第6章

1 かずら橋をよろしく




 梅雨が明けた方丈町は、連日晴天に恵まれている。

 その強い日差しは御山にも容赦なく降り注ぎ、いまにも落ちてしまいそうなかずら橋を浮き彫りにしていた。

 その橋の手前に、人だかりができている。

 屈強な益荒男たちは、かずら橋の修繕に訪れた職人と見習いである。


 その集団から離れた山道に、湊が立っている。

 今日から工事に入るとの連絡を受け、様子を見に来ていた。膨れたリュックを背負うその肩には、鳳凰が乗っている。職人を好む霊獣が、この絶好の機会をむざむざ逃すはずもなかった。

 眼光を光らせる鳳凰と湊が眺めるいかつい背中は、ゆうに二十を超えている。


 湊は思っていたことをつい口にする。


「まさか、こんな大人数に来てもらえるとは……」

「こちらも願ったりだったもんでなぁ」


 後方から答える声に振り返ると、老いた男性が歩み寄ってくる。若干腰が曲がり、総白髪で顔や手に皺が目立つため、外見こそ老人そのものだが、ここまでの登山もなんのその。息を切らせることもなく真っ先に登ってきた、健脚な御仁である。

 彼が、かずら橋修繕の責任者――棟梁とうりょうだ。

 湊の横に並んだ棟梁は、男たちを眺める。


「なにぶん、かずら橋自体も少なくなってなぁ。職人も減っていく一方だったんだが、近頃、職人になりたがる若者がちらほら現れてな。楠木さんからの依頼はまさしく、渡りに船ってやつだったよ。ついでによそにも声をかけたら、ぜひとも参加させたい若いのがいるって言うから、来てもらったんだ」

「ありがたいことです」

「腕はまだまだのひよっこな者どもだが、力だけはありあまっとる。存分に使ってやるつもりだから工事の期間はそうかからんよ」


 笑い皺を深める棟梁は、その背後に突っ立つ妖怪とよく似ていた。乱れた頭髪、長い眉毛と顎ひげ。ことごとく白く、痩せぎすで棟梁の倍近く上背がある。

 その妖怪――山爺やまじじが見下ろす白髪頭へ、息を吹きかけた。

 突然、頭上から吹き下ろしてきた風に髪がかき乱されるも、棟梁は動じない。


「ここにもいたずらっ子がおるようだなぁ」


 それどころか髪を整えつつ、大口を開けて豪快に笑った。

 湊は目を丸くしている。

 棟梁はその視線の動きから山爺を認識していないのは明らかだ。

 のっしのっしと下山していく山爺を見送り、湊は棟梁へ視線を戻した。


「――いたずらっ子とは?」

「妖怪だよ」


 棟梁は悪童めいた表情を浮かべる。


「いまの妙な風は妖怪の仕業に決まっとる。お若い楠木さんは信じられんかもしれんが、山にはよくおるんだよ。山で仕事をしとるとしょっちゅうイタズラされるから、慣れたもんよ」

「ですよね~」


 道具を担いだ中年の職人が通り過ぎざま、同意していった。

 山とともに生きる彼らにとって、妖怪は馴染みの存在らしい。

 そんな彼らは信心深くもあった。


 かずら橋の脇に、小さな祭壇が設けられている。

 職人たちの手による簡素な造りのモノだが、仕事に取りかかる前、そこに供物を捧げて全員で祈っていた。

 むろん山神に、かずら橋を架け直す許可を得るためと、工事が無事、安全に終わることを願って。


「ここの山にも、絶対神様がいるよな」

「ああ、オレもそう思う。ここの神さんは、どんな御姿なんやろねぇ。ひと目でええからお目にかかりたいわ」


 作業中の職人たちは、やけに期待に満ちた表情で御山を眺めている。

 彼らの振る舞いは決して奇異なことではない。なにせこの国の民は、すこぶる神を好む。

 科学が発達した今でさえ、山で珍しい白い動物――おおむねアルビノを見かけようものなら、神かその使いかと話題になるお国柄でもある。


 そんな彼らを前にして、湊はとてもではないが言えなかった。

 祭壇に捧げたお神酒と干物は山神さんの好物じゃないから、たぶん来てくれませんよと。

 山神さんに会いたければ、こし餡の和菓子を供えることをオススメしますよと。

 北部の越後屋さんの甘酒饅頭を持ってきたら、ほぼ確実に釣れますよと。

 喉元まで出かかったが、すんでで耐えた。


 なぜなら、個神こじん情報だからだ。

 勝手に吹聴するわけにはいかないだろう。もし信じた人びとが甘酒饅頭をひっさげて御山に門前市をなしたら、さしもの山神も困るかもしれない。

 そのうえ彼らが捧げた供物は、山の神に捧げる一般的な品々だ。連綿と信じられてきた風習を塗り替えるわけにはいくまい。よその山の神様にはウケるかもしれないではないか。


 悩ましい面持ちの湊を鳳凰が見上げる。


『なにやらいらんことを考えているな……』

「ん?」


 気配を感じた湊が見下ろすと、呆れ顔に気づいて苦笑する。それから、後方を見た。

 先日、ウツギの協力を得て整備した甲斐もあり、しかと蛇行する下り坂が見えている。その両脇に点在する茂みと木立の所々に、妖怪たちがいて動物体――もとより実体を持つ以外のモノもぼんやり視えていた。


 生来の妖怪センサーがやや鈍っていた湊だが、山に登るたび、とにかく意識していたら感度が戻ってきていた。

 おかげで山神の言う通り、この山には妖怪が多いことを知った。

 とはいえ一様に陰からのぞき見てくるだけで、一定の距離を取られている。


 そんな妖怪たちの姿は随所にあっても、山神と眷属の姿はない。

 眷属たちは、遠く離れた場所から様子をうかがっているのだろう。

 職人たちの憧れの存在――山神はといえば、楠木邸の縁側にいる。出かける間際、ヘソ天の姿勢で見送ってくれた。

 山神にとっていまさら多くの人間が山に分け入ろうが、作業をしようが、気にすることでもないのだろう。


「おーい、そっちはどうだー?」

「もうちょい待てって――」


 大声でやり取りしているのは、かずら橋の端と端にいる職人たちだ。


「おーい、まだかよー?」

「マダかよ〜?」

だからだけん、待て言うたやん!」

「だけん、マテ言うたやん〜!」


 手元のかずらを検分していた職人たちが面を上げた。


「なんか変な声がしたぞ……」

「は? お前が二回言うたんやろ?」

「いや、言うとらんよ」

「いんや、どう聞いてもお前の声やったぞ」


 不可解そうに言い合う彼らを見て、湊が焦る。

 職人たちの声を真似ているのは、妖怪――古狸こりだ。

 湊も山の整備をしていた折に声を真似され、その毛むくじゃらの姿も見ている。どころか頻繁に現れ、己が存在をアピールしてくるかまってちゃんである。


 湊があちこちへと目を配ると、近場の大木の上方にいた。

 二つに分かれた枝の間に二本足で立っており、視線が合えば牙をむいて嗤い、ドンと膨れた腹を叩いてみせられた。

 おちょくられている。

 妖怪たちは湊が整備した時もさんざんからかってきたから、職人たちにも同様であろうと危惧していたが、案の定であった。


 半目になった湊は、おもむろに背負っていたリュックを下ろした。

 そこから取り出したるは、酒瓶。半分まで引き出すと、首を伸ばした古狸が身を乗り出し、枝からずり落ちた。なんとか枝をつかみ、後ろ足と太い尻尾をバタつかせ、懸垂で這い上がった。


 前回遭遇した時、お酒が呑みたいと言っていたから持ってきてみたが、正解であった。呑みたくてたまらないようだ。


 湊はしめしめと思いつつ、酒瓶をいったんリュックへ仕舞う。「あああッ」と残念そうな声とともに大量の葉が降ってくるも、気にせず代わりに数本のペットボトル――スポーツドリンクを取り出した。

 近くにいた同年代らしき職人へと差し出す。


「これ少ないですけど、よかったら飲んでください」

「お、助かる。ありがとさん!」


 笑顔で受け取ってくれた。

 門外漢の湊は、かずら橋には一切手を出せない。ゆえに差し入れを持ってきていた。

 とはいうもののそんな湊でも、もう一つできることはある。


「では、よろしくお願いします」

「おう、任せといて」


 快活に請け負ってくれた職人に背を向けた。

 湊は歩きながら、小声で肩に乗った鳳凰に詫びる。


「ごめん、鳥さん。職人さんたちの仕事をあんまり見せてあげられなかった……」

『気にするな。まだはじまったばかりだ。これからも機会はあるだろう』


 胸を膨らませるひよこの機嫌は悪くないようだ。

 そしてリュックからふたたび酒瓶を取り出し、身体の前に持ってきて掲げた。

 斜め前方の枝にまたがる古狸の様相が一変する。全身の毛を逆立て、眼を血走らせて盛大によだれを垂らした。その様は、まさしく血に飢えた獣のごとし。

 古狸は酒瓶から視線を外さず枝から枝へと跳び移り、下山する湊を追う。そのあとをいくつもの影が同じようについていった。


 そう、湊は職人たちにちょっかいを出す妖怪たちを惹きつけておくことはできるのだ。


 湊はこの世に生を受けた時から、座敷わらしと接してきた男である。

 実家には他にも多くの妖怪が出入りしているため、彼らの扱いにも長けていた。


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