8 狐の争いによる被害は甚大




 雨がそぼ降る未明。南部の稲荷神社――御神木たる大イチョウの上空で、二匹の狐が争っていた。黒い狐――ツムギと白い狐――下方の神社の眷属である。

 懲りない二匹の間には、どこまでも剣呑な空気が流れている。それに呼応するように、雷鳴が轟いた。

 雨の雫を受けて、白き狐の輪郭が浮き上がっている。


「我の縄張りに土足で踏み入るとは、貴様、覚悟はできているんだろうな⁉」


 親の仇を見るような眼光と、恫喝であった。

 二匹が激突。離れ間際に尻尾を叩きつけられようと、ツムギが怯むことはない。大イチョウの前で反転し、背負った風呂敷包みの結び目を前足でさらりとなでた。


「わたくし、大事なお使いの帰りなのです。ただの通りすがりにすぎませんから、道をあけてください」

「誰があけるか!」

「といいますか、ここはあなただけの場所ではないでしょう。あなたより歳上の眷属たちはなにも言いませんし。――なにを勘違いしているのです、若造が」


 吐き捨てるように言ったレディに、小僧がいきり立った。頭部を下げたその身から、無数の稲光が生じる。


「歳若いからといって、いつもいつもバカにしよって……! これでも喰らいやがれ!」


 一道の稲光が真正面へと放たれた。

 ひょいとツムギが横に跳んで避けるや、稲光が大イチョウの幹を直撃。生木が切り裂かれ、倒れていく。夜を切り裂く轟音を立てて地に伏した。



         ○



 すっかり雨が上がった翌朝、北部の御山には清廉な朝日が降り注いでいた。

 梢から差し込む陽光をいくつも遮り、大木から大木へと白きテンが移動していく。

 その速度は通常の動物ではありえない。

 カサカサ鳴る葉ずれの音を後方へ置き去りにし、ウツギは御山の中腹を目指す。

 その斜め前方――二か所からも同じようにセリとトリカが馳せ参じた。

 いちどきに、一本の大樹の根元に降り立つ。木の葉の雨を浴びながら、輪になった三匹は直立した。


 順に仲間を見たセリが口火を切る。


「時間通りそろいましたね。ではまずはトリカ、報告をお願いします」

「ああ。霊道あたりは問題ない。すべて始末してきた」


 眷属たちは御山を三分割して持ち場としており、霊道が通っている方面を担うのはトリカだ。わりと神経が細かいため、そこから外れる霊を一体であろうと見逃しはしない。霊道へ送り届けるか、外れて悪霊と化したモノは容赦なく祓っている。


「ウツギの方は?」

「至って平和〜。かずら橋も順調にできつつあるよ」

「そうですか」

「山神は湊んちの縁側で爆睡してた」

「いつも通りですね。山神がつつがなく過ごしているならなによりです」

「だな」


 トリカも同意し、三匹は頷き合った。

 彼らは本気で満足している。そうあるべく己たちが生み出されたからだ。

 セリが口を開く。


「それでは、山神家会議をはじめましょうか」


 基本的に家長不在で行われる定例会である。

 実のところ、どれほど遠く離れていようと山神には筒抜けで、念話で参加も可能だがそうすることはない。眷属たちの自主性に任されている。


「明後日、湊が木彫りを卸しに南部のいづも屋に出かけるそうです」

「また卸すのか。まだ前回からそう経っていないだろうに」


 鼻に皺を寄せ、トリカは低い声で言った。


「ええ。ですが致し方ないかと。なにせ引く手あまただそうですから」

「そりゃそうだよね。だって希少なモノだし、人間はほしがるでしょ」


 したり顔のウツギが楽しげに体を左右へ傾けた。


「それで、誰が湊についていきましょうか」


 セリが問うや、沈黙が落ちた。

 喜び勇んで立候補するモノはいない。

 彼らは人間に慣れつつあるが、まだまだだと自覚している。機会があればできるだけ出かけて、人間と接しようと話し合っていた。

 とはいえ一様に、外出は心躍るかと問われれば、否と言わざるを得ない心境である。


 顔をしかめた三匹が唸った。押しつけ合ったりしないため、空気が悪くなることはない。

 それは大変よきことだが、これでは埒が明かぬ。

 陽光の差す位置がウツギからトリカへと変わった頃、最年長たるセリが気概を見せた。


「――では、今回は我がいきます」

「じゃあ、その次の機会があれば、我が出向こう」


 トリカのあとに、ウツギも続く。


「んじゃあ、トリカのあとに我がいくよ」

「決まりですね」


         ○


 朝もはよから、南部の中心街へとつながる通りを、湊とセリが歩んでいた。湊の手には、数個の木彫りが入った手提げバッグがある。


「いまさらだけど、トリカとウツギは?」


 小声であろうと横に添うようにいるセリには届いている。


「お留守番です。我らもいつもともに行動しているわけではありませんからね。単独で外出しようということになりまして」

「そっか」


 確かに最近では、楠木邸に遊びにくる時も単身のことが多い。


「それにしても……」


 セリがあたりへ視線を投げた。

 それに合わせ、左右の建物の陰から悪霊が逃げ出す。まだ形をなせないそれらは泥状で、路面や壁をシミのように広がって這っていった。


 そんな悪霊が至る所にいて、一帯に瘴気も漂っている。


 だがセリはその現状を湊へ教えることはなく、今度はまばらな通行人を流し見た。

 行く手から歩み寄ってくる者の背中にしがみつくモノ、路傍でスマホを見ている者の脚に巻きつくモノ。人型であったり、獣型であったり。いずれも弱いといえば弱いが、やけに憑かれている者が多いように見受けられた。


 とはいえ悪霊に憑かれる人間は、さほど珍しくもない。

 弱い悪霊が一、二体憑く程度であれば、人間側はやや身体の不調を感じる程度で済み、やがて悪霊も離れていくだろう。


 騒ぐほどでもない。おそらく。

 セリは世間知らずである。悪霊が数多いる現状が異常だと即座に判断できない。不可解そうに首をひねってはいる。


「これぐらいが普通なんでしょうか……」

「ん? なにか言った?」

「いえ、なんでもありません」


 セリが前方へと顔を向けると、歩み寄ってきていた通行人の背中にいた悪霊が塵と消えていくところであった。


 湊の手提げバッグに入った木彫りによって祓われたのだ。


 歩く除霊機と化した湊のおかげで、一帯の瘴気は空気が入れ替わるように綺麗になり、近くを通った人々に憑いた悪霊も祓われている。


 ゆえに問題はなかろう。

 そう思うも、セリの顔は険しいままだ。

 悪霊にしろ、人間の魂にしろ、そこから発せられる臭いは苦手だが、それなりに耐性のついた今、もう倒れるようなことはない。

 が、不快な気持ちにはなる。

 その態度は隠しきれておらず、むろん湊が気づかないはずもない。


「セリ、具合悪くなった?」

「いいえ、元気ですよ。この通り」


 セリは瞬時に表情を改め、軽く跳ねた。

 それを見て雰囲気の和らいだ湊が前を向くと、片方の横髪がゆれた。

 立ち止まった途端、風の精から声が届けられる。


「――誰か泣いてる……」


 すすり泣きであった。

 やけに悲痛で、聞いているだけで胸が痛んだ。

 性別はおろか年齢すらも定かではない不思議な声でもあった。

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