14 既視感





 当初の予定通り、湊と播磨は北側の棟へ向かうべく廊下を進んだ。

 透廊すきろうとも称されるそこは、側面が吹き抜けになっており、ただ板張りが長く続くのみだ。進行を阻害するようなモノも、目に映らない脱出口モノもないようであった。


 播磨とともに靴音を響かせて歩む間も、集中力は切らさないように努めつつ、湊は普段通りに振舞っていた。

 つまり絶え間なく話す。沈黙はやや苦手ゆえ。


「なんか、あれですよね。この建物、まったく見たことないけど、懐かしい感じがしませんか?」

「ああ、そうだな。細かい所は違うだろうが、大まかな所は現代の建物とさほど変わらないからじゃないか」


 播磨も嫌な顔をすることもなく、話に付き合ってくれている。さして弁が立つ方でなかろうが、無口というわけでもない。

 とはいえ、ここまで長い時間、行動をともにするのははじめてだ。ただの仕事の取引相手でしかないといえばそうだが、あまり気づまりを感じる相手ではなくて助かった。

 思う湊の視界の端に緑が掠め、横を向いた。

 簡素な手すりのはるか向こうに、池泉庭園がある。波一つ立たない、ただの巨大な水たまりでしかないとはいえ、それを目にすると顔が和らいだ。


「俺、いかにも日本っぽい庭を見た時、いつも懐かしさを感じるんですよね。――だからたまに、前世もこの国で生まれ育ったのかなと思うんですけど」


 何も応えがなく前を向くと、眼前に立ち止まった播磨の背中があった。


「うおっ」

「――すまん」


 すんでで横へ避けると、播磨はふたたび歩き出した。うつむきつつ眼鏡に触れている。


「――そういうこともあるかもしれないな」


 意外にも同意してくれた。

 生きとし生けるものは輪廻転生する。

 元は異国の宗教の考えであるが、この国にもそれを信じる者は多い。心の底からそれを信じているのかはわからないけれども。

 だが、神の血を引く播磨も案外知っているのかもしれない。

 魂は本当に転生するのだということを。


 湊は知っている。

 山神と町に出かけた際、空き家に棲みついていた悪霊を山神が浄化した時に知った。それから先日も山神たちと話題になったばかりだ。

 そのせいもあって、妙に懐かしさを感じる風景や物事に出くわすと、過去世絡みなのかもしれないと思うことも多い。


 さておき、脱出口の捜索である。

 少し早足になった播磨は、西の対屋に達していた。わずかに遅れて湊も辿り着く。


「まだ脱出口は見つけてませんけど、見つけたらそこから出ていいんですね?」

「おそらく。祖の神は脱出せよと言っていたからな。しかしまぁ、正直俺も肩透かしを喰らった気分だ。はっきり言って悪霊は大したことがなかった。なさすぎるといってもいい」

「ですよね。俺ももっと大量の悪霊が襲ってくるんじゃないかと思ってました。どれだけ長く戦えるかな? というような感じで」

「ああ、俺もそう思っていた。だが、実際は数える程度だった」


 会話をしながら、ともに対屋の蔀戸を探る。

 格子状の蔀戸は上下に分かれており、上部を引き上げる構造になっている。

 が、どこも開かない。

 寝殿の時は播磨が近づいただけで、自動で持ち上がる謎仕様であったのだけれども。


「蔀戸をこじ開けるのは気が引けるけど……」


 湊は隙間に手を入れて開けようとするも、ビクともしない。同じようなことをしていた播磨であるが、最後の一枚が開かないことを知ると、拳を握って指の関節を鳴らした。

 クセだろうか。はじめて見た。

 顔には出ていないが、苛立ちを募らせているようで、もう一度関節を鳴らした。

 ふいにその仕草に重なる人影があった。

 驚いた湊は瞬きを繰り返すと、見えなくなった。

 気のせいかと訝しんでいると、播磨はやにわに蔀戸の下部を蹴りつけた。

 予想外の暴挙に湊は目ん玉をひんむく。


「播磨さん乱暴すぎでは!? ここ神様の領域ですよっ!?」

「さすがによその神ならためらうが、身内の神域だから構わん。それにここは俺のためにつくられた場所なら問題ないだろう」


 湊は首が吹っ飛びそうに周囲を見渡したが、確かに何も異変は起こらなかった。


「――大丈夫そうではあるけど……」

「それに祖の神はガサツだ。建物に多少傷が入ろうが壊れようが気にもしないはずだ」

「あの、気になってたんですけど、播磨さんのご先祖様はなんの神様なんですか?」

「武の神だ。勝利の神と崇められることが多いな」

「予想通りだった……」


 呆然となっている間にも、播磨は新たな戸を蹴る。ぱすっと気の抜けた音がするのみだ。それなりに力を込めているうえ、木製にもかかわらずである。

 播磨は盛大に顔をしかめた。


「――なんなんだ、この戸は……」

「どうにも開きそうにないので、ここは放置しますか? 北側の建物でもありませんし」

「いや、ここはひっかかる。この戸は妙だろう。明らかにおかしい」

「まぁ、そうですね。見た目と質感からたぶんヒノキだと思うんですけど、音が妙ですよね」


 木工職人さながらに、指先で叩いてみた。爪を当てているにもかかわらず、ろくに音も立たない。


「――うーん、音がおかしいなら、見えているこの構造自体もおかしいのかな……?」

「――まさか、この戸は上に開くわけではないと?」

「かもですね。押してみましょうか」


 隣との境目になる上部に手を当て、押した。

 すっと音もなく、向こう側へ戸がスライドする。それは戸の真ん中あたりから回転するような動きで、湊は目を輝かせた。


「これ、どんでん返しですね!」

「――忍者屋敷か。なんなんだこの造りは……。この時代、まだからくり屋敷はなかっただろうに。忍びはいたかもしれないが」

「そういえば、さっきお姉さんの旦那さんのポケットから落ちたのは、手裏剣じゃなかったですか?」

「そうだ。あの男は忍びの一族の者なんだ。よせというのにいつも何かしら暗器を仕込んでいる」

「現代にもまだ忍者がいるんですね……!」

「ああ、それなりにいる。――待て、俺が先にいく」


 わりと驚きの情報を軽く教えてくれた播磨は、湊の腕を引いて前へ出た。

 湊も素直に下がる。何が起こるかわからないからだ。

 ふたたび気を引き締めたその視線の先で、戸の回転とともに播磨が室内へ踏み込む。

 一歩ごとにその黒衣が淡くなっていき、湊はためらうことなく腕を伸ばした。

 しかとその手のひらを黒衣に押し付けた瞬間であった。

 世界が暗転した。


 パタリ。一回転した戸が閉じる。

 途端、その下部から光の粒子へと姿を変えていく。

 対屋も、透廊も、寝殿も、池泉庭園も。ことごとく形を失い、煌めく粒子の大群となって上空へと舞い上がった。


 そのあとには、真白の空間だけが残っていた。



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