22 播磨に関する疑問




 播磨は、安庄の顔が憎悪に染まりゆくのを冷めた目で眺めた。


「お前には令状が出ている。観念するんだな」

「き、きさま、よ、よくも……」


 怒り心頭で呂律が回らないらしい。

 怒りたいのもその台詞を言いたいのもこちらの方である。よくも無駄な仕事を増やしてくれたものだ。

 昨日、泳州町全域の悪霊と瘴気をおおむね祓ったものの、町内に点在する空家などから次々に悪霊が湧き、焼け石に水でしかなかった。

 とはいえすでに、陰陽師四人と式神三体で手分けして祓い終え、播磨はここの母屋に巣喰っていた悪霊を根絶やしにしていた。


 そして、元凶の悪霊を増やし育てる呪具も破壊している。

 おかげで湊が書いてくれた格子紋は、残り一つになった。

 それも消えかけで、あまり効力はない。


 播磨は格子紋の消えた手で眼鏡を押し上げ、わめき続ける安庄を見据えた。


「悪霊祓いを生業にしていながら、自ら悪霊を増やすなど、術者の風上にも置けないやつだな」

「術者だからこそ、だろうが。持てる力は遣ってなんぼだ」

「泳州町は、先祖代々住んできた土地だろう。そんな大切な場所を悪霊だらけにして罪悪感はないのか」

「そんなものあるはずがない。ここが一番金儲けに適した土地だから住んでるだけだ。情なんかあるかよ」

「金のことしか頭にないのか」

「はっ、当たり前だろうが。綺麗事を抜かすなよ、公務員が」

「お前だってなればよかったんだ。それだけの腕はあるだろう」


 生活の安定を求めるのなら、国家公務員たる陰陽師になればいい。霊力持ちなら諸手を挙げて歓迎されるのだから。ただし四家が牛耳っているので、出世は諦めなければならない。


「誰が陰陽寮になんか入るか。無能どもに顎で使われるくらいなら死んだ方がマシだ!」


 叫んだ安庄が、懐から取り出した呪符をばらまいた。

 即座に周囲を黒煙が覆う。その中から数多の黒い鳥が鳴き声をあげつつ、四方へと飛んでいく。


「町がこんなに明るいと落ちつかないもんでな」


 目の前の播磨より、そんなことが大事らしい。放射状に瘴気と悪霊が広がる下方で、喉を晒した安庄が大口を開けて笑っている。

 が、たちどころにその顔面が凍りつくことになる。

 敷地外から怪鳥の叫喚が一つ聞こえ、立て続けに複数あがるや、見る間に瘴気も薄れていった。


「なんだとっ」


 安庄が仁王立ちした播磨を睨みつけた。


「陰陽師が俺だけだと思っていたのか」

「そうか、そうだったな。陰陽師は一人で行動できない腰抜けぞろいだったな。もう一人いたのか」

「さてな」


 正確な情報など与えるはずもない。

 一条、堀川、葛木と式神三体が敷地外にいる。先ほどおもに一方向から祓われたのは、一条によるものであろう。

 性格に難しかない男だが莫大な霊力持ちのため、戦力にはなる。


 遠くで雷鳴が鳴った。

 播磨が斜め上方を見やると、遠い空が厚い灰色雲で覆われ、雨でけぶっていた。そちらの方角から生ぬるい風も吹いてくる。ここに雨雲が到達するのも時間の問題だろう。

 播磨は静かな声で告げた。


「いい加減に諦めろ」


 安庄の身柄を拘束し、その後、司法の手にゆだねる手筈になっている。

 呪術を用いた犯罪の罪は重い。ひと昔前は問答無用で死罪であったが、昨今では無期懲役のうえ、二度と呪術を行使できない処置を施されることになる。

 むろんそのことを承知している安庄が、大人しくお縄についてくれるはずもなく。


「うるせぇ、誰が諦めるか!」


 またも呪符をまき散らした。

 今度は中空で溶けて黒い粘液と化し、地に落ちて広がる。そこからせり上がって人の形をとった。

 播磨の正面に数多の黒法師が半円を描いた。針金のように細い身体、力なく垂れ下がった両腕。その身たちがやや沈んだ直後、一斉に飛びかかってきた。

 無数の拳を繰り出して殴って祓えるはずもない。群がられながらも、一体ずつ確実に仕留めていった。


 空に閃光が走り、大気に雷が轟く。湿気を含んだ一陣の風が、対峙する術者の間を駆け抜け、一枚の枯葉かれはが空高く舞い上がった。



 ○



 所変わって楠木邸は、今日もうららかな様相を呈していた。庭の中心で直立するクスノキが、やわい風を受けて枝葉をそよがせている。

 手水鉢の水を飲む麒麟のヒゲもゆれ、応龍が川をのんびり泳ぎ、大岩の上で霊亀も甲羅干しに勤しみ、石灯籠二基にそれぞれ鳳凰と神霊もこもっていた。


 そんなのどかな風景を見渡せる縁側では、巨大な座布団で山神がヘソ天でくつろいでいる。


 ――ちりん。


 ひさびさにお出ました風鈴が鳴る中、まったり思い思いに過ごす人ならざるモノたちと異なり、真面目な管理人は座卓で副業に励んでいた。

 お馴染みの護符作成である。

 伸びた背筋、和紙の上を滑る筆の動き、祓いの力の込め方。どれをとっても堂に入っており、もう一端の符術師といえよう。

 滝壺に落ちる水のように、あるいは筧から手水鉢に流れる水のように、なめらかに動く筆が流麗な文字を記していく。


 そんな中、大狼がもぞもぞと動き、小さな唸り声を立てた。


「ぬぅ、いかんともしがたい。座布団の底付き感が気になるぞ」

「だからこの間打ち直しに出そうかって言ったんだよ。もうそれせんべい布団になってるよ」


 会話をしながらも、祓いの力の出方がゆらぐことはない。

 山神は見ていないようで、その実しかと横目で見ている。


「今日はそれなりに数をこなせておるな」

「うん、結構いい感じ。このままのペースを保てば、播磨さんをがっかりさせないで済むかも」


 前回も渡せる護符が少なく、物足りなそうにされてしまった。なにぶんもともと量産はできず、木彫りもはじめたこともあり、以前より枚数が減っているのは致し方なかろう。


「播磨さん、ここに着いてすぐ倒れるくらいだから、相当忙しいんだろうね……」

「そうさな。あの時は、風が間に合ってよかったではないか」


 とっさに湊が放った風によって事なきを得ていた。


「ホントだよ。あのままだったら確実に顔面から地面にダイブしてたよ。鼻や歯が折れなくてよかったよかった」


 山神は喉を震わせて笑い、からかうように告げた。


「ひしゃげても案外、元通りに治るやもしれぬぞ」


 湊は手を止め、視線を上げた。


「それは、播磨さんから神様の気配がすることに関係ある?」


 山神が頭部を傾け、湊を見た。


「ほう、気づいておったか」

「播磨さんの身体を支えた時にね」


 手の甲に字を書く程度ではわからなかったが、接触面積が広かったせいか気づけた。


「左様、あやつには神の血が流れておる。遠い先祖に神がおったのは紛れもない」

「そっか……。そういえば春頃、町中で播磨さんが何人かの女性と一緒にいるところを見かけたことがあったよね。その時、山神さんがすぐ『血族ぞ』って教えてくれたのは、全員に神様の血が流れてるのを見抜いていたからだったとか?」

「左様。の眼には、一目瞭然ゆえ」


 湊は面を上げた。


「播磨さん、外見は普通の人にしか見えないけど、人と違うところがあるの?」

「さほどあるまい。今し方云うた元通りに治るというのは冗談ぞ。あそこまで血が薄まっておるのならば、多少の恩寵――怪我が治りやすい、病気になりづらい程度しかなかろうて」

「じゃあ、霊力の恩寵はないんだね」

「うむ。もとより霊力の多い血筋ではないのであろうよ」


 湊も播磨の霊力が少ないのを知っている。何度目かの取引の時、本人から聞かされていた。


「霊力って増やせないものなの?」


 播磨が倒れた時、肉体的疲労に加えて霊力が底を尽きかけていたせいもあるのだと、山神が教えていた。


「いかに錬磨しようが、増えぬ。あやつの霊力の溜まる器は小さいゆえ」

「器が小さい……?」


 理解しがたいような湊を見て、山神は仰向けの体勢でキッチンを見やった。

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