15 奇妙な世界





 一瞬の暗闇のあと、世界は光を取り戻した。

 加えて、音も匂いも温度も。日差しはあたたかく、大勢の人々の雑多な匂いと彼らの話し声と足音がする只中にいた。

 目を見開いて立ち尽くす湊と播磨は、大路の真ん中にいる。

 往来する老若男女はことごとく和装を着用しており、くすんだ色彩の中で湊たちの明瞭な色合いの洋装は浮いていた。

 しかしながら誰一人、こちらに目もくれない。

 とはいえ、二人とぶつからないよう人が避けていくことから、認識されてはいるようであった。

 その者たちの容姿と話している言語から、ここが日本であることは疑いようもない。けれども――。


「あれですよね。どう見たって現代の人たちじゃないですよね」

「ああ、いつの時代なんだ……?」


 湊は周囲をよく見てみた。

 気持ちがいいほど大路は直線に延びている。そして幅が広すぎるあまり、両側はほぼ確認できない。

 次に身体ごと振り返って、湊は目をむいた。


「うわ、でっかい門!」


 思わず口をついて出てしまうほど、その門の大きさは規格外であった。

 二つの屋根をもつ二重門である。

 白壁に朱塗りの木材がよく映えるその高さは、現代ビルの五、六階建てに相当するだろう。三つある間口は、一つでもトラックが悠々と通り抜けられそうだ。

 いまそこらは閉ざされており、その近くに姿勢よく立つ男たちは門番と思われる。

 両翼の築地塀も高く、人間を拒絶する威圧感を放っているように見えた。


「物々しいですね……」

「ああ。あの門の向こうに、殿上人が住んでいるじゃないか?」

「なんかそんな感じですよね。あっ、播磨さん、あれ見てください!」


 指差すと、播磨も見やった。

 ――ウモ~。

 一頭の牛が車を牽く、牛車であった。

 現代ではまずもってお目にかかれない、平安時代の貴族の乗り物であろう。

 浅く口を開けた播磨とともに凝視すると、唐突に牛が立ち止まった。

 水干すいかんをまとう牛飼い童が焦る。


「こら、止まるんじゃない! おい、寝そべるな!」


 手綱を引かれようが、鞭で叩かれようが、牛はどこ吹く風。怠惰に伏せて、大口をあけてあくびし、ついにはウトウトまどろみはじめた。


「おいこらー! 起きろー!」


 牛飼い童の悲鳴じみた声が大路に木霊するなか、屋形の御簾の奥から中年男性の声がした。


「やれ、牛は寝てしもうたんか?」

「は、はい! 申し訳ありません、大納言様! すぐに叩き起こしますから、お許しをっ」

「なに構わぬ。少しの間なら寝させてやれ」

「ですが、出仕が遅れてしまいます!」

「よいよい、帝には凶事に遭ったゆえ、物忌ものいみをしていたとでも言うておけばええ。や、本当に家に帰って長い物忌に入ってももええな?」


 ホホホ、と鷹揚に笑う声がした。




 湊は播磨と顔を見合わせた。


「大納言って、太政官制の時にあった官職名ですよね?」

「――ああ。物忌とも言っていたな。あれは平安時代のサボりの口実だろう?」

「ひどい。あの頃の方々は真剣だったでしょうに」


 平安時代中期の貴族社会には、物忌という習俗があった。凶事に遭わないよう家にこもって行動を慎むことである。

 その凶事の前触れとされていたのが、普段と異なる珍事だ。

 やれ屋敷内に蛇が出ただの、やれ敷地内に鹿が入ってきただの、やれ家門に牛が突進してきただの、突然道端で寝ただの。

 そういった事柄を占いによって凶事の前触れと判じていたのが、誰あろう当時の陰陽師なのだけれども。


 やや複雑そうな顔の播磨が、牛車の屋根を見つめた。四隅の反った唐破風である。


「それに、あの屋形も豪奢な唐車からぐるまだ。中の男の身分が高いのは間違いない」

「たしかに値段が張りそうな造りですね」


 じろじろと湊も同じように見つめていたが、道ゆく人々が無反応なことに一抹の不安を覚えた。


「ここは過去の平安時代なんでしょうか……。実際のところわかりませんけど、貴人はあまり見てはいけないとか決まりがあるんですかね。取り締まられたりするのかな。この時代にも警察みたいな人たちがいましたよね?」

検非違使けびいしか」


 播磨がぐるりとあたりを見回す。


「そういう者たちがそんな恰好をしていたかまでは知らないが、とりあえず周辺にはいなさそうだ」

「ですね、堅苦しそうな人はいないみたいだ」

「しかしそもそも俺たちはほとんど認識されてないから、そのあたりはあまり気にしなくていいんじゃないか?」


 こちらを見ることもなくすれ違っていく人々を、目だけで追いながら湊も頷く。


「そうかもしれませんね。――とりあえず、現在地の把握からですかね」


 ふたたび二重門を見やった。


「あの巨大な門とか貴族っぽい方がいることから、ここは京之都きょうのみやこなんでしょうか?」

「おそらく」

「やっぱり播磨さんのご先祖様が出逢った街ですか?」


 播磨は凄まじい渋面になって頷いた。


「さすがに、詳しい場所やどんな風に出逢ったかまでは聞いていないが……」

「といっても、やみくもに探すわけにもいかないですよね……。それと神域はつくった神様なら好きなように時間を操れるみたいなので、下手したら何時間も何日もここをさまよわなきゃならないかもしれません。そして俺たちは歳を取らないと思います」


 裏島千早のケースを思い出して神妙に告げると、播磨はさもいやそうに顔を歪めた。


「ぞっとしないな。いったいどこにいけば脱出口があるというのか――」


 眼鏡を押し上げたその面が突然上がる。


「そうだ。祖の神が母や姉に降りた時、時折出向く場所がある」

「お、可能性がありそうですね。他に手がかりもないからそこにいってみましょうか? ただ街の景観がかなり変わってるだろうから、たどり着くまでに時間がかかりそうですけど」

「問題ないはずだ。そこは奈良時代からある寺の近くだから、見つけるのもそう苦労しないだろう」

「古都って素晴らしい……!」


 ひとまずの目的地を定め、ともに雑踏の中へ踏み出した。




 碁盤の目のようにつくられた街は、どこもかしこも畏まった印象であった。

 そんな中、店の間に祀られていた石像を見て、湊は目を和ませた。


「懐かしい……」


 無意識につぶやいてしまい、はっとすれば、播磨と目が合った。


「――君は、珍しい目の色をしているな」


 脈絡もないことを指摘され、不思議に思いつつ目尻に触れた。日の光をまともに浴びる今、オリーブ色の瞳がはっきりと見えるだろう。


「ああ、はい。うちは生粋の日本人家系なんですけど、なぜか俺だけこんな色なんですよね」


 ありがたいことに異端扱いされたことはない。どころか母を筆頭に隣人の女性陣からも綺麗、綺麗ともてはやされ続けたおかげで、劣等感を抱いたこともまったくない。

 たしかにやや珍しかろうが、そんなに気になることだろうか。

 理由を訊こうとした時、複数人の騒ぐ声がした。


「――あかん、このままやと祟られてまうぞ……!」


 ひときわ甲高い叫びの内容に、播磨と一瞬目を見交わし、足早に築地塀の角を曲がった。

 そこには、塀から通りへ大きく張り出した一本の大樹があった。

 通りに集まった人々が見上げている。

 歪に曲がりくねった枝の股に、猫がいた。

 一瞬子猫が降りられなくなっているのかと思ったが違った。

 ブチ柄のその猫は成獣であり、なおかつそこでお座りして余裕そうであった。自ら登ってくつろいでいるだけだろう。眼下で騒ぐ人間たちを見下ろす様は、わずらわしそうにも見えた。

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