22 皆々様の様子までおかしいようです


 霊亀の様子がおかしい。


 今朝方から、大岩の上で甲羅を背もたれにして座っている。いまだかつて見たこともない体勢を取っていた。

 思わず二度見してしまった。

 しかも通常半分しか開いていない瞼が全開になって、まん丸おめめになっている。意外に愛らしい外見だった。

 ただし、微動だにしない。瞬きもしない。ややホラーである。


 そばに寄ってみると『気にするな』とばかりにようやくパチッと両眼を一度閉じて開いた。

 たったそれだけだったが、具合が悪そうなわけでもなく。そのままそっとしておいた。とはいえ変なのは、霊亀だけではない。


 応龍の様子もおかしい。


 こちらは、とにかく飛ぶ。

 飛び魚かと見紛うほど華麗な大ジャンプをキメてくれる。以前から時折飛んでいたが、徐々に頻度、高度も上がってきていた。

 今し方、最高到達点がクスノキのてっぺんまで達した。

 青銀の光を振りまく応龍が水面から飛び出ると、水しぶきも高く立つ。まるで小雨のごとく水が降りしきり、虹が架かる様は、言葉にできないほど美しい。


 だがしかし、あまりに回数が多い。

 ばっしゃんばっしゃん御池の外にまで水が跳ね、麒麟がいたく迷惑そうにしていた。

 けれども応龍は、ただただ無心に飛ぶだけだ。


 そして、かくいう麒麟もおかしい。


 こちらの様子は大概おかしいものだが、今までと少しばかり異なっていた。

 通常、麒麟は太鼓橋かクスノキの根本にいるが近頃、頻繁に屋根の上にいるようになった。

 ここまで妙な場所にいるようになったのは、数日前からだ。


 そう、えびす神と睨み合った見つめ合った日からだ。


 ぴしゃんと湊の脳内に、ひらめきが走った。


 まさか麒麟は、かの宿敵ライバル――えびす神にただならぬ想いを抱いたのではあるまいか。


 あれだけ熱く見つめ合っていたのだ、可能性はゼロではあるまい。

 それに今は、まさに春。恋の季節だろう。

 多くの動物には発情期があり、おおむね春にその時期を迎える。


 しゅっと麒麟が縁側前を爆走していった。湊が視線で追う。肉眼で捉えられるのは残像のみ。そのクリームパールの軌跡で、辛うじて麒麟だと判別できた。


 以前より格段に疾い。

 それに輝き度も増していると思われた。いても立ってもいられないご様子でもある。

 きっとあれ以来、えびす神が訪れていないせいだろう。

 

 あの日、突然現れたえびす神は、風呂上がりに麒麟の買い置き麦酒を一杯かっくらったあと『ほな、またな』とご機嫌に竜宮門から去っていった。

 ちなみに、たい焼きは大変美味しゅうございました。

 外側はパリッと香ばしく、中の餡もあつあつの出来立てのままだった。鯛の体の神秘に対する好奇心は、彼方へとさよならするほどのうまさだった。

 むろん山神もこし餡の物だけを食してご満悦であった。

 

 またしても麒麟が助走もなく、屋根に飛び上がった。

 おそらく千々に乱れる心に突き動かされ、奇行に走っているのであろう。


 しかしここで、湊はふと疑問に思う。

 純粋に麒麟の性別はどちらであろうかと。


 麒麟は麒――オス、麟――メスを合わせていったものだという説がある。なお鳳凰も鳳――オス、凰――メスらしい。

 もしそうだとするなら、今、屋根から飛び降り、ひとっ飛びで塀を越えていった麒麟は、いったいどっちになるのだろうか。


 いや、待て。ちょっと、待て。

 

 いずれにせよ、麒麟と鳳凰には、すでにお相手ツガイがおられるということになるのか!?

 

 なんてことだ。

 修羅場は避けられまい。熾烈な争いが繰り広げられるに違いない。痴話喧嘩で庭に血の雨が降るやもしれぬ。美しき神の庭が惨劇の舞台となってしまう。

 掃除が大変そうだ。誰がするんだ。

 あ、俺か。俺だった。

 

 片手で両目を覆った湊が、天井を仰ぎかけたその時――。


「ぴぴッ!!」


 鳳凰鬼教官から、叱声が飛んだ。

 瞬時に、益体やくたいもない疑念を断ち切られた。

 湊は護符の作成中にもかかわらず、つい思考をあらぬ方向へと飛ばしまくっていたのだった。

 姿勢を正した湊が座り直す。座卓で眼を吊り上がらせている鳳凰へと頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」

「ぴ!」

「はい、集中します」


 しかと筆も握り直した。

 ざっと神威交じりの風が吹く。屋根上まで巻い上がった桜の花弁がふわりふわりと落ちていく。その身に、数多の花びらをまとうクスノキがしめ縄をゆらした。


 ――ホーホケキョ!


 敷地外からの鳴き方は、まるでねぎらうようだった。

 

 

 湊の手元から、細い翡翠の糸たちが陽炎のように立ち上る。

 その数は、以前よりはるかに減っている。

 和紙に祓う力が閉じ込められつつあるからだ。

 その光景が、対面の座布団に寝そべる山神からも見て取れた。

 和紙の表面には、蜂の巣の形状――いくつもの六角形を形作る銀の糸が張りめぐらされている。

 それが、筆で書かれた字の翡翠色――祓う力を和紙に閉じ込めている。

 いずれの六角形の大きさもまばらで、歪んでいる箇所も多く、美しい正六角形にはほど遠い。


 だが、かなりマシになってきている。

 新しい力を手に入れてから一週間ほどだが、短期間で上達していた。


 それは紛れもなく、鳳凰のおかげだ。


 今もつきっきりで、眼下の和紙へと鋭い視線を落としている。

 鳳凰は指導することをためらわない。惜しまない。


『違う、一つ前のやり方のほうだ。……そう、そのやり方だ。いいだろう。そのまま己の呼吸に合わせろ。吐く時にやや強めに力を込め、そして吸う時には止める』


 事細かなその助言は、湊には聞こえていない。

 されど、ほぼ告げられるままに、うまくできている。

 なぜなら鳳凰は声の音程を変え、湊が成否を判断できるようにしているからだった。

 ゆえに湊はさまざまなやり方を試し、力の込め方を探っていた。


『うまくはなってきておるが、まだ、完璧とは到底云えぬ』

『ああ、確かにまだだが、習得は早いほうだ。これは風神の力を遣えるようになっていたおかげだろう』


 山神と鳳凰は、湊には聞こえないよう、念話で話す。


『その風神の力を、さらにうまく遣えるようにせねばならぬ』

『今はやめておけ。こちらだけに集中させろ』


 鳳凰は視線を動かさず、山神に伝えた。


 念話をしていた山神だが、その前足だけはせっせと動き続けている。座布団と前足のあいだで何かをこねていた。

 その動作は、猫がやわらかな布地などをこねる様と酷似している。

 その何かが徐々に丸くなっていき、まばゆい光を放ち始める。

 ちかっと視界を掠めた強い光に、またも湊の集中が切れた。

 ギヌロッと鳳凰が振り向いた。

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