22 烈風 VS 暴風



 楠木邸の敷地ほどの距離をあけ、風を撃ち合っている。

 スサノオが剣を振るたび、周囲の木がなぎ倒されていく。次々と根っこが浮き上がり、宙を飛ぶ。


 まさしく根こそぎという言葉が相応しい、と湊は思う。

 その間も、正面から叩きつけてくる風を上方へと受け流し続ける。


 スサノオは剣からしか風を放てないようで、その風は、意外にも鋭さはなく、面で向かってくる。

 風神の鋭利な刃物のごとき風とは性質が異なっていた。


 猛威を振るう台風と称すべきか。わずかでも気を抜けば、体重ごと持っていかれそうだ。何度も足が浮き、ひやりとさせられていた。


 それにしても、と湊は周りが気にかかる。

 強風のせいで、木も合掌造りの瓦葺きも吹っ飛んで、ものの見事に倒壊していく。木ももちろんだが、民家が壊れていくのは、なんとも痛々しい。


「やりすぎじゃないですか!? ここにあるモノ全部、壊れてしまいますよ」

「気にすんな、好きなだけぶっ壊せばいい。家は全部飾りだ。誰も住んでねェし、それに俺もここにはあんまりこねェし」


 スサノオはケロッとしている。

 スサノオはじっとしてられないようで、湊を中心にして動き回り、剣から風を放っている。

 湊は、ただそれを受け流すのみ。自ら攻撃を仕掛けることはない。

 風の力は拮抗し、双方のもとには届かない。湊のほうは戦う気がないからだ。やんわり避けている風情だった。


 しばらくするとスサノオが地を蹴りつけ、高く跳ぶ。

 湊の真上から剣を振り下ろした。

 湊は横に跳んで逃げる。もといた場所に剣が刺さる前に、風が叩きつけられ、地面が陥没した。


 体勢を整えた湊は、冷や汗を流していた。

 あと数秒遅ければ、脳天から真っ二つにされていただろう。


 突っ立ったスサノオは、剣を肩に担いで、口を尖らせている。ひどくつまらなさそうだ。

 そんなスサノオを湊は真っ向から睨みつける。


「武器を持たない相手に、剣で切り込んでくるのは卑怯だろ」

「お前の風がぬっるいモンで、つい、イラついてなァ」


 言葉遣いがやや荒れてきた湊がぐっと拳を握った。

 スサノオは手慰みのように剣を回している。手に染みついた慣れきった動作のようで軽々と扱っているが、その剣は見た目だけで重量感がある。実際重いのだろう。


 剣――武器はただ見るだけならいいが、所有したいとはまったく思わない。

 武器は持つだけで、自らが強くなったのだと勘違いさせる力を持つ恐るべきモノだ。


「お前も武器を使えばいいだろ」

「持ってないし、持つ気もない」

「ッんだよ、つまんねーやつだなァ。それと――」


 スサノオは剣を地面に突き立てた。柄に両手を置き、顎を軽く上げて睥睨してくる。


「お前さァ、その程度の風遣いでいいと思ってんのかよ」

「自分と周囲が守れる程度で十分だ。わざわざ好んで戦うつもりはない」

「ハァー? そんな微風で周りのモノを守れてんのかァ? だいたいなァ、あの風神が力を貸し与えた初の人間であるお前が弱ェと、風神の沽券こけんに関わるだろうがァ」


 湊は初耳の情報に、少し呆けた。


「――俺が初……?」

「なんだ、知らなかったのか? 俺ァそこそこ永く存在しているが、風神に力を貸し与えられた人間なんて、他に見たことねェぞ」


 はたと湊は思い出した。

 そういえばこの御方、べらぼうに神格の高い神様中の神様であったのだと。

 あまりにも外見が人間めいて、言動がやんちゃすぎて、ド忘れしていた。


 湊が両手を下げ、軽く頭を下げた。


「大変申し訳ありませんでした。生意気な口を利いてしまって……」


 顔色を変えたスサノオが剣を引き抜き、その剣先で湊をさす。


「おい、なんでいきなりへりくだってんだよ! あ、あれか、永く存在してるって言ったからか!? さては、俺のこと、スゲェ年寄りだと思ったな!? いやいやいやいや、俺ァはまだ若ェ! まだまだオッサンでも爺でもねェ! 勘違いすんなよォッ」

「そうさな。ちと前まで、母会いたさに大泣きしておったくらいゆえ」

『ほんま、それ。あん時は、えっらい、やかましゅうて、やかましゅうて……』

「うっせェぞッ! 外野ァ!」


 昔馴染みたちからの黒歴史暴露に、スサノオは剣を振り回してわめいた。

 やや距離が離れているにもかかわらず、さもありなんとつぶやいた山神とヤマタノオロチの声はよく通り、スサノオにもバッチリ聞こえていた。


「つーか、爺どもッ、なに酒盛りしてんだよォ!」


 そう、山神とヤマタノオロチは、いつの間にか地べたで酒を酌み交わしていた。


 馬耳東風なヤマタノオロチが一つの口でとっくりを咥え、山神の大杯たいはいに注ぐ。なぜか、とっくりの大きさ以上の酒が出ていた。

 山神が前足をかざす。


「おっと、もうよいよい」

『もうかい。あんさん、呑まなくなったなぁ』

「うむ、今では酒は舐める程度よ。しかし甘味はまだいける口ぞ」

『そこは変わらんのなぁ』


 いつまでも大酒呑みのヤマタノオロチは端っこの一つの頭部を残し、他はぐでんぐでんに酔っぱらっている。




 ――戦闘再開。狭い川を挟んで一人と一柱が疾走する。

 スサノオが剣を振るった。

 川の水が津波と化し、水車と水車小屋が崩れ、湊に襲いくる。風で受け止め、後方に受け流す。木材が民家を直撃し、もろとも破壊されてた。


 それに気を配る余裕はない。ただ避けるだけで精一杯だ。

 スサノオはつかず離れずの距離を保っている。とめどなく家やら木やらの残骸が吹っ飛んでくる様は、嵐の中を突き進んでいるに等しい。


 集落は意外に広かった。

 スサノオと湊が進んだあとには、家屋、木があった場所は抉れ、川は干上がり、地形の形すら変わっていた。



 集落の中央に三階建ての御殿ごてんが見えた。

 他の民家とは造りが異なり、頑丈そうだ。

 そこを挟めば、しばしの間風よけになってくれるかもしれない。


 一縷の望みをかけた湊が御殿の陰に飛び込む。


 足を緩めたのも束の間、頭上から影が差す。上方から暴風が襲ってきた。

 スサノオが屋根の上――空を飛んでいる。というか、駆けている。


 即座、湊は跳び退り、走るしかなかった。もう顎が上がり気味で、息も上がっている。


「空からのっ、攻撃は、ずるいだろッ」

「お前も飛べば? できないわけないだろ、風神にできてお前にできないことはねェ。力の扱いはほとんどできてるわけだしな。――弱ェが」


 カチンときた湊は腕を振り抜き、風の小刃をぶっ放す。

 三日月型の先端は蒼い。風神の神威が乗った風のヤイバ


 それを立て続けに剣で両断したスサノオは、喜色満面になっていた。


「やっとやる気になったなァ!」


 神威を乗せたのは、迂闊だったかもしれない。

 自らの失策を悟った湊の背後に、どんよりとした暗雲が立ち込めた。

 案の定、スサノオの攻撃が増す結果になった。




 それから小一時間ほどの時が流れた。

 ゼェゼェ、ハァハァ。膝に手をついた湊の喘鳴ぜいめいだけが神域に木霊する。


「まァ、こんなもんだろ」


 その一方、腰に手を当て、剣を肩に乗せて立つスサノオは平然としている。

 神と人間の歴然たる大差に、湊は改めて戦慄していた。


「だいぶ、風がまともになったな。風神っぽくなってきた」


 スサノオは満足げだ。やり方は強引極まりなかったが、スサノオなりに湊を鍛えてくれたのだろう。


 あたりはすっかり瓦礫の山と化している。

 もうまともに建っている家屋は一軒も、木も一本もなく、棚田も原型を留めておらず、所々トンネルができている。

 荒涼としたその場に、場違いなやわらかな風が吹き抜けた。


 スサノオが剣を消し去ると、金の粒子がどこかに流されていった。前髪をかき上げ、丸まった湊の背中を見やる。


「まァ、いろいろ言ったが、ただの人間が生身のまま神の力を遣いこなせるだけでも、十分スゲェと思うぜ」


 いくぶん優しげな言い方だった。認めてはいるようだ。

 のろのろと湊の面が上がると「まだ風神には及ばないがなァ」と付け足された。


「……そこは、余計……」


 不満げな湊の様子にケラケラ大笑いしたあと、スサノオは腹をさする。


「軽い運動したあとには、腹減るよなァ。お前も減らねェ?」

「――腹より、喉が……渇いた。神様は、腹は減らないって聞いてたけど……」


 神々にとって人間の栄養素――食物類は嗜好しこう品にすぎない。


「ああ、実際人間めいた飢餓感はねェが、毎日食ってると、減る気がするんだよ。じゃ、お前んち戻るか。俺になんか食わせろよ」


 なんてことだ、今度は飯までタカられてしまった。

 スサノオは悪びれる様子もなく快活に笑う。


「おもてなしは日本人のお家芸だろ」

 湊は言い返す余力すら残っていなかった。


 そこに、グゴゴゴゴ〜。地鳴りのごとき複数の異音が轟く。

 緩慢に振り返った湊が見たのは、伏せた山神の背に八つの頭部を乗せ、山神を枕にして爆睡するヤマタノオロチの姿だった。


「あいつ、また寝首かかれてェのか……?」


 後方からの物騒なつぶやきは聞こえなかったことにした。

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