24 高く売れますように




 薄曇りの朝から、湊は木彫りを卸すべく南部のいづも屋に赴いていた。

 店の戸口をくぐると、待ち構えていた――文字通り、仁王立ちしていた笑顔の店員に、店の奥へ促された。


 通されたのは小さな部屋。窓のない四畳半の和室は、隅に置かれたぼんぼりが唯一の光源という、実に怪しげな雰囲気だった。

 中央を陣取るちゃぶ台越しに湊と向きあう、顔の半分に影が落ちた店員も同じく。その口から絶え間なく発せられる笑い声も不気味さに拍車をかけている。


「ふふふ。すごいっ、本物の麒麟様だ……!」


 ほんのり開いた襖からのぞく麒麟を見て、身悶えもしていた。

 なんと、かの人嫌いが店内までついてきていた。これは初めてのことだ。

 湊がポツリと訊く。


「麒麟さんは、珍しい存在……ですよね」

「もちろんです。はじめてお会いしました。お美しい……」


 うっとりとつぶやかれ、麒麟の片眼が遠ざかった。

 むむむ、と麒麟が眉を寄せる。湊以外には見えないようにしていても、時たま店員のように特殊な目を持つ者に暴かれてしまう。

 とはいえ、霊獣や神にまつわるモノを感知できるのは心の清らかさの証でもあるため、害にはならない。


 店員は、感嘆の息をついた。


「やはり、本物は違いますね……」

「偽物がいるんですか?」

「いいえ、そうではありません。四霊様は縁起物のモチーフとしてたいそう人気ですから、見慣れているともいえます。けれど、いずれもあまり似ていなかったのだと知ってしまいました……」

「そうなんですね」


 いままで四霊を気にして生きてこなかった湊は、彼らが縁起物として人気が高いことをあまり知らなかった。


「ええ、同じくらいに天の四方を司る四神しじんも人気ですけどね。――ああ、ちょうどここにもあります」


 店員は、背後に置かれていた一枚の絵を手に取り、湊へ見せた。

 顔の周りを蛇体が巻いたように見える構図の、青龍だった。

 その周りの余白を埋めるように金粉が舞い、実に神様然としている。


「神々しいですね。――似てないですけど」

「青龍様ともお会いになられたことがあるのですか!?」


 前のめりになる店員から湊はわずかに身を離した。


「ええ、まあ。遊びにこられましたので……」

「もしかして、木彫りのモチーフにされていたりします!?」


 明らかにテンションが上がった。期待が重い。

 若干の申し訳なさを感じつつ、湊は首を横へ振った。


「いいえ、それはないです」


 麒麟をはじめ、他の霊獣と山神は自らモデルに志願してくれるから、湊も遠慮はしない。けれども、他の神々は違う。許可も取らずにその姿を写す気はなかった。

 そう説明すると、空気の読める店員は居住まいを正して咳払いを一つ。


「大変申し訳ありません。取り乱してしまいました」

「――いえ。ずいぶん神様がお好きなんですね」

「ええ、とっても」


 にこにこ笑っている。

 ならば、山神をモデルにした木彫りのほうがよかったかもと湊が思っていたら、店員が襖の隙間を見やる。


「もちろん、霊妙なお方も大好きです!」


 火傷しそうな熱量を含む愛の告白めいていた。襖の向こうの麒麟が怖気を震うのも、湊には見えていない。


 さておき、本題に入ろう。

 湊はバッグから取り出した木彫りを座卓に置いた。

 ぼんぼりの明かりをはるかに凌駕する輝きに包まれているのは、二艘の舟だ。


 この時になって、もう一つの霊亀の木彫りを出すのに躊躇した。


 出来が気に入らないと思ったのだ。ゆえに卸すのは二つだけにした。

 ともあれ、舟の帆には霊亀と応龍の抜け殻を用い、麒麟と応龍が加護を与えている。

 ごくり。背筋の伸びた店員が喉を上下させた。


「すごい……」


 それ以上の言葉は続けられないらしく、まぶしげに目を細めながらも、必死に見入っている。

 頭を動かし、つぶさに二つの検分を終えた店員は姿勢を正した。


「楠木さん、大変です……!」


 その鬼気迫る勢いに湊は息を呑んだ。店員の反応を見るべく、あえて事前に材料にまつわる話をしなかったのが、仇になったのか。


「――もしかして、売り物になりませんか?」

「いいえ、いいえ! まさか! そんなことあるわけありません、売れるに決まっています。――そうではなく、金額が決められません」

「えーと……」


 湊は困惑して後ろ首を掻いた。


 この店には、湊と同じく神域に住まう人々によって作成された品々が売られている。いずれもうっすら神気をまとう清浄な物ばかりだ。

 特別なご利益を内包しているわけではないが、必要とする者へ届くという不思議な縁を持っている。


 つまり希少な物だらけといえよう。

 それらにはしかと金額が表示されており、どれも相場より高くとも基本的に雑貨のため、少し奮発すれば手に入る価格となっている。

 にもかかわらず、湊の木彫りだけ値がつけられないとはこれいかに。


 釈然としない湊へ向かい、神妙な表情の店員は重々しい口調で告げた。


「なにせ楠木さんの木彫りは、材料が材料ですからねぇ」

「おわかりになるんですね」

「ええ、もちろんです。人ならざるモノに関する目利きには自信があります」


 ドンと厚い胸板を叩いた店員は、打って変わり慎重な所作で舟の木彫りを持った。


「これには、とてもとても貴重な木……御神木をお使いですね」

「そうですね。珍しいクスノキだと思います」

「私も御神木とご縁がありまして、それなりの木々方々とお会いしてきましたが、ここまで徳の高い御神木は初めてお目にかかりました」

「と、徳の高い?」


 ダンシングフラワーもかくやのあの躍るクスノキに、これほど似合わぬ冠言葉もなかろう。

 店員はその木材から作られた木彫りをじっくり見つめた。


「三神、いや四神よんしんの力を感じます」

『まぁ、そうでしょうね……』


 麒麟が、得心がいったようにつぶやいた。

 それを耳にした店員は襖を一瞥するも『話しかけるな!』という無言の圧力を受け、声はかけなかった。


「山神さん以外の神の力……あ、風神様か。他の二神は……?」


 一方、湊は心当たりがない。

 とはいえ考えてみれば、クスノキは相当特殊なのかもしれない。

 まずその種は霊亀にもらった物で、出処が判明していない。

 それを山神の神気が入った水を風神に力を与えられし湊が風を用いて育て、応龍が喚び寄せた雲から降らせた雨で急生長している。それも二回だ。

 山神が『世界に二つとない御神木ぞ』といっていたのも頷ける。


 店員は手の中で舟の木彫りを回した。角度を変えると、帆がなお一層輝きを放つ。


「それにこちらの帆は、相当希少なモノですよね」


 襖へ流し目を送りつつ、いった。


「そうですね……おそらく」


 なにぶん湊は、世間での四霊の評価を知らない。彼らから気軽に渡されたせいもあり、いかに価値があるのか想像もついていなかった。

 それを察した店員は、表情を改めた。


「こちらは四霊様の抜け殻ですよね? いや、十中八九そうでしょうけど、だとすれば貴重も貴重。お宝中のお宝です。抜け殻だけは万人が認識できますし、ご利益にもあやかれる。その昔、これを手に入れようと、国家同士の争いになったこともあります」

『嘆かわしい……これだから人間は……。愚かしいことこの上ないですね』


 麒麟のため息混じりの嘆きは、衝撃を受けて声を失った湊には聞こえなかった。


「――そのうえさらに、四霊様が加護を与えてもいる。希少なんて言葉では足りないくらいですよ」


 店員に告げられ、湊は意気消沈して目を伏せる。


「じゃあ、売らないほうがいいですね……」


 すっと店員が二艘の木彫りを両腕で囲って引き寄せた。

 渡さぬと動作で語り、にっこり愛想よく笑う。


「いいえ、ぜひお売りください。うちの顧客はまともな方々ばかりですから、邪な心を持つ人間の手に渡ることはまずありません」

「ですが、金額は決められないんですよね」

「はい。ですので、お客様に決めていただきましょう」

「それは……」


 相場を知らないが、二束三文にしかならない可能性もありはしないか。はっきりいえば、橋梁工事代のために高く売れてもらわないと困るのだ。

 言葉を濁して伝えたら、一蹴された。


「もっと自信を持ってください。高値が付くと私が保証します。うちの顧客の方々も目利きの方が多いですし、金払いもいいんですよ」


 断言されて契約書を渡された。

 ならばお任せしていいだろう。ひとまず肩の荷が下りた湊は契約書を読んでいる最中、ふと思い出した。


「あ、そうでした。一つお伝えするのを忘れていました。この木彫りなんですが、悪霊を祓う力があるんですが――」

「ええ、それはもう、ふんだんにございますねぇ」


 食い気味な店員はさかんに頷く。


「その力がなくなった時『木彫りも消える』と山神さんから聞かされています」

「なるほど……。わかりやすくていいでしょうね」

「そうですね」

「必ず事前に、お客様にお伝えしましょう」

「よろしくお願いします」


 効果のあるなしが一目で判別できるのは、万人にとってありがたかろう。



 無事契約書にサインをし終え、湊は店外へ出た。

 戸口の上部に掲げられた看板を見上げ、ひょろりとした店名に向かい、こっそり祈る。


「二つとも高く売れますように」

『当然です。売れるに決まっています』


 湊からやや離れた位置に佇む麒麟が力強く答えた。

 湊が歩き出すと、一定の間隔を開けて麒麟もついていく。ふたりの影が雑踏の中へ紛れていった。

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