24 白羽の矢


 ささやかなつむじ風の中で、木の葉が舞っている。

 手の上に渦巻く風柱の中、複数の葉が舞い躍る。

 その回転速度が速くなったり、遅くなったり。上昇回転に合わせ、木の葉たちが天井近くまで上がる。

 今度は逆回転に変わり、下方へ。


 座卓を囲うテン三匹が見守る前で、湊が自在に風を操っていた。


 急激に回転速度が変化する。

 湊の横に座り、食い入るようにそれを見つめていたウツギが目を回した。


 苦笑した湊が風を止める。そのまま木の葉を宙で集め、重ね合わせ、卓上に下ろす。小器用さを遺憾なく発揮し、一切触れることなく、風の力だけで行った。


 それを向かい側から眺めていたセリが、持っていた青葉をその葉束の上に、そっと重ねて置く。


「湊は几帳面ですよね。そういうところ」

「散らかすと片付けるの面倒だし」

「まあ、そうか」


 ぐるぐるおめめでふらつくウツギを、トリカが横から支えながら頷いた。


「うまく風の力を扱えるようになったもんだな」

「全力でぶっ放したのが、よかったのかも」


 おかげで幾度も倒れる羽目になったけれども。



 力加減を学びたいのならここを使え、と山神に連れていかれたのは、小高い山が連なる奇妙な場所だった。


 いくらでも木を倒しても構わぬ、と告げられ、無闇に木を傷つけたくない、とためらえば、偽物ゆえ何も問題ないという。


 試しに手近の幹に触れて感触や匂いを確かめると、さわり心地は実物のようだが、生き物特有の匂いが一切しない。限りなく本物に近い、見せかけだけの偽物であった。


 空を仰ぐと太陽が存在しないにもかかわらず、鬱蒼とした山中でも、妙に明るい。

 どころか、匂い、音、温度すらも感じない。

 奇妙で不自然さであった。


 そこは眷属たちが力を合わせて造り出した未完成な神域だった。

 山を真っ二つに斬ってもよいぞ、と意地悪く嗤う山神に見守られ、己の力を全解放した。

 結果、物の見事にぶっ倒れた。


 目覚めると朝もや漂う楠木邸の縁側だった。

 夢であったかと起き上がれば、異常な空腹感で目眩を起こす。傍らで寝転んでいた山神から、丸一日寝ていたぞ、と告げられ、愕然となった。


 それから毎日、眷属たちの神域で風を遣いこなすべく修行に明け暮れた。

 力に振り回されながら限界値を知り、ようやく加減、調整をものにした。気がつけば、またたく間に十日経っていた。 


 一応、扱い慣れたが、今をもってして山を二つに割れはしない。

 しかし山一つ分の木々を綺麗に刈り尽くすくらいはできるようになった。


 丸裸だね、と神域内にケラケラと笑うウツギの声が木霊したのを最後に修行を終えたのだった。




「まだ俺の力は風神と比べるのすら烏滸がましいレベルだけど、制御はできるようになったし、力を暴走させることはないと思う。俺はさ、大技より小技のほうが得意みたい」


 嬉しそうに笑う湊が卓上を片付け始めると同時、それぞれの皿に盛られたクッキーへと手を伸ばしかけていた三匹の動きが止まる。


 その様子の変化で湊も気づく。彼らは他所からの侵入者に殊更過敏に反応する。


 どうやら、来客らしい。

 取り出した硯を元に仕舞う湊の横で、ウツギが素早くクッキー五枚を口へと押し込んだ。




 咳き込んだウツギを含めたテンたちが屋根へと上がった。その真下、固い表情の播磨とひどく申し訳なさげな湊が座卓を囲っている。


 むろん、二人のあいだに挟まる形の山神は、なにがなんでも絶対に席を外さない不動の構えである。

 その尻尾は高速で振られ続けている。


 なぜなら本日の手土産は、かつてないほどの豪華さだからだ。


 和菓子を筆頭に、洋菓子、日本酒、ワインが座卓に所狭しと並んでいる。

 どうやら前回の護符に書いた物をすべて持ってきたようだ。

 さすがに湊もやりすぎたと反省中である。


 これ、総額いくら使ったんだろう、と青い顔になっている。


 もう手土産とはいえまい。賄賂か。

 なぜだ、店名を書いたのはいつものように、二枚にしていたはずだ。

 あれか、店名はなくともわかる商品名だったからか。ワイン最高峰のロマネ・コンティの名を記したのは、ほんのちょっとした出来心でして。


 背中に冷や汗を流す湊を前に、畏まった播磨が口火を切った。


「……折り入ってお願いしたいことがありまして」

「俺にできることなら、なんでも」


 誠心誠意全力でお応えしたい。

 ここまでされて、いや、させてしまえば断れるはずもない。


 表情筋を引き締め、背筋も伸びた湊であったが、卓上の和菓子エリアを彷徨う鼻から、掃除機並みの鼻息が聞こえるせいで、いまいち緊張感が保てない。


「……ぬぅ、このこし餡、初の香りよな。塩豆大福か……いや、麩まんじゅうであろうか。それとも――」


 予想に忙しいかと思えば。


「ぐぬぅ、こうまで物が多いと匂いが混じってかなわぬ。手前の洋菓子の香りが邪魔ぞ。主もだ、越後屋。出来立てであることは喜ばしいが、いささか主張がすぎよう。脇によれ」


 などと独り言のひどさよ。

 込み上げる笑いの発作を抑えるため、湊は歯を食い縛り、正座上に握った拳を力の限り握りしめた。


 だというのに、変わらぬ吸引力を世界に知らしめる御方が、スッと視線を湊に向ける。その眼をにんまりと弓なりに細め「よもぎもあるぞ」と要らぬ情報を教えてくれる。


 勘弁してほしい。答えようがない。


 浮かれきった山神のいる場所を気にしつつ、播磨が落ち着きのない湊に語り出した。


 曰く、現陰陽師が束になっても敵わない怨霊が巣喰っている場所があり、そこへ出向いて直接祓ってほしいと。しかも、かなり危険な相手なのだと。


 怨霊退治の依頼であった。


 怪訝な表情の湊が首を傾げる。


「やれと言われたらやりますけど、どうして俺に?」

「その場所は我々のいる現世ではなく、特殊な異界だ。ここと同じような……。君は、ここ・・に住める。住むことを許されている人だ」

「……まあ、ここ普通の場所じゃないですからね……」


 楠木邸の敷地内に入れば、嫌でも気づくことだ。

 隠せるはずもない。

 厚手のチェスターコートを着こんだままの播磨は暑いだろうな、と薄手のカーディガンを羽織っただけの湊は思う。


 ちらりと山神を見やる。

 播磨の近くにある越後屋の包みを恨めしげに睨みつけ、ぶつくさ文句を垂れて我関せずの態度だ。

 されどしっかりと耳だけは播磨のほうを向いている。

 会話は聞いているようだ。


 播磨が背筋を伸ばし、硬い声で続けた。


「その怨霊はおそらく元神。異界は穢れた神域だろうと思われる。通常、招かれた者だけしかそこに入れないが、君であれば……入れる、と、おも――」

「我の力を当てにするか」


 感情の色がない重低音の声が遮った。

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