44 春の悪霊祭


 さまざまなモノが芽吹く季節、春。

 桜の開花を迎えた今日この頃。ついでとばかりに至る所で悪霊までも湧き始める。

 通常、人の残留思念が染みついた場所に悪霊が巣食いやすいものだが、この時期はそういった場所に限らない。

 あらゆる所で、泉から水が湧き出るかのごとく悪霊が発生する。


 おかげで、この時期の陰陽師たちに休む暇はない。


 毎年、全国津々浦々に馳せ参じ、悪霊退治に明け暮れる羽目になるのだった。


 陰陽師界隈では、この現象を俗に『春の悪霊祭り』と呼んでいる。

 


  ◇

 


 小高い山の中腹にある、とある墓所ぼしょにて。

 陰陽師の播磨と葛木かつらぎが悪霊祓いに赴いていた。

 さして広くもない敷地は荒れている。

 ほとんどの墓石は生い茂る雑草に埋もれ、いくつかは完全に倒れてしまっていた。

 墓参りに訪れる者もおらず、放置されているのだろう。


 そんな墓場の四隅、倒れた墓石の陰からうっすら黒い瘴気しょうきが漂っている。


 播磨が一番濃く瘴気が漂う箇所に指先を向けた。

 その手は、人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指を親指で押さえた――刀印とういんを形作っている。


りん


 その指先が虚空を横一文字に切る。


びょう


 次は縦にまっすぐ下ろされる。


とうしゃかいちんれつざいぜん


 一字唱えるごとに横、縦、交互――格子状に虚空を切った。

 早九字護法はやくじごほうである。

 左手をさやに、右手を刀に見立て、一度鞘に収めた刀を抜き取り、虚空を格子状に切る。

 通常の九字切り――一字ずつ決まった印を両手で結ばなくていい分、時間短縮できる方法だ。

 威力は劣るが、弱い低級程度の悪霊には申し分ない。


 固まりかけていた悪霊はあっさり霧散した。

 播磨は手の形をそのままに歩き出す。倒れた墓石をまたぎ、墓所の端に向かって手を伸ばした。

 たったそれだけで、薄く湧いていた悪霊が瞬時に消し飛ぶ。今度は九字を唱えることもなかった。


「最後に、オン・キリキャラ・ハラなんちゃらとかいう真言しんごんは、唱えねぇの」


 斜め後ろの葛木がからかってくる。左右を見渡した播磨は、刀印を解いた。


「術が発動すればそれでいいので」

「違いねぇ。それにしたってまたたくさん湧いたもんだな」

「毎年毎年、よく飽きもせずに湧くものだ……」

「だねぇ。ここ、半年前にも祓ったのによ」


 二人の陰陽師は、盛大なるため息を吐き出した。

 いったん全滅させれば、ある程度の期間は湧かないものだ。


「ま、さして手間のかからないモノばかりなのは、助かるといえば助かるけどな」

「流れ作業に近いですからね」

「ああ。だが、数は半端ない」

「こちらの霊力が地味に削られますからね……」


 地獄の日々はまだ幕を開けたばかりである。


 しかし彼らはもうすでに疲れていた。

 双方、顔にも姿勢にも覇気はない。

 播磨は普段きっちり結ばれているネクタイがやや曲がっていて、葛木のほうもトレードマークであるパナマ帽がよれ気味である。

 今日はここがまだ一箇所目だが、前日の疲れが取れていなかった。

 終わり次第、あと数箇所は回らなければならないというのに。


「祭りなんていってるが、うれしくも楽しくもねぇな」

「……そうですね」


 播磨が生気の抜けた目で振り返る。

 反対側にも、こちらに襲いかかってくるほど骨のある中級以上の悪霊はいない。

 けれども、敷地面積の半分以上を覆うほどに、湧いたばかりの悪霊たちがうごめいている。

 今のうちに祓っておかなければ、やがて喰い合い力を増していくだろう。


 正直、中級以上の形が明確なモノのほうが、マシだ。なぜなら――。


「生理的嫌悪が凄まじい。落としても落としても発生する、しつこいカビのようだ」

「潔癖症のお前さんには、こういうのは耐えがたいだろうな」

「……病的なほど綺麗好きではないと思いますが」

「自分のデスク周りだけでなく、対面、左右のデスクまで掃除するだろ」

「……汚れが気になるもので……つい」

「おっさん、移動中に靴磨くのはお前さん以外に知らんぞ」


 播磨が足元を見た。革靴は黒光りしている。

 ここにくるまでの道は、やや傾斜はきつかったものの、舗装されていたおかげで、さして汚れなかった。

 安堵している播磨を、葛木が呆れた表情で見やった。


 とはいえ、周囲は雑草が伸び放題。そのうちここが墓所であると、わからなくなりそうな勢いだ。

 こんな荒れ地からは、早く引き上げてしまいたい。九字を切って一気に祓ったほうがいいだろう。


 播磨が両手で印を結ぼうとした時、葛木が胸ポケットから形代かたしろを取り出した。


「目ぼしいのはお前さんが片付けてくれたから、残りの小さい有象無象は、おっさんのかわいい式神一号に任せておきな」


 葛木の手から放たれた紙が、瞬時に異形のモノへと姿を変えた。

 サメだ。

 葛木の倍以上ある。大口を開け、ぞろりと生えた牙を見せつけてくるものの、つぶらな眼をしており、かわいいといえなくもない。


 が、地を這い泳ぎ、大口を開けて、悪霊を丸呑みにしていく。

 嬉々としてまぐまぐ喰らう様は、なかなかえげつない光景である。


「好きなだけ喰えよー」


 葛木は微笑ましげに見守っている。

 この場の低級程度の悪霊であれば、喰い尽くしてくれる頼もしい味方ではある。

 任せてしまっても問題ないだろう。

 


 播磨が墓所の端から眼下に広がる町並みを眺めた。

 薄曇りの春空のもと、人工建造物が地表を所々埋めている。便利な場所には人が集い、住み着いていくものだ。

 高い場所から見下ろすと、人は群れるのを好む生き物だとつくづく感じる。

 一見、異常も見られず、町は至って平和そうだ。


 けれどもいずれかの場所で、ほかの陰陽師たちも奮闘している。


 現状、悪霊の数に比べ、圧倒的に陰陽師は足りていない。

 昨今、退魔の力――霊力を有して生まれる者は、極めて少なくなっている。

 悪霊祓いは努力すればできるというものではない。

 先天的に霊力を持っているかにかかっており、努力次第で身につくものではなかった。


 陰陽師になるには、悪霊が視える、感じ取れる、祓えるが絶対条件となる。

 基本的に単独で任務に当たることはないが、視えない、感づけない者は論外である。

 おかげで陰陽師は、万年人手不足だ。


 陰陽寮は都内にあり、いくつか出先機関がある。

 そこに常駐し、その地域のみの案件に当たる者と、全国各地をめぐり、重い案件に駆けつける者に分かれている。

 むろん一人でも対処できる強い陰陽師が後者であり、播磨と葛木がそうだ。


 今回、ただでさえ悪霊が集まりやすいこの町に、春の到来とともに悪霊大量発生の知らせを受け、駆けつけていたのだった。

 

 ここは、播磨御用達である護符の作成者――楠木湊が住む家のそばになる。

 

 ちょうど小高い山の隣に高山がそびえており、端のほうに楠木邸が存在している。

 そこからそう遠くない、山の斜面がなだらかになったあたり、木立の合間にため池が見えた。


 以前はそのため池によく悪霊が巣食っていたものだ。


 播磨が目を凝らす。遠見ではとりわけ異常は確認できなかった。

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