9 新能力ゲット


 外出時は必ず数枚持ち歩くようにしている。

 神木たるクスノキの葉を足せば、今度こそ空気の汚れを一掃できるだろう。


 青々とした葉っぱを手離し、ゆるくやわらかな風に乗せる。

 遊ぶように躍る葉たちが大岩の方へと向かい、女神を中心にして、その周りを一巡。それから上空へと舞い上がった。


 女神と鳳凰には鮮明に視えていた。

 銀色の粒子をまとう翡翠色の風が、灰色の淀みを消し去っていくのを。一気に視界が晴れ渡っていくのを。

 格段に息がしやすくなり、女神と鳳凰は深く深く息をついた。


 湊は見える範囲の神域内をめぐらせた葉を手元に戻す。その葉はすべて、すっかり枯れてしまっていた。


「……お疲れさま」


 告げたあと、ほろほろと崩れていった。

 不思議なことにクスノキの葉は、楠木邸の庭以外で枯れるとその姿を消してしまう。

 じっと何もない手のひらを見つめている湊に、女神が告げる。


「ねえ、青い葉がまだあるなら、わたくしにちょうだいな」

「……あ、はい」


 ひらめかせている手へと最後の一枚を差し出した。

 伸びてきた女神の指先が、その葉ではなく湊の人差し指に軽く触れる。そこからふわりと淡い光が散った。

 一瞬だけ、指先も熱くなった。


「え?」


 サッと葉を摘んで取り上げられてしまった。

 うふふ、と笑う女神は、葉っぱで顔を扇いでいる。


「お礼にわたくしの力もほんの少しだけ貸してあげるわ」

「……どんな力ですか」

「閉じ込める力よ。この葉、いい香りがするわね〜」

「あ、はい、かなり香りが強いんですよね。結構自慢の……は、いいとして、なにを閉じ込めるんですか」

「目に見えないモノよ。人の感情、厄介な想い、異能の力、そういうモノを望んだ物に閉じ込めることができるようになるわ」

「……まさかあの箱の中に、閉じ込めてあるのはそれですか」

「ええ、そうよ。人がわたくしに願うから閉じ込めてあげたの。どうしても捨てきれない夢、他人への嫉妬、妬み、扱いきれない異能なんかをね」


 女神は歌うように言葉を紡ぐ。


「別に閉じ込めるのは木箱じゃなくてもいいの、わたくしは木箱がお気に入りだからそうしているだけ。あなたはあなたで、自分のやりやすい物を見つければいいわ」


 葉を団扇代わりにゆらめかせる女神の口調が、だんだん間延びしていく。


「わたくしの力を遣うかどうかは、……あなたの好きにしなさいな。……閉じ込めた力をそこにずーっと閉じ込めておくのも、条件つきで解放するのも……鍛錬たんれん次第で思いの……まま……」


 その瞼も閉じかけていた。

 まずい。寝てしまいそうだ。ここから出られなくなってしまう。

 次に起きるのはいつになることか。

 千年以上先だったら、洒落にならない。

 力のことをもっと訊きたかったが、そう悠長に構えてもいられまい。


「女神さまっ、出口はどこですか!?」

「んー……で、ぐち……? でぐちって……なに……?」


 両手で持った葉に鼻先をうずめて眠ってしまった。至極幸せそうだ。

 がっくりと湊が項垂れる。


「寝落ちしちゃったよ……」

「ぴ〜」


 どうしようもない、鳳凰も呆れている。


「……無理やり起こすのは……」


 極めて恐ろしい。

 寝ぼけて木箱にでも閉じ込められることだってありうるだろう。目に見えないモノといっていたが、それだけしかできないとは一度もいっていない。

 なまモノも可能かもしれぬ。

 神は、噓はつかない。だが真実を意図的に隠すものだ。

 山神がそうだ。何もかもをつまびらかに語りはしない。

 

 神に対抗できるのは、神だけである。

 人間の力では到底太刀打ちできない。

 この神域はかなりの広さを誇っている。眠ってしまった女神は、それだけ力が強いということだ。

 湊の風が内包する風神の力は、微量にすぎない。

 女神の神域を風で斬り裂いて出るのは、ひどく難しいだろう。


 湊が視線を下げると、鳳凰と目が合った。

 その目はいつも通り、力強い。

 その視線が木箱がなくなり、丘だけになったほうへと向けられた。


 すると、丘の手前の虚空がたわんだ。


 そこに小さな穴があき、音もなく同心円状に広がっていく。湊一人なら屈んで通れるだろう穴ができた。

 その向こうに竹やぶが見える。


 ひょっこりと穴から顔を出したのは、セリ、トリカ、ウツギ。おいで、おいでと手招きされた。

 現世のほうからこじ開けてくれたようだ。

 心の底から安堵した湊の肩が下がった。

 


  ◇

 


 無事に脱出すると、元の場所――潰れかけのお社のすぐ近くだった。

 湊が振り返ると、すぐさま穴が閉じていった。元通りに修復したのだという。

 眷属たちは、著しく腕を上げたようだ。


「迎えにきてくれて、ありがとう」

「よいのです。災難でしたね」


 セリは同情気味だ。


「……結構な古神だったが……やる気のない神でよかった」


 竹やぶに埋もれかけたお社を振り仰ぎながら、トリカがつぶやいた。


「……なんだろう……甘くていい香りがする」


 二本足で立ったウツギがしきりに鼻を鳴らしている。香りのほうが気になって仕方ない様子。


「少し先にクレープの屋台が出ていたからかな。食べていく?」

「いいの!?」

「お礼だよ。いくらでもどうぞ」

「やったー! 太っ腹だね!」


 軽く飛び跳ねて喜んでいる。

 大人びたかと思ったが、洋菓子好きなところはまったく変わっていない。

 セリとトリカもうれしそうだ。あまり楠木邸に訪れなくなった彼らは、甘い物は随分久しぶりになるのだろう。


 ぞろぞろとそろって、竹やぶから離れていく。

 朽ちかけのお社が気になるものの、誰が管理しているかもわからない場所だ。下手に触るわけにもいかないだろう。女神も一切気にしていないようだった。

 帰って山神に訊いてみることにした。


「みんなは、このあたりには、初めてきたんじゃない?」

「ああ、基本的に我らは、山から出ないからな」


 きょろっとトリカが物珍しげにあたりを見渡した。

 その隣を歩くセリが湊の胸ポケットへと視線を流す。


「鳳凰の声でだいたいの場所はつかんでいましたので、最後はクスノキの葉の神気をたどってきたんです」


 湊が眼下を見ると、鳳凰は引っ込んで眠っていた。救難信号を発するため、元の姿に戻ってくれたようだ。

 ぜひとも、お礼は起きてからいわねばなるまい。


 ててて、と一匹だけ前を駆けていたウツギが振り向く。


「ねぇ、早くいこうよ! クレープって出来立てだよね?」


 わくわくが止まらないようだ。

 急ぎ足で今一度、商店街へと戻る。

 その道中、道のはるか先をゆく黒スーツ二人組の姿が見えた。その片方が、播磨に似ているような気がした。

 

 

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