、その眼から二条の光が放たれた。

 ハの字に開いた光線が黒い狐と白い狐をさし貫くや、


「んぎゃ!」

「ふぎゃ!」


 と鳴いた。


「いたたたたっ」


 と白い狐が喚く中、黒い狐はこちらを見た。


「山の神よ、お騒がして申し訳ありま――」


 最後まで聞かず、山神は頭を振った。光線がしなり、白い狐を右へ、黒い狐は左へと投げ飛ばした。くるくると回転して遠ざかっていけば暴風が収まった。

 大きく息を吐き出した山神が座布団に腰を落ちつける。


「まったく……。よその神に迷惑をかけるなぞ、眷属としてあるまじき行為ぞ」


 声も常態に戻った。四つん這いの湊が座卓に戻ってくる。


「――山神さん、あの子たち怪我はしてないよね?」

「むろん。いかに我とてそこまではせぬ。ちと灸をすえてやっただけぞ。――あとが面倒ゆえ」


 もし眷属を傷つけようものなら、その神が怒るのは当然のこと。今回そうしてしまえば、二神を相手取って戦争になりかねない。さしもの山神も骨が折れるであろう。


「ならよかったけど、ツムギはとばっちりだったような……」


 どう見ても、しつこい白い狐に辟易していた。本気を出すには相手が若すぎ、かつ弱すぎるから手加減をしていたのだろう。


 突如、かすかな音が鳴った。

 湊が振り返ると、塀の上に三匹のテンがいた。その気配と顔つきもやけに強張っていて、湊は戸惑う。


「いらっしゃい、みんなどうかした?」


 山神が含み笑いする間に、眷属たちは塀を跳び下り、縁側までやってきて並んだ。

 セリが見上げてくる。


「今し方の狐の戦いを見ておりまして、我らがいかに未熟なのかを痛感しました」

「そ、そっか」


 周囲にまで影響を及ぼす眷属同士の争いをはじめて見たのだろう。なかなか刺激が強かったようだ。

 トリカも神妙に告げる。


「我らはまだ空を駆けることすらできんしな」

「そうなんだ?」


 眷属に関してあまり知識がない湊は、ただ聞くしかできなかった。

 ウツギが両の拳を握りしめる。


「そうだよ。だから、もっともっと頑張らないと!」

「――そっか、応援してる」


 そう合わせた湊ではあったが、心の中で強く願った。

 よそ様に迷惑をかけるようなモノにはならないでほしい。どうかいつまでも礼儀正しい君らのままでいておくれと。

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