14 そこのけ、そこのけ、お猫様ズが通る
湊の存在に一切気づかなかった葛木小鉄は、式神一行を引きつれ、早足で狭い路地を歩いた。
道は式神軍団で塞がれており、誰もいない今なら問題なくとも、道が開けたらよろしくあるまい。
「そろそろ
命令ならぬ、お伺いである。
形代の定位置である懐をやや開きつつ言ったが、誰も返事しない、戻らない。素知らぬ顔で葛木の前を跳び、両サイドを飛んでいる。
みんな、断固拒否である。わがままがすぎよう。
「――戻ってくれよ。そのうち、また喚び出すから、な?」
つーん、とそれぞれそっぽを向く。ひさびさに実体を得たから、まだまだ悪霊を喰いたがっていた。
式神たちは父が生み出し、息子に預けられたモノだ。
ゆえに小鉄は式神を大切に扱うあまり、対応が甘い。なるべく彼らの意志を尊重している。
といえば聞こえはいいが、その実、めちゃくちゃ甘やかしていた。
そんな式神たちをなだめ、お願いしているうちに、目指す場所が見えてきた。狭い区域にひしめく向こう三軒両隣、すべて空き家となっている。
つい先ほどまで充満していた瘴気が晴れた一帯は、ただ人に打ち捨てられた物悲しい景観が広がっている。
その中央あたり、民家の隙間から、おぼつかない足取りの男が出てきた。
今日の悪霊祓い任務で組んだ相手――一条であった。
式神たちは一条を見るやいなや、相次いで形代に戻っていく。サクサクと自ら葛木の懐に飛び込んでいった。
「なんだ、急に……。あれだけ嫌がっといて……。お前さんたちは、ほんと気まぐれだな。誰に似たんだか」
父にも、長年の付き合いの小鉄にも似ていない。
ともかく、一条は少し離れていた間に、なぜか見るも哀れな様相に成り果てていた。
その衣類と髪型は乱れて薄汚れ、まるで台風の只中を強行突破したようだ。
式神たちを探しに行く前は、白スーツという明後日の方向にキメた出で立ちであったのだけれども。
「――一条。お前さん、どうした?」
葛木が声をかけても、両膝に手を当て、前屈みになった一条は喘鳴しか返せない。必死に酸素を取り込んでいる。
そんな疲れ切った風体ながらも、苛立ちを隠さないその面持ちなら、さして案ずることもあるまい。
やや顔をのぞき込むようにして、葛木は問うた。
「つむじ風にでも巻かれたのか?」
長い沈黙のあと、一条は深々と息を吐き出した。
「……なんでも……ありませんよ」
姿勢を伸ばし、襟も正す。努めて平静を装おうとしていた。
一条はプライドだけは人並み以上であり、弱みを晒すのを極端に嫌う。文句や愚痴をこぼすのは、幼馴染み兼絶賛片思い中の
堀川にしたら、どこまでも迷惑でしかない。
「へぇ、そうかい」
付き合いの長さもあって葛木も承知しており、それ以上の詮索はしなかった。
一方、一条は震えそうになる両脚に力をこめて立っていた。背筋を伸ばすのさえ多大なる気力、体力を要していた。
つい今し方、自らに降りかかった災難としか思えない出来事は一体何だったのか。
まったくもって理解が及んでいない。
だが、身の毛もよだつ体験を山神によって否応なしに与えられた男は、思考を遮断するのには慣れていた。
本日の任務は、葛木と悪霊の巣窟と化した居住区の悪霊祓いであった。
やや厄介な悪霊を始末してしまえば、あとは有象無象の集まりでしかない。
形も取れない弱い悪霊なら、葛木の式神が大いに役立つ。
彼らに任せ、最後の一軒をほぼ祓い終わった時、突然、葛木の式神たちがその場を離れていったのであった。
『お前さんたち、どこいくんだ!? 一条わりぃ、あと頼むわ!』
返事も聞かず、追いかけていった葛木に呆れるしかない。
己が式神を制御すらできぬとは。陰陽師の風上にも置けぬ。
「だいたいなんなんだ、あの式神らは……」
小石を蹴飛ばしつつ、苦々しげに悪態をついた。
なぜ、海洋生物ばかりなんだ。
それにだ。ゆるい外見のせいで緊張感が削がれるのは、考えものだ。悪霊を片っ端から喰らい尽くす悪食さはえげつないけれども。
加えて使い捨てではなく、何度も実体を取り、命令を遂行する式神など、ありえないだろう。
――一条家に伝わる術では、決してつくれはしない。そんな強力で使い勝手のよいモノは。
強く舌を打った一条が、今度は路傍に転がるゴムボールを蹴ろうとした。
ちょうどその時、突風が吹いた。
なんの前触れもなく、家々の窓や木立が大きくゆれる強風がその背中に襲いかかった。
よろめいた一条は、全身から冷や汗を吹き出した。
この風は違う。
去年の晩夏、あの奇妙な領域でしきりに叩きつけてきた風圧ほどもない。濃い神威の乗った息苦しさをともなう風でもない。
そう頭で理解していても、身体が条件反射で反応する。
ここから一刻も早く、逃げ出さなければならない。
迅速に、可及的速やかに、少しでも、わずかでも遠くへ。
瞬間的に湧き上がった衝動に突き動かされ、一条の革靴が地を蹴った。
不幸なことにそこは、狭い路地である。
舗装も甘く起伏に富み、さらには下水溝の蓋の閉まりも怪しい。
その一箇所で
勢いあまった身体が壁に正面衝突し、派手な音を立てて弾かれた。
しかしその程度で、一条の逃走は阻めない。
今は仕事中であろうが知ったことではなかった。命あっての物種である。
早く早くと気が急き、連動して足も前へ向かった。
焦りが視界を狭め、思考力も奪う。
またも塀にブチ当たりかけも、すんでのところで、そこを手で押し退けた反動でよろけ、片足を伸ばして踏ん張って耐えた。ようよう転倒を免れた。
ほっとしたのも束の間、ドカッと背中に衝撃が走る。
「うにゃー!」
塀からジャンプした大きな野良猫に踏んづけられたのであった。
「ミャー!」
もう一回、メインクーンに。
「んなぁ〜!」
さらに、ブリティッシュショートヘアがよっこらしょ、ラグドールもどっこいしょ。大型成猫一団が追いかけっこの途中、一条の背を踏み台に、続々と塀へ跳び移っていった。
そのたび、白い背中が蹴っ飛ばされ、路地奥に押しやられていく。
極めつけに、
哀れ、一条。ついに地に伏してしまった。
路上で、ザリッと拳を握りしめる一条は知らない。
平行する路地を湊が慎重に歩き出したことを。
湊には、四霊が加護を与えている。
四つの足跡の形をしたそれは、彼の両肩、背中にべったり付いており、招福効果だけではなく、悪縁もつながらないようになっている。
ゆえにその加護がフル稼働し、人間性に超絶難ありの自らがそれによって弾かれてしまうことを、爪の先ほども知らなかった。
――以上が、一条を襲った一連の出来事である。
これから先もこの男が湊と出会える確率は、ゼロに等しい。
とはいえ案外一条にしても、そのほうが幸運なのかもしれない。
◯
薄暗い路地を歩む湊の行く手に、人の行き交う広小路が見えた。明るいそこはまるで、別世界のように感じられた。
そこまで数歩の位置に迫った時、明るい塊が入ってきた。
山神である。たゆたうように歩くまばゆい御身が、路地を煌々と照らす。
「山神さん」
呼びかけた湊を一瞥した山神がその背後へ視線を流した。
「なんぞ、あったか」
「懐かしい方に会ったような、会ってないような……?」
「なんぞ、それは」
ふすっと鼻を鳴らした山神は踵を返した。
その後ろに続く湊がやや心配げに問う。
「なんでもないよ。山神さんのほうは? 家でなにかあった?」
「いや、取り立ててなにもない」
山神は平坦な声で宣った。
「そっか。じゃあ、出版社にいきますか」
「その前に、惹かれる香りがある。あれは、紛れもなく極上のこし餡の品ぞ」
「はいはい、そっちが先だね」
るんるんとした足取りの白き御身とのんびり歩調の細身が広小路に出た途端、すっと大勢の人影が道を開けた。
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