16 御守り大冒険



 縁側に腰掛ける湊の前に、麒麟がおずおずと歩み寄る。

 昨日さくじつ、まったくもって歓迎できぬお土産を持ち帰ってきた負い目からか、麒麟は妙にしおらしい。


「これ、麒麟さん用につくったんだけど、付けてくれるかな」


 湊の手にぶら下がるのは、長い紐を通した木片――木札きふだ

 くるりと回るそれの表と裏の両面に、籠目かごめ模様が彫られている。


 古来から、六芒星に見えて魔除けの力があると言われてきた、縁起物の模様だ。

 湊が彫ったことにより、実際、強力な悪霊除け効果付きとなっている。


 むろん紐もただの紐ではない。

 クスノキのしめ縄をつくった時と同じ、大麻おおあさ――精麻せいまを使い、湊が編んだものだ。

 黄金色に輝くそれにも、追加で山神がひと撫でし、破邪はじゃの力を強化してある。


「木片に刻むのがただの線じゃ味気ないかと思って、籠目模様にしてみたんだけど」


 麒麟は、湊が手を伸ばしても決して触れられない位置に佇んでいる。そこから動こうとせず、木札をただじっと見つめるだけだ。


 やはり首輪のようで嫌なのか。

 そう思った時、くんっと木札が麒麟のほうに引っ張られた。

 手から麻紐が離れ、宙に浮き、広がって輪になる。麒麟の頭部を通り、無事首元に掛かった。


 麒麟自体の黄みが強いため、金色の麻紐、薄茶色の木札は同化してほとんど目立たない。


「いかにも付けてますって感じにはなってないね」


 湊が安堵したように告げた。

 


 もちろん座布団で伏せる山神には、違う光景として視えている。

 純金のネックレスばりに輝く紐に付いた翡翠の光の塊として。

 その光度たるや、物理的に眼を刺し抜かんばかりの強さで、山神、および四霊でさえ直視は辛い。


 その木札――御守りは断じて麒麟の体色と交じりはしない。

 どころか、その圧倒的輝きで麒麟自体を隠してしまえるだろう。

 


 そんな御守りを下げた麒麟が軽く顎を上げた。

 どうでしょう? と言いたげだ。

 湊が首を左右へと傾け、しげしげと見やる。


「木片の大きさも、紐の長さもちょうどいいみたいだね」


 麒麟が居住まいを正し、湊を見上げた。


『まことに、まことにありがとうございます。なんとお礼を申したらいいのか……。一度ならず、二度三度も助けていただいたのみならず、こんな途方もなく価値のある御守りまで、わたくしめに授けてくださるなんて……』


 殊勝しゅしょうな様子で軽くうつむき、キリッと顔を上げる。


『これで心置きなく、世界中どこへでも旅立てます』



 大岩から遠目で成り行きを見守っていた霊亀と応龍が、顔を見合わせる。


『あやつ、毛ほどもりておらんぞい』

『――ちんは、あれでこそ麒麟よ、と安心してしまったわ……』


 昨日、言い合いの果てに応龍と一戦交えた麒麟だったが、その後、庭の片隅でしょんぼりと意気消沈していた。

 そんな昔馴染み、かつ喧嘩仲間を心配していた応龍であった。



 湊は、麒麟の言葉の内容はわからずとも、出かける気満々なのだと察した。

 らしいな、と愉快げに笑う。


 そこに、山側の塀を登り伝って敷地に入ってきたモノがいた。


 ニホンリスだ。

 楠木邸周辺に頻繁に出没し、木の実をくれる馴染みの野生動物だった。


 颯爽と地面を駆けたリスは、麒麟の横で止まった。

 後ろ足で立ち、ちらりと横目で長――麒麟を見やるそのつぶらな眼はやや呆れていた。

 そのリスの口には、桑の実が咥えられている。

 小粒が集まり、一つの果実となった物で赤黒い色に熟しており、食べ頃だろう。

 それの軸をつかんだリスが、湊へと差し出す。


「ありがと。今日は果実なんだね」


 いつもは渡すだけ渡せば、さっさと去っていく。

 けれども、今日は何か言いたげに見上げきて、一度縁側のほうへと顔を向けた。


 座卓には、いくつものクスノキの木材が乗っている。

 先ほどまで、湊が木彫りに挑戦していたためだ。


 そこに、かの鳳凰の姿はない。

 残念ながら、眠気に耐えかねて石灯籠でおやすみ中である。


「そやつは、お主が彫った木札がほしいらしいぞ」


 縁側の中央で、スフィンクスのごとき体勢の山神が教えてくれた。


「いいよ。いつもキミには、いろんな物をもらってるからね」

「『失敗した物でいい』と云うておる。健気なものよ」


 なぜか麒麟が胸を張った。


「ちょっと待ってて」


 座卓に戻り、手頃なサイズの物を探す。

 しかし、どれもリスの体に対して大きい物ばかりだ。


 山神がとんとんと床を叩く。

 そこには、昨日、つい癖でクスノキの葉を彫ってしまった木札があった。味も素っ気もない長方形に、ただ葉っぱのマークだけが入っている。


 それは『くすのきの宿』のトレードマークとはいえ、なんの変哲もない、ただの葉にすぎない。

 仮にリスがどこかに放り出してもこの近辺であろうし、湊が彫ったと特定される恐れもあるまい。


 麒麟用のドッグタグサイズよりやや小さなそれなら、リスでも労せず持ち運びできるだろう。



 屈んだ湊が木札をリスに差し出す。

 受け取ったリスは、麒麟を一瞥する。


『長、こちらの方に迷惑ばっかりかけんでくだせェよ』

『あなたに言われずとも、心得ております。ほら、そちらをいただいたのでしょう。気をつけておいきなさいな』


 つんつんした態度の麒麟がそっぽを向きながら告げた。


 浅く息を吐いたリスは木札を咥えて駆け出す。

 田んぼに面した塀をよじ登り、あっさりと越えていく。まさに風のように去っていった。

 その姿を見送った湊が膝を伸ばす。


「リスって意外に筋肉質で逞しいよね」


 一見愛らしい外見であれど、挙動もまた素晴らしく勇ましかった。




 リスが田んぼの畦道を猛然と駆ける。

 足場の悪さを物ともせず、土ぼこりを蹴立て、畦道の際に立つ、カニ、子亀の目前を突っ走っていく。

 田んぼの真ん中を歩いていたサギが、その後ろ姿を眺めやり眼を細めた。


 リスの口元から放たれる翡翠の光は、眼を眇めずにいられないほど激烈だ。

 リスの通ったあとには、翡翠の光の線が描かれた。


 リスが車道に出るまであと少しの所で、その身にかぶさるように影が差した。

 頭上を横切った一羽のカラスの影だ。

 一度遠く離れたカラスが翼を広げ、急下降してくる。


 リスが車道手前で止まった。


 そして、そいやっとカラスに向かって木札をぶん投げる。


 放物線を描いたそれを、カラスが鉤爪かぎづめでわしづかんだ。


「ガア゛ッ!」


 濁ったガラガラ声は『力強すぎ!』と不平を言うようだ。

 ともあれ、音高く羽ばたき、高度を上げた。まばらな民家のはるか上空をカラスが飛んでいく。


 それを、後ろ足で立つリスが見送る。

 山あいを越えて小さな黒点になったのを見届け、静かに前足を地面に下ろした。




 羽ばたくカラス――ハシボソガラスが大空を飛ぶ。

 その鉤爪に、しかと木札をつかんで。


 その下方に、濃淡の差が顕著な田んぼと民家が点在している。

 たわんだ電線で羽を休めていたムクドリが、首をめぐらせ、農道をなぞるように直線飛行していく黒いカラスを見送った。


 しばらくカラスが飛び続けていると、徐々に人工建築物が増えてくる。

 さらに黒い霧も現れた。

 カラスの前方、住宅地を覆い尽くすほどの広範囲に渡っている。


 瘴気だ。


 カラスが飛翔し、高度を上げる。

 はるか上空から見下ろすと、一軒の民家を起点にどす黒い瘴気が間欠泉のごとく吹き上がっていた。


 その真上を旋回したカラスが木札を落とす。

 間髪いれず、翼を畳み、滑翔かっしょう。先をゆく木札を、その細いクチバシでがっしりと咥えた。

 そのまま錐揉きりもみ回転しながら、もっとも瘴気の濃い場所へと降下する。


 翡翠の膜をまとうカラスが霧状の瘴気を引き裂き、消していく。


 民家の屋根間近まで迫ると、一気に家内に巣食っていた悪霊がかき消された。

 カラスはU字を描き、空へと舞い戻っていく。

 それを追いかけるように、後方の家から振動波が放たれた。あおられたカラスの飛行速度が増す。



 新たに横方向から別のカラス――ハシブトガラスが飛んできた。

 遠ざかる翡翠の光を追う途中、大きく旋回し、後方を見やる。その視界には、民家――廃屋がくっきり映っている。


 もうどこにも、不快で腹立たしい瘴気、悪霊もいない。

 すべて消えた。消し尽くされてしまった。


「カァーッ、カァーッ!」


 寂れた住宅地に高らかに響く鳴き声。

 その太いくちばしから放たれたそれは、さながら哄笑のごとし。語尾に草が大量発生していそうだ。




 二羽が彼方へと飛び去ったあと、わずかに遅れ、風に乗った神気が住宅地に吹き下ろす。

 悪霊は消滅し、さらには浄化の風。


 それはまるで、天に御座おわす神からの施しのようだった。


 廃屋の二階、割れた窓際でレールから外れかけたカーテンがほのかにゆれた。




 翼を自在に操る一羽のカラスが風を切って飛びゆく。

 わずかに光度の落ちた翡翠色の木札を受け取ったハシブトガラスだ。それを咥えてあざやかに滑空し、一軒の家を迂回する。


 その下方、脇道をイタチが跳びつつ駆けている。

 カラスのクチバシが開くと、木札がこぼれ落ちた。

 見上げていたイタチが軽く跳んで、口でキャッチ。そのまま速度を落とさず疾走していった。

 二羽のカラスを経て、今度はイタチへと木札が渡った。



 その一部始終を、上空から見ていたモノがいた。


 黒い狐だ。


 背負った風呂敷包みが分厚い毛並みに埋もれかけている。加えてその風呂敷は、深緑色の地に白い唐草模様。

 古式ゆかしい泥棒スタイル。


 されど何を隠そうこの狐――ツムギは、神の使いである。やっぱりお使い中だった。


「……なにやら動物たちが忙しいようなのです」


 小声で独りごち、身を翻す。

 優雅に太い尾を振り、はるか遠くの小さな三角の山――自らの住まいに向け、てってけてってけ駆けていった。




―――――――


ハシブトガラス「ザマァwww」

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