21 拐かしに等しい
「でもまぁ、それなりでしかねぇな。だから、俺がお前を鍛えてやる」
「いいえ、滅相もござい――」
「んじゃあ、まぁ、ここじゃ都合が悪ィみてェだし、俺んちいくか」
「いいえ、遠慮しておきま――」
お断りの決り文句は、ことごとくぶった切られた。
二回目はいきなり目前にスサノオが現れたことによって。
瞬間移動したかのような、そのスピードは、あまりに疾すぎた。何一つ抵抗もできないまま湊は、むんずと手首をつかまれてしまった。
そして、ともに上空へと垂直に跳ぶ。スサノオに片手一本で、引っ張り上げられた。
突然の事態に湊は頭がついていかない。そして何より、伸び切った腕が痛い。
「いだだだだっ」
握られた手首に全体重がかかっている。みしみしと嫌な音が聞こえてきそうだ。
「ちょっとだけ我慢しろって。すぐそこまでだからよ」
「すぐそこっ!? そんな近くにお住まいだったんですか!?」
「いんや。だから、今からつなげる。すーぐ空中散歩は終わるからよォ」
スサノオは中空に足場があるかのように
その弾む声も背中もやけに楽しげで、見上げる湊は何も言えない。
むろん今ここで暴れるなぞもっての他だ。
もし落とされでもしたら、明日の朝日は拝めないかもしれない。恐ろしくて、下を見ることもできなかった。
大きくなりすぎた頃のクスノキのてっぺん付近まで来た時、スサノオが剣を横に薙いだ。
すると、空間が横一文字に裂ける。
そして、ゆがみが出現した。
神域への入り口だ。
湊も見慣れたモノで、今さら驚かない。
だが、その範囲には目を見張った。眼下の庭と同等の幅はある広範囲だ。
そこの中心に、すぽっと。
実にあっけなく、スサノオと湊は吸い込まれていった。
その真下で、見上げていた山神が特大のため息を吐いた。
「あやつめ……好き勝手しおって……」
隣に並んで同じように見上げていたヤマタノオロチ――八つの口が舌を出しながら、シャーシャーと音を鳴らす。
『小僧が、すまんなぁ。風神に会った時に必ず挑むんやが、いっつもけんもほろろにあしらわれて、ちぃっとも相手にしてもらえんのよ。せやから、その風神の力を貸し与えられし者と
まるで、きかん坊に手を焼く親のごとき口ぶりである。不思議なことに話すのは端の一つだけだ。
「――致し方あるまいよ」
やや疲れたようにつぶやいた山神が、ちろっとヤマタノオロチを見やる。
それを合図とばかりに、同時に空へと跳躍。
なんの予備動作もなく一気にゆがみに到達し、そのまま突っ込んでいき、姿がかき消えた。
やわらかな風が吹く。上空には、もうゆがみはない、誰もいない。
今し方の喧騒が噓のように、庭には心地よい滝の音だけが響く。ぽちゃ、ボチャ。こそっと川面に顔を出した霊亀と応龍が顔を見合わせた。
◇
上方向に引っ張られていた身体がなぜか今度は、落ちた。
内臓が上がったり下がったり忙しない、悪寒が走る感覚。湊の若干の悲鳴とともに、スサノオ、湊の順で地に降り立った。
うつむいた湊はどっと冷や汗を流す。
そのスニーカーが踏むのは、舗装されていない道。
デコボコしていささか安定感に欠けていても、そこに足がついている、ただそれだけのことで、これ以上ないであろう安堵を覚えた。
今さらながら、脚がガクガクしている。
やや腰が引けているその手首から、スサノオの手がさっと離れていった。
「ほら、着いたぞ」
生き生きとした声に促され、手首をさすっていた湊は視線を上げた。
一挙に視界に飛び込んできたのは、のどかな山間部の風景だった。
楠木邸近辺とは大きく異なっている。
起伏のある土地に家々が密集し、その向こうの
その階段状につくられた水田こそが、ここは別場所だと如実に教えてくれるも、それよりなお、家の形のほうが決定的だった。
合掌造りである。
急勾配の屋根を持つ、どこかかわいらしい家屋が点在していた。
たくさんの緑と茶色で構成されたこの景観は、しばしば日本の原風景とも称されるものだ。
湊も初めて見るにもかかわらず、どこか懐かしい感情を抱いた。
姿勢を正すと風が頬をなで、照りつける陽光が頭と肌を焼く。
まるでこの地が実際に存在しているような現実感がある。
けれども、ここはスサノオの神域。スサノオがつくり出したニセモノの領域だ。
風は、木と水と土の香りを含んでいる。
その中に、人工的な排気ガスや生活臭は一切しない。頑ななまでに研ぎ澄まされた、天然の香りとも言うべき清らかさしかない。
ここは、神の域だ。
改めてそう思いながらも、湊は隣に立つスサノオと向き直る。
「それにしても、俺の扱いが雑すぎじゃないですか」
身勝手極まりない神だ。
むろん神とはそういう存在だと身にしみて知っている。もっぱら天を衝く本体の
ともあれ、スサノオのやり方は、乱暴がすぎよう。
完全に拉致である。
スサノオは外見だけなら、さほど湊と変わぬ年頃のモノにしか見えない。ゆえについ心のまま苦言を申し立てた。
スサノオは小生意気そうにハッと鼻を鳴らす。
「お前が若い
「それは、こっちだって嫌ですね」
双方、思いっきり顔をしかめている。絵面を思い描いてしまい、仲良く寒気を感じていた。
その時、湊の背後でかすかな音が立つ。
シュタッと山神とヤマタノオロチも地に降り立った。振り返った湊は、それを目にして軽く息をついた。
まったく馴染みのない場所で見知らぬ神とふたりっきりは、さすがに居心地が悪かった。
いくら自ら神域を斬って脱出できるとはいえ、スサノオの目の前ではやりづらい。ともすれば、邪魔されかねない。
山神はきょろっとあたりを見回す。
「ほう、これはまた懐かしい。なかなかよき景観ぞ」
『かねぇ? ここは、ちぃとばっかし前に改装して以来、ほったらかしの場所だがな。そういえば、ここのところ、あの形の家は見かけなくなったような気がするなぁ』
「今では、あるほうが珍しくなっておるぞ」
『そうなんか……。小僧は人がぎょうさんおるとこしかいかんから、たまたまないだけかと思おとったんやが……』
「人の世は目まぐるしいゆえ、流行り廃りも早いものよ」
『ほんになぁ』
緊張感の欠片もなく、かたや鎮座して、かたやとぐろを巻いておしゃべりしている。
周囲の景色に似つかわしい、ほのぼのとした空気が流れていた。
が、ふわわっと大あくびする山神の毛並みが、右から左から連続で吹きつける不自然な風によって、乱れに乱れる。まったく動じていないけれども。
ヤマタノオロチのほうは、毛がないため、どうということはない。ただ、八対の眼は細められ、眼が乾く、と言いたげな表情をしている。
すぐ近くで、スサノオと湊による、風対決がすでに始まっていた。
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