9 人ならざるモノの悲哀
「湊、こっちです」
セリに先導され、以前通った道に出ると、南部の稲荷神社が見えた。
「あれ、大イチョウがない……」
ひときわ目立っていた一本の大樹がなくなっていた。
セリは何も言わず道を駆けていく。その早足が止まったのは、神社のすぐそば――こんもりとした木々からやや外れた場所であった。
強い焦げ臭さに、湊は鼻周りを腕で覆った。
一面の地面がへこんで煤けており、その末端部分に大きな切り株がある。この木が燃えて延焼したのであろうことは容易に想像がついた。
「ひどいな、雷が落ちたのかな。少し前に結構雷が鳴ってた時があったよね……。でも、それにしては焦げ臭い匂いが強いような……」
周囲を見渡し、湊は最後に切り株を見た。表面が平らなのは、人によって切られたからだろう。その切り口も新しいようだ。
セリもその切り株を注視しており、少し首を伸ばして慎重に周囲の匂いを嗅いだ。
「――これは、自然に発生した雷によるものではありませんね」
「じゃあ、いったい……?」
困惑する湊をセリが見上げる。
「神、いえ、眷属の仕業でしょう」
軽く目を見張った湊が稲荷神社の方を向く。しかし神の気配を感じることはできなかった。
一方、セリは知覚している。けれども社殿の奥を一瞥するだけにとどめた。
「湊、今し方聞こえたすすり泣きの声は、ここから風の精が運んできたようです。この木が泣いて悲しんでいます」
「この木が……」
湊は視線を落とした。
あたり一帯が黒く煤けた中で、丸い生木部分だけがやけに浮いて見える。
そこに近づき、屈んで触れてみた。ざらついた感触の表面はやや湿っている。
「まだ、生きてる」
そう強く感じた。加えて、木から発せられる波動にも気づく。
弱々しい、いまにも消えてしまいそうなそれは、絶え間なく悲しさ、切なさ、悔しさを伝えてくる。
「まだ、木として在りたかったんだね……」
いまではもう、木とは呼べない存在になってしまったからだろう。
「この木には精霊が宿っていた。いえ、いまもかろうじて宿っています」
セリが湊の手元を見つめながら告げた。
そこには、半透明の木の精がいる。
丸い苔玉めいた容姿。湊が片手でつかめるサイズで、綿毛の被さった二つの眼は隠れ、細い手足が生えている。
その木の精は、眼の優れたセリでさえ集中しなければ見えないほど存在が危うくなっており、泣きながら湊の手にすがりついていた。
そのことをセリに教えられずとも、湊は気づいている。
手の甲、手首に温度を感じていて、手元を見つめたままじっとしている。
毎日、特殊なクスノキと接しているおかげであった。かの神木は自主的に動くことが可能で意思を汲み取りやすいものの、なるべくその真意を知ろうと日々気をつけている。
ゆえに、木の精の気持ちがわかるようになっていた。
「助けてあげられないのかな」
苦渋に満ちた声を聞いたセリはしばし考え、口を開いた。
「――できるかもしれません」
「どうやって?」
勇んで尋ねる湊の手元で、木の精霊も泣きやんだ。
「神木たるクスノキの力を借りるんです」
「葉っぱならあるよ」
外出時の必需品である。もちろんボディバッグに忍ばせてきていた。
「ちょっとごめん。手を動かすね」
湊がそう言うや、手の甲に乗っていた木の精がぴょんと跳び下りた。切り株の上で両手を握りしめ、祈るように見上げる先で、湊がバッグからクスノキの葉を取り出す。
それを見た途端、木の精の綿毛がうっすら逆立ち、片眼がのぞいた。その
そのため、やや見当違いな方向へみずみずしい青葉を差し出した。
「こちらをどうぞ。うちのクスノキの葉だよ」
ささっと正面に回り込んできた木の精が恭しく両手で受け取る。おもむろに腕を回して固く抱きしめた。
瞬間、青葉が煙のように消えてしまう。
代わりのように、木の精の色が濃くなった。
けれども若干にすぎない。葉一枚分に内包されるクスノキの生命力程度では、到底足りない。
湊は察して、もう一枚渡した。同じ手順を繰り返し、また綿毛の濃度が深まり、存在が明確になっていき、次々に葉を渡した。
「これで、おしまい」
最後の一枚を受け取り、抱きついた木の精の輪郭は明瞭になった。今し方までの儚さはもうない。
だが――。
木の精とセリが切り株を見やった。
何も変化は表れていなかった。宿る木自体が復活しなければ、精霊も体を保てない。クスノキのおかげで濃くなった体でも、近いうちにふたたび薄れてやがて
目元を覆った木の精が、またシクシクと泣き出した。
「もっと葉を持ってくればよかった」
いまさら悔やんでも遅い。わかっていても湊は言わずにおれなかった。
「これからすぐ家に戻って――。うわっ」
突然、トンと背中に冷気が当たった。
「びっくりした。キミか」
お馴染みの風の精であった。続いて髪もあたたかな風で掻き乱され、もう一体もいるなと思っていたら、耳元で声がした。
「持ってクル!」
「――まさか、クスノキの葉のこと?」
「待ってロ!」
言いたいことだけを告げた二体の風の精は、湊の周囲を一巡し、ゴウッと急加速して空へと舞い上がった。煤や落ち葉も乗せた一陣の風が向かっていく、楠木邸へ。
その頃、楠木邸の庭では、クスノキが樹冠をゆらしていた。降り注ぐ陽光を全身に浴びて、光合成中である。
湊が出かける前に、ふんだんに神水も与えてくれた。いまの満たされた状態で、うっかり気を抜こうものなら、急激に生長してしまいそうだ。
気をつけなければならない。あまり大きくなる気はないのだから。
心地よい風に吹かれ、せっせと幹と枝を振って
クスノキが静止しても、上部のみが葉ずれの音を立てている。
――風の子らか。
クスノキが思っていると、すぐさま二体の風の精が敷地内に飛び込んできた。
周囲をぐるぐる回って歌うように告げてくる。
「葉っぱ、チョーダイ!」
「いっぱい、チョーダイ。ミナト、イル!」
――湊が葉をたくさんほしがっている……?
彼らの言い分は理解したが、解せなかった。
以前と違い、祓いの力を向上させた湊が悪霊絡みでピンチに陥り、己が葉――破邪の力を求めるとは考えにくい。
いったい何があったのだろうか。
「チョーダイ、チョーダイ!」
「葉っぱ、チョーダイ!」
風の精たちはそれしか言ってこない。
理由の知れぬもどかしさにクスノキは樹冠をざわつかせ、その間、風の精たちも二方向から風を吹きつけてくる。
が、葉は一枚たりとも落ちない。クスノキは己が葉を完全にコントロールしているからだ。
頬を膨らませた風の精たちが両腕を振り回す。
「もー! 早くチョーダイってば! 木の精、消エル!」
「木の精、もうすぐシヌ!」
――なんだと……。
詳細はわからない。けれども湊がそれを知ったのならば助けたいと思うに違いない。
――死にかけならば、葉だけでは到底足りまい。しばし待て。
クスノキの動きが完全に止まった。
一拍、二拍、そして三拍目。クスノキの側面――一本の枝が音もなく伸びた。
銀色の光を発するそれは、クスノキの生命力がふんだんにこもっている証だ。
風の精二体がその先端をつかむや、伸びた分の所でパキンと折れた。
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