7 旅は道づれ
ゆるやかな風が絶え間なく吹く、楠木邸の縁側。
その中央でみっしりと綿の詰まった座布団に、大狼が伏せていた。長毛を風になびかせ、背中が規則正しく上下している。のんびりとおやすみ中のようだ。
ぴくりと三角の耳が動く。ゆっくりと瞼も開いた。現れた黄金の眼が山の反対側――鳳凰のダミ声が聞こえた方面へと流れた。一つ瞬くと、今度は山側へと向く。
数秒後、ざざっとわずかな風音がしたと同時、眷属のセリ、トリカ、ウツギが塀の上に姿を現した。
「いってこい」
顎で行き先を示された、低く重い命令。
軽くうなずいた三匹が塀から飛び降り、落ち葉を踏み鳴らして去っていく。
山神が浅くため息をついた。
「……移動時に音を立てるなど言語道断である。まだまだぞ」
いい終わったタイミングで、風神雷神が空から縁側へと降り立った。
「ひっさしぶり〜。相変わらず、きっびしいわね〜」
「あの子たちって、創ってまだ一年未満でしょう。十分育ってるほうだと思うけど」
「一年も経てばそれぐらい、できて当然であろう」
「やだ、自分は寝てるだけのくせに。それより、なんかあったみたいね」
「町のほう――ここからわりと近くだったね」
風神雷神も田んぼに面した塀側を眺めやった。
◇
ぼわっと鼓膜が膨張するような感覚がしたあと、身体を引く力はなくなった。たたらを踏んだ湊が体勢を立て直す。
目前には先までの竹やぶではない景色が広がっていた。
何かの境界線を越えたのは、明らかだった。
そんな突然の異常事態に陥ったものの、湊はそれなりに冷静でいられた。身に覚えのある感覚だったからだ。
「……懐かしい感じがするな。まだそんなに経ってないんだけど」
眷属たちが創り出した神域に入る時に感じていたものと同じだった。
周囲を見渡す。薄い青空のもと、苔むした起伏の激しい地が無限に続いていて、そこかしこに木箱が散乱している。
容易に両手で包めるであろう小振りの木箱が、そのまま置かれていたり、ほとんど埋もれてしまったりしている。
やや不気味ではあるが、
穢れた神域に入った時にひしひしと感じた、生理的嫌悪感も一切感じない。
背後を見やるも、前方と同じ風景があるだけだ。今し方越えたであろう境界はすでになくなっている。
手を伸ばしてみても、ただ空を切って終わった。
「ここは、神域ってことだよね」
「ぴ」
肩にピンクパールのひよこがいた。いつの間にか、一緒にきてくれたようだ。
「鳥さん、大丈夫?」
こっくりとうなずく。
しかし眠そうだ。おそらく無理して元の姿に戻ったのだろう。どうして元の姿に戻り、ダミ声で叫んだのかは知る由もないけれども。
こんな得体のしれぬ場所で、はぐれでもしたら事だ。
胸のポケットを開くと、鳳凰がもぞもぞと入っていく。くるっと反転して、ちょっこり顔だけ覗かせた。
「……とりあえず、出口を探そう」
眷属たちの神域を出る場合、毎回空間がやや歪んだ箇所が現れ、そこを通って
苔に覆われた地面は、日が差さない森の中のようだった。
しかし、木は一本も存在していない。
地面の至る所に埋もれかけた、おびただしい数の木箱は、古そうだが頑丈そうである。空いている物は一つもないようだ。
いずれも蓋がかぶさっており、縄で十字に縛られている。古物を保管している箱に類似していた。
この神域は静謐ではあるものの、あまり長居はしたくない場所だと思う。
空気が悪く息が詰まる感覚がして、到底居心地がいいとはいえない。
山神曰く、神域は創り出したモノの心象風景ともいえるという。自らが最も居心地のよいと感じる空間を創り出すらしい。
「苔が好きな方なのか、それとも木箱がお好きな方なのか……」
神域内での行動、会話、つぶやきなども全部、創り手には筒抜けだとも知っている。
ゆえに迂闊なことはいうべきではないし、するべきでもない。
極力、木箱にも近づかないように進む。
ただ己は害のない者で、ここから出たいだけだと示すしかない。大声を出すのもはばかられた。
相手は神、あるいは神に属するモノだ。
下手に刺激しようものなら、己の身が危うい可能性もある。相手がどのような性質のモノなのか皆目わからない。
用心するに越したことはないだろう。
山神と眷属たちは湊に対して対応が甘い。
それは湊が意図せずして、山神を救ったからだ。
風神雷神も含め、いくら気安く接してくれるとはいえ、礼儀を欠かしたことはなかった。
彼らは、人ならざるモノ。人間とは異なる存在である。
己たちのあいだには、決して越えられない境界線が存在している。湊はそれを忘れはしない。
適当にうろついてみたが、空間が歪んでいる箇所は見つけられなかった。
ここを創り出した本体を探すしかあるまい。
「どこにおられるのか……」
鳳凰は眠そうながらも、まっすぐ前を見ている。
デコボコ道を脇に逸れかけるとかすかに鳴き『違う』と知らせてくれた。
心強い鳳凰がともにいてくれてよかった。もし一人だったのなら、もっと焦っていたことだろう。
陽の光もなく、風もない。さほど変わらぬ景色が延々と続き、湿度も高くじっとりと汗をかいてきていた。
正直、こんな妙な環境を好む神の類いとは、どんなご趣味の方なのだと呆れるしかない。
が、はたと湊は思い当たった。
そう、相手は人の形をしていない、山神と同じ動物形態の神なのかもしれないと。
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