19 山神の湯はよき湯だな


 皆で春の山の幸揚げ物堪能会を終え、眷属たちは満足そうに、先ほど自宅に戻っていった。

 次なるは、むろん温泉であろう。


 ここはひとっ風呂浴びるべきである。

 自宅の庭に最高の温泉が存在していながら、入らないという選択する者などいるのだろうか。


「いや、いないでしょう」


 肩まで湯につかった湊が満足気につぶやいた。

 岩で囲われた露天風呂は、今日も素敵に煌めいている。極めて神々しい。

 実家の温泉に物心つく前から入り続けている、なんとも贅沢な育ちの湊であれど、この温泉は格別なモノだと思う。

 見た目もさることながら、つかるだけで疲れもとれ、湯冷めもなかなかしない。効果が段違いだと感じていた。


「『山神の湯』は本日もいい湯加減だね」

「熱すぎず、冷たすぎず、よき塩梅であろう」


 すい〜っとかきで泳ぐ山神が、前を横切っていった。

 のんびり湯につかっていると、御池から七色の光が拡散した。御池のほうを見やった湊が驚く。

 なぜなら七色に光るのは、向こうから通ってきた時のみだからだ。霊亀と応龍は大岩の上で、寝ている。

 

 では、一体何モノが竜宮門を通ってきたのか。


 人であるはずがない。

 門はとても小振りで、人の赤子でも通れないサイズしかない。

 紛れもなく、神の類いであろう。

 そのモノがいかような御業を行い、どのような御姿みすかたをされているのか。女神の可能性だってある。


 湊が焦った。現在、真っ裸。初対面が裸とはあまりにも間が抜けているだろう。

 いつも周囲にいるのは、動物形態のモノばかりで恥じらいなど感じたこともないが、いささかまずい状況ではなかろうか。


「ちょっ、山神さん、どなた様かが、お越しになってる!」

「……まあ、問題あるまい」

「ないの!?」

「時折迷い込んでくるモノがおるゆえ、今回もそうであろうよ」

「……初耳なんだけど」


 じとりと責める視線を受けても、山神は素知らぬ顔で岩に前足をかけた。


「一応、俺はここの管理任されてるから、報連相は忘れずに願います」

「善処しよう」


 あ、これ駄目なやつだ。

 湊が内心で嘆いたと時同じくして、御池の水面が盛り上がった。

 ザバァッと派手に水しぶきを上げ、よっこらしょ、と岩に片足をかけた。それは、人型のモノだった。

 男だ。

 見目から疑いようもない。それだけは、せめてもの救いだった。


 小太りな小男である。狩衣かりぎぬをまとい、風折烏帽子かざおりえぼしをかぶって、釣り竿と鯛を持っている。

 艶のあるふくよかな顔で柔和に微笑んでいる。おそらく地顔が笑い顔なのだろう。

 大いなる福を招いてくれそうな御姿だ。

 つい最近、似た容姿を見た覚えがある。


 そう、麒麟の愛すべき麦酒の横に並んでいた缶ビールに

 描かれていた男神である。


 かの有名な名が頭に浮かんだ。

 だが口にはしない。

 なぜなら以前山神にいわれていた。たとえ神の名を知っていたとしても、不用意に呼びかけてはならぬと。


 神の中には気難しいモノもいる。自らの名を告げたこともない相手に勝手に呼ばれるのを嫌うモノも多いという。


 真名まなはそのモノの存在自体を縛る力を持っており、力の強いモノが呼ぶだけで従わせることも可能である。

 ゆえに神も気軽に人の名を呼びかけないものらしい。

 なお基本的に神は自ら名乗りはしないものだ、とも聞き及んでいた。

 

 小男が温泉につかったままの湊に気づいた。

 そうして自らの釣り竿、鯛を幾度も往復する湊の視線に気づくと、うなずいて朗らかに笑う。


「お邪魔してすまんな。ワシは決して怪しいモンやないよ。あえていうまでもないやろうが、ワシ、えびすいうんよ」


 気軽に名乗られた。

 どういうことだ、話が違うではないか。


 ちらと山神を見るも、プカプカ湯に浮いているだけだ。

 何事にも例外は付き物である。

 たまたま非常にフレンドリーな御方だっただけなのだろう。たぶん。

 そのわかりやすい特徴をかね備えた姿はあまりに有名すぎて、隠しようもないのかもしれない。


「ワシのことは、えべっさんって呼んでくれてええよ」

「……はじめまして、えべっさん」

「うんうん、よろしゅうな」


 とことん気安い。なれど呼べと命令されたに近い。よって素直に呼んだ。

 笑顔がデフォルトの方は、ある意味恐ろしいと思う。

 その笑顔が心からのものか判断できない。

 その細目がどこを向いて、何を考えているのかも及びもつかないからなおさらに。


 えびす神はあたりを見回しつつ、とことこ歩み寄ってくる。その身は小柄で、湊の半分もないだろう。

 だが、どう頑張っても竜宮門を通れる大きさではない。

 神はやはり摩訶不思議なモノだ。

 派手さはなくとも、上等そうなその狩衣も一切濡れてもいなかった。


「なんや、えらい雅なお庭やね」

「ありがとうございます」


 神様にお褒めの言葉をいただけるのは、素直にうれしいものだ。

 えびす神はひととおり庭を眺め終わると、最後に縁側を見やった。


 刹那、その両目が、かっぴらかれた。


 まともにかち合った視線の先には、麒麟がいる。

 四本脚で床を踏みしめ、頭部を下げて、険しい顔つきで睨んでいた。


 あの麒麟が、威嚇の体勢を取っている。


 湊は衝撃を受けた。

 なにくれと言動が残念な霊獣であれど、ここまで警戒をあわらにしたのは初めて目にした。


 まるで宿敵を相手にした時のように、激しい火花が散った。

 えびす神が釣り竿を握る手に力を込める。さらに全身をぷるぷると小刻みに震わせた。


「な、なんや、この気持ちはっ。あのモノに、あのモノにだけは、絶対に負けたくないというこの燃えたぎる熱い思いはなんなんや!」

「……なんでしょうね」

「はッ、も、もしや、これが恋なるモノなんか……? いよいよ、ワ、ワシにも……春がきたということやないか……?」

「いやぁ、違うんじゃないですかね」


 心当たりは大いにあるが、湊はあえてとぼけた。

 麒麟対えびす神。睨み合うこと、しばし。

 プイッと麒麟が視線を逸らしたことで、互いのあずかり知らぬ決戦の終止符は打たれた。

 

 ふぅっと息を吐いたえびす神が釣り竿を瞬時に消し、温泉の際まで寄ってくる。柔和なその顔の笑みが深まった。


「で、ここどこなん?」


 なんてことない調子で訊かれた。

 不安そうでも、心配げでもなく、片腕に抱えた鯛を撫でている。艶めく鱗を持つその朱色の鯛は、陸の上であろうと苦しげな様子はない。

 不思議な魚だ。えびす神の眷属なのだろう。

 その鯛が御池に向かい、口をぱくぱく開閉すると、大岩上の応龍が顔を上げた。あいさつしたようだ。


「ワシ、久々に乙姫おとひめさんとこにお邪魔しとったんやけど、戻る部屋間違えたみたいでな、気ぃついたらここにきとったんよ」


 聞き捨てならぬ名が聞こえたような気がする。

 が、とりあえず、地名を告げた。


「うーん、知らんなぁ。あー、ワシ、地名よぉ知らんのよな」

「隣町ぞ」

「あ、そうなん?」


 軽く告げた半眼の山神は、眠そうである。

 目ん玉をひんむいた湊が口許を押さえる。意図せず、日本七不思議であろう秘密を知ってしまった。

 近場にあるというのか、かの有名御殿が。


「まぁ、またあの門通ったら戻れるやろ」


 楽観的な台詞に思考を遮られた。えびす神が温泉を覗き込む。


「温泉かぁ、ええね」

「よかったら、どうぞ」

「お、じゃあお邪魔するわ。山の神さん、ワシも入ってええかな」

「好きにすればよい」

「ありがとな。お礼にコレあげるわ」


 えびす神は、おもむろに鯛の口に手を突っ込んだ。すっと小振りな紙袋が取り出されると、即座に山神が湯から顔を上げる。

 やや遅れて、湊の嗅覚でも香ばしくも甘やかな香りが察知できた。


「たい焼きなんやけど、あとでみんなで食べてな」

「こし餡か」

「いろいろあるわ。もちろんこし餡もあるよ」


 なんとも平和なやり取りが交わされる最中、ドボンと鯛が温泉に飛び込む。すいよ、すいよと泳ぎ、目前に顔を出した。

 ぱくぱくと口を開閉するのを、湊は無言で観察していた。

 その体、一体どんな構造になっているんだ。

 えびす神が湊をじっと眺め、訳知り顔で笑う。


「だいぶ外れて・・・きとるな」


 どういう意味だろうか。

 返答に困っていると、山神が眇めた眼をえびす神へと向けた。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る