15 材料はたんまりと
浅くため息をついた湊が、木材を手に取る。
一面のみヤスリでもかけたように光沢があり、他の面は艶はおろかザラついてもいる。
前者は風神が斬った面、後者は湊が斬った面だ。
光る滑らかな表面と、他を触り比べる。
「改めて思うけど、風神様のほうは全然違うな……」
湊が斬った側は指に引っかかる箇所も多々ある。
かなり焦っていたとはいえ、今さらながら風神との力量差に打ちのめされる。
「ぴ!」
座卓で待機していた鳳凰が、メモ帳をクチバシで押しやってきた。
「ありがと」
メモ帳をポケットへとしまう間、鳳凰の熱い視線は木材に注がれ続けている。
「鳳凰のは、それが気になって仕方がないようぞ」
「ああ、木を彫るって言ったから?」
鳳凰が大仰に頷く。
「ただこのクスノキを小さく斬って、彫るだけだよ。いつもの表札が小さくなっただけのような物にするつもりだけど」
「鳳凰のは、彫るのはまだ見たことなかったろう」
「そういえば、表札をつくる時は寝てたね」
ぷわぷわ産毛を立てる様子から、異様に期待されているようだ。少しばかり緊張してきた。
「至って地味な作業だよ。小さく斬った木片を彫って、紐か何で首から下げれば――」
湊は何かに思い当たったように言葉を切った。
「待てよ。いいかと思ったけど、首輪みたいだな……。鳥さん、麒麟さんそういうの嫌がるかな?」
「『嫌がろうものなら、荒縄ででもくくりつければいい』と云うておる」
「意外に、乱暴だ……」
軽く眼を眇めた鳳凰が、翼をばたつかせている。心配ゆえだろう。おそらく。
ちらりと太鼓橋を見やると、欄干に乗った麒麟と応龍が角を突き合わせ、どつきあっていた。
角が衝突するたび、鱗粉のごとき光が散っている。いささか激しめの戦いらしい。
「元気そうでなにより」
麒麟は活きがよすぎるくらいでちょうどいい。
霊亀はといえば、我関せずという風に、大岩で霧雨のごとき滝水を浴びていた。
楠木邸の日常風景に、湊は気が抜けたように笑った。
湊が祓う力を込めて、木片を彫刻刀で彫っていく。
鋭利な刃が木肌を滑るたび、くるりと丸くなった削りカスが散った。
それを正面から鳳凰がかぶりつきで見守る。
おめめが爛々と輝いている。ものづくり職人を好む血が騒いで仕方がないご様子である。
麒麟のための木片は、ドッグタグと同等のサイズにした。
これぐらいなら首から下げても、さして支障はないだろう。それに時間をかけて直線を彫っていく。
あえて文字にしなかったのは、万が一なくした時、作り手を特定されないようにとの考えだった。
クスノキの葉は神力を失うと崩れ、消えてしまうが、木片はまだよくわかっていない。
「『ずいぶん手慣れているな』と鳳凰のが感心しておるぞ」
「実際、慣れてるからね」
話しながらも繊維方向を見極め、木の向きを変える仕草によどみはない。
その片手に持つ彫刻刀も相応の年季が入っている。切れ味が落ちた際、砥石で研ぐ手入れも怠らない。
「表札の他にも、温泉宿の各部屋用の鍵に付ける物にも彫ってるんだ。いつもは部屋の名前を彫ってるんだけどね」
「『部屋に名を付けるのか』と鳳凰のは不思議がっておる」
「珍しくないよ。どころか、宿泊施設にはたいてい付いてるものだよ。そうじゃないと、お客さんがどの部屋を借りたのかわからなくなる」
上目で鳳凰を見やると、納得したように「ぴぴ」と鳴いた。
「付けても、迷う人はいるけどね」
あとキーホルダーをなくす人も、と小声で付け足された。耳聡く聞き取った山神が首を傾げる。
「なにゆえ、きーほるだーなる物をなくすか」
「さあ? なぜかなくすお客さんが多いんだよね。訊いても、気がついたらなかったの一点張り。取れないようにワイヤーで付けても、鍵だけ返される」
山神が不遜に鼻を鳴らす。
「
手を止めた湊が苦く笑う。
「そうだろうなと前から思ってたけど……。山神さんから教えてもらって、理由がはっきりわかったよ。キーホルダーにも祓う効果が付いてたから、それを知ってる人が盗ってるんだって」
なお、定期的に母からメールでキーホルダー類の作成依頼が入るため、毎回大量につくって宅配便で送っている。
実家および宿用には、神木クスノキは使っていない。まだたくさんあったとしても、限りはある。
湊は語りながら、また木片を削っていく。
祓いの力だけであれば話しながらも込めることは可能だ。
刃が滑るごとに、翡翠色――祓いの力が染み込むように木片へと入る。それを鳳凰が手元の周囲をあちこちに移動しながら、凝視している。
「でも盗る人は毎回、同じじゃないんだよ。
「……どうであろうな。昨今では、異能の力を視える、感じ取れる者は、そうおるまいて」
「だよね。今まで表札やキーホルダーについて、なにか言ってくる人はまったくいなかったし、視えるとすればかなり特殊だろうし……。それはまぁ、下手にそのことを他人に漏らしたら、変人扱いされるかもしれないからか……」
たいがい自らの目で見えるものしか、信じようとしないものだ。声高に主張しようものなら頭の心配をされかねない。
下手を打てば、築き上げてきた人間関係が壊れる恐れもある。
「とは言ったものの、ほとんどの人は盗ってはいるけど、盗人とも言いきれないところもあるんだよね」
「なんぞそれは」
「必ずってわけでもないんだけど……。鍵だけ返したお客さんが帰ったあと、その人が借りていた部屋にいったら、床の間に『お詫び』って書かれた封筒が置いてあるんだ。中には、結構な金額が入ってる。キーホルダーの代金と迷惑料のつもりだと思う」
「なにゆえ、素直に代金を払って買おうとせぬ」
「よくわからないんだよね。たいてい離れを貸し切られるんだけど……。そういう人たちの肌には、派手な色使いの絵が入ってるというか、その、彫ってある……」
「うむ」
『入れ墨』という単語を濁す湊に、みなまで告げずによいと山神が尾を振る。
鳳凰は首を捻っていた。こちらは世情に
「でも、誰もうちで問題を起こしたことはないよ。妙にしおらしく数日過ごしたら、晴れやかな顔になってお帰りになる」
「……左様か」
べったり座布団に伏せた山神は、何かを思案するように虚空を見つめていた。
「あ、しまった」
湊は、ついいつもの癖で
鳳凰が動きの止まった彫刻刀から視線を上げた。
「『それが一番均等に祓いの力がこもっていた』らしいぞ」
「これが、一番彫り慣れてるからかな」
湊が苦笑する。
「うちの温泉宿、『くすのきの宿』っていうんだけど」
「そのままであるな」
「わかりやすいのが一番でしょ。すぐお客さんに覚えてもらえるよ。それで、宿の印がクスノキの葉、このマークなんだよね」
やや簡略化された一枚の葉っぱである。
先端が尖る卵型。三本の主脈――
このマークは『くすのきの宿』に設置された小物類、リネン類、アメニティグッズ、パンフレット等にも描かれている。
「実家の近くにもクスノキがいっぱい生えてるんだけど、子どもの頃、その葉を見ながら俺がこれをデザイン――つくったんだ。だから神木の葉が生えた時、すぐにクスノキだってわかったんだよ」
湊が庭の中心を見やると、ぴっとクスノキが三枚の若葉を立てた。成長速度は遅かろうと、元気いっぱいである。
「そろそろ、お水あげないとな」
クスノキは、日に三度は
いつの間にか、空は晴れ間となっていたが、日も傾きはじめていた。夕方の水まき時間も近い。
「『絵柄が彫れるのなら、木彫りもできるのではないか』と鳳凰のが云うておるぞ」
座卓に向き直れば、鳳凰が期待に満ち満ちた気配を漂わせていた。
湊は新たな木片を手に取り、裏表に返して眺める。
「それは、どうだろう……。ただ字や簡単なマークを彫るのと形を削り出すのは、かなり違うからね。木彫りは、子どもの頃に学校の授業で一回やったことはあるけど……」
表札職人は新たに、木彫り職人を目指すのか。
「そうだね。せっかくいいクスノキがあるなら、挑戦してみようかな」
鳳凰がふんぞり返る。
「『手はじめに余を彫ってみよ』と云うておる」
「あ、はい」
特徴的なトサカがやや難しそうだが、全体的にころんとした丸いひよこだ。そう難しくはあるまい。
「明日でいい? もうすぐ日が暮れるし」
手元も暗くなってきている。
鳳凰がやや残念そうに頷いた。
片付けるべく四角い木片を片手に湊が立ち上がる。
座卓付近は、クスノキの芳香が強く漂い、動くと明瞭にその濃度差を感じた。
「このクスノキを使って、お社とか建てたらすごそうだよね」
「さぞかし快適な住まいになるであろうよ」
山神が双眸を細め、どこか含みを持つ笑い方をした。
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