16 祓う以外でもお役に立てる湊と播磨の意外な一面





「ただ猫が木に登ってるだけですよね……。この時代、猫はあんまりいないんでしたっけ?」

「ああ、珍しいんじゃないか。公家や寺などの裕福な者たちの所にしかいないはずだ。書物を荒らすネズミを獲ってくれると重宝されていたようだな。――時代が時代だからな……。あの木に何かしらいわれがあるのかもしれない」

「ですかね。ここまで通りに枝を伸ばしているのに放置されているのなら、切れない理由があるのかも……」


 集団を遠巻きにしながらこそこそと話していると、人垣の外れにいる若人がじりじりと離れ出した。


「またあん時みたいに、大樹様がお怒りになるわ……!」

「どんな風に怒ったんですか?」


 気になって、湊はつい尋ねてしまった。

 若人の目がこちらを向いた。純朴そうなその顔は気の毒なほど青ざめている。


「大樹様を切ろうとした人間がな、一人残らず死んだんよ。祟りや。大樹様が祟り殺したんやっ」


 その真剣な態度を馬鹿にすることは憚れた。

 しかしながら現代人である湊たちが無条件に信じられるはずもない。


「――あの、でもいまは、ただ猫が登っているだけですよね?」

「なに言うてんの、それだけでも大問題に決まってるやん! あの大樹様はな、触っただけでも祟られるんやぞ……! 少し幹に近づいただけでも転んで怪我したり、具合が悪くなったりする者もおる。ほんであの猫様はな、■■様の大事な方なんよ。もしあの猫様が祟り殺されでもしたら■■様は後を追いかねん。どうしよう……!」


 なぜか名は聞き取れなかった。

 ともあれ、苦悶の表情で悶絶する若人にはただひたすら同情するしかない。

 一方、播磨は非常に冷めた態度である。滑稽な者を痛々しげに眺める目をしていた。


「きゃあ!」


 とまたも集団から悲鳴があがり、見上げれば、ブチ猫が後ろ足で喉元をかきむしっていた。

 阿鼻叫喚となった平安勢と目を眇める播磨の傍ら、湊も猫をじっと見た。

 残念ながらその視線がこちらへ向くことはない。少し遠いからかもしれない。もう少し近づけば、いつものように、己についた麒麟の加護に気づき、興味を示してくれるはずなのだけれども。


 湊は動物たちの長である四霊に加護を与えられている。

 その両肩と背中についた足跡はその証であり、人間の目には映らなくとも、動物には視えている。

 ゆえに普段、自らの長が目をかけた人間ゆえ、あるいは純粋に長の気配に惹かれて、湊の元に集まってくるのだ。


 ひとまず猫のことは後回しでいいだろう。

 優先すべきは老樹の問題だ。

 若人の言葉を全面的に信じることはできないが、そばに寄っただけで起こるという異変は真実なのかもしれない。

 なぜなら、あの老樹には精霊が宿っているからだ。


 湊はひどくねじれた木の幹を見つめた。

 ブチ猫がいる場所よりやや下方、ねじれの隙間でモゾモゾ動いているモノがいる。

 ピョコっと振り向いたのは、苔玉のごとき風貌の木の精であった。

 その姿は猫の顔面より小さい。遠目では、その詳細は確認できないが、そのモノが己を凝視してくるのをまざまざと感じた。

 針もかくやの視線を送ってくるその精霊が気になって仕方がない。

 おそらく何かを伝えたがっている。


「あの、播磨さん。あの大樹の精が、なにか言いたいことがあるみたい……なんですけど……」


 話す途中で頭の心配をされかねないと思い至り、尻すぼみになった。

 ところが播磨はいつも通りの態度で、


「その声は聞き取りづらいのか? ならば、もっと近くに寄るか」


 と、みなまで言わずとも察してくれた。


 ありがたい人だなとつくづく思う。

 湊は己が常人ではないと自覚している。昔から妖怪が認識でき、最近では神や霊獣、精霊までも知覚できるようになった。

 ゆえに常人とは、常に一線を引いている。

 理解してもらえないと思っているからだ。

 そのため決して自ら暴露することはしないし、できない。


 さておき、老樹だ。

 張り出すその樹冠の下に人々はいない。なんの躊躇もなく播磨と一緒に近づくと、大勢の人たちは戦々恐々となってさらに距離を取った。

 これなら会話を聴かれることもなかろう。


 湊は老樹を見上げた。

 近くにくると、その佇まいに圧倒される。ねじれた主幹が塀側に傾き、樹形も歪だ。美しい立ち姿とは到底言いがたいが、長年の風雪と戦ってきた歴戦の老兵めいた印象を受ける。

 自ずと頭を垂れたくなる貫禄を感じこそすれ、人におののかれるような禍々しさはない。

 その老樹の精も湊を注視している。


「人を祟ってるのかな?」


 直球で問うと、苔玉めいたその姿がやや膨らんだ。


『ほんのり』


 はっきり聴こえたその不穏な台詞は、播磨には聴こえなかったようだ。とりわけ尋ねてくるわけでもなくただ見守っている。


「人が嫌いなのかな」

『……嫌いじゃない』


 その身をゆらし、ふんわりとした気を放った。その言葉に嘘はなさそうだ。


「じゃあ、なんで祟るの?」


 大きな眼を細めると、重力をまったく感じさせない動きで木から離れた。上下に波を描くように浮遊し、築地塀に舞い降りる。そこで跳びはねた。


『コレ、邪魔』

「あー、塀のせいで根が伸ばせないのか」

『枝も!』


 己の居場所の居心地が悪くて人間に不満を訴えていたのだろう。

 築地塀は明らかに新しい。木の方が先にここに根を張っていたのだから、己が場所だと主張するのはわからなくもない。

 と播磨に報告したら、形容しがたい顔をされた。


「――そうか」


 それ以外の言葉が出ないようだと思いきや、真顔になって尋ねられた。


「木に精霊が宿っているのは、普通なのか?」

「いえ、違うみたいです。出先や山神さんの山でもほとんど見かけませんから。この木は特別なんだと思います」


 木の精がその身を左右へ振る様は、自慢そうだ。


「ともあれ、この塀をなんとかしないとならないな」

「そう考えてくれるんですね」

「それもそうだろう、人を祟るような木だぞ」

「――ですね。まだ新しそうな塀だけど、どかしてくれるかな……」


 懐疑的にあたりを見渡すと、遠巻きの人々に注目されていた。みな顔を強張らせている。

 案外簡単に言いくるめられるかもしれない。なんといってもこの時代は現代と違う。

 みな祟りがあると心から信じ、恐れているのだから。


「仕方がないな……」


 とてつもなく不本意そうな播磨の声に振り向くと、表情と佇まいが一変していた。

 やわらかい雰囲気に、困り顔。

 別人のようで湊は呆気にとられた。


「俺が伝えてくる」


 その声すらいつものぶっきらぼうさはなく、好青年そのものといった具合である。


「あ、はあ、お、お願いします」


 と任せるしかなかった。

 播磨は人ごみの端、門に体と顔を半分隠している者に近づいていった。その少女は他の者と大差ない服装をしている。

 が、艶のある髪と胡粉をはたいたかのような肌をして、存在そのものが浮いていた。

 おそらく平民に扮した高貴なる者であろう。

 現にその少女を護るように左右に年嵩の女性がいる。

 老樹のある屋敷に住まう者で戸外の騒動が気になったために、お付きの女房に無理をいって野次馬をしにきたと思われた。


 播磨があと数歩の位置まで迫った時、ようやく女房らしき二人が急に夢から覚めたようになって、少女の前に立ちはだかった。

 彼女たちは播磨に見とれていたのだ。その背後にいる少女もむろんのこと。

 女房たちの腕の間から、食い入るように播磨を見上げている。

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