8 ものぐさここに極まれり
もしかすれば、両生類の可能性もなきにしもあらず。
ならばこの環境はさぞ心地よいことであろう。少し反省した。
湊のイメージする神様は、仏像である。
当たり前のように、今から向かう先にいるであろうモノが、人と同じ形態だと思いこんでいた。
身近に『我、山神ぞ』とことあるごとに主張しまくる狼がいるというのに。
「山神さん、いまいち神様っぽくないからな……」
「ぴ」
鳳凰も同意してくれた。気を張る必要はないのが、山神のいいところではある。
どれくらい歩いただろう。どれほどの時間が経過したのか。それすらもよくわからなくなってきた。
そんな中、丘を越えたら、唐突に大岩が現れた。
小山のごとき大きさはあり、完全に視界を遮られた。中央が抉れており、穴蔵住居のような印象だ。
その入り口は開いているものの、積み重ねられた木箱が何本もの塔と化して半分程度ふさがっている。
湊が胸元へと視線を落とす。
鳳凰はただ静かにその入り口を見つめていた。
警戒している風でもない。思いきって近づくと、暗がりに足先が見えた。
その素足の大きさ、形から人の形をした――女性のようだ。
さらに寄れば、やわらかそうな布にその身を横たえているのが確認できた。簡易な長衣を羽織り、地面に広がる長い髪に覆われたその顔は窺えない。
どうも、寝ているようだ。
が、とてもではないが健やかにとはいえないようで――。
「う゛ぅー……んー……あ゛ー……」
小さくうなっていた。ひどく寝苦しそうだ。
しかしながら、声をかけて起こしていいものか。
いや、それ以前に、ここは女性の寝床――寝室ではないか。
断じて許可なく足を踏み入れていい場所ではない。
穴まであと数歩の位置で、湊が静かに静かに後ろへと下がっていく。足音も、息すら殺し、もっと大幅に距離を取ろうとした。
ガバッと顔を上げた女性が、髪をかき上げて叫んだ。
「もぉー! こんな鬱陶しい空気じゃ、ゆっくり寝れないわよッ!」
恐ろしく目鼻立ちの整った
人を超越した美がそこに体現している。
超絶不機嫌そうではあるけれども。
「空気が悪すぎる! ジメッとしてるから寝苦しいったらないわ。換気しなきゃ……でも、面倒……。あー、やだやだ動きたくなーい、めんどくさーい、ずぅーっと寝ておきたーい」
中身は残念な
「はぁー、どれだけ寝ても足りないわ。……ん? 誰?」
ようやく女神は戦いている湊に気づいた。
その大きな両目を眇める。
「……人間よね……。いやにたくさん加護がついているけど。なんでここに入ってきているの、わたくし喚んでないわよ」
「……なぜでしょう……俺も知りたいです」
「迷い込んだの? ……おかしいわね、
頬に片手を添える女神も不可解そうだ。
「ここにくる前のお社、ほとんど朽ちてましたけど……」
女神が両目を閉じた。数秒後、ぱっちりと瞼を開く。
「本当ね。見るも無惨な荒れ具合だわ。いつの間にあんな状態になったのかしら。そんなに年月経ったの……? ま、いいわ」
いいのか。思わず突っ込みそうになった。
女神が湊の頭の先から足まで視線を往復させた。
そうして、にっこりと美しき微笑みを寄越してきた。
何事かたくらんでいそうな笑顔だ。湊がやや警戒する。
「ねぇ、あなた、風神のゆかりの者よね」
「ゆかり……といっていいのか、なんなのか」
「だって、風神の力を持ってるじゃない。あの食えない風神が、人間に自分の力を貸し与えるなんて驚きしかないけれど」
「少々ご縁があったもので。わりと気軽に与えられましたけど……」
「そう。ねぇ、お願いがあるんだけど。その風神の力を遣って、ここの空気の入れ替えをしてくれない?」
「……はあ、まあいいですけど……ここ、明らかに空気淀んでますからね」
「そうでしょう? たまに出かける時はあるのだけど、換気したのはいつだったかしら……? 人の世でわかりやすくいうなら……えぇと、
どうやら千年以上前らしい。
「人間ってすぐいなくなるから、あんまり名前覚えられないのよね」
「……そうですか」
ほかにいいようがなかった。
雷神曰く、人間は減ったと思えば、気がついたら増えている。悠久の時を生きる己たちにとって、人間の一生はあまりに儚く短いと。
ゆえに特定の人物を個人として認識し、名を呼ぶのは極めて稀なことなのだとも語っていた。
「じゃ、よろしくね〜」
「……はい。終わったら、ここから出していただけますか?」
「もちろんよ」
にこにこ笑顔の神は、片腕で頭を支えて横になったままだ。とことん怠惰な神である。恥じらいなど露ほどもありはしない。
あけっぴろげといえば聞こえはいいかもしれないが、悪くいえば、どうしようもない物ぐさだ。
空笑いするしかなかった。
女神が気だるげに片手を伸ばし、湊からやや離れた何もない中空を指差す。
すぐさま
じわじわと四方へと広がり、しまいには巨大な真っ暗な穴があいた。
てっきり現世につながるものだとばかり思っていたが違う。穴は、一体どこにつながっているのだろうか。
「ついでにここから見える範囲にある木箱だけでいいから、全部そこに放り込んじゃって」
「……はい」
何が入っているかなど知らぬほうがいい。
己の第六感が告げている。己は依頼されたことのみを全うすればいい。
硬い表情になった湊に、女神は屈託なく笑う。
「心配しないで、一個一個はすごく軽いから」
そこじゃない。いえる勇気はなかった。
「……じゃあ、やりますね」
ひと声かけて、風を起こす。
己を起点に風を回転させる。少しずつ範囲を広げ、周囲の箱を浮き上がらせて巻き込んでいく。
ゆるい竜巻が発生しても、湊自身の周りは無風だ。
顔を出している鳳凰のふわ毛も、湊の髪も一切なびかない。
風の中でたくさんの木箱がぐるぐる回っている。穴の中に風が入ってしまうのは致し方なかった。
「まあ、壮観ね」
とはいえ女神は、風に吹かれて喜んでいた。
長髪と長衣が音高くバタつこうが、ご機嫌である。千年近くぶりの空気の流れに心躍らせていた。
ものの数分で、すべての木箱を浮かせ、風ごと穴へと入れ込んでいった。
「邪魔な木箱がなくなってすっきりしたわ」
女神がいうように、確かに箱はなくなった。
けれども空気は清浄なものになったとはまだいえない。ただ淀んだ空気をかき回しただけにすぎない。
湊の風の力は、風神から貸し与えられたものだ。
ゆえに風の中には、大本の風神の神威が少し入っている。
その力をもってしても、千年物の淀みは払拭できなかった。
湊が上着のポケットからクスノキの葉を取り出した。
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