23 仲良し播磨一族




 ややあって、もごもごと不明瞭な言葉をもらし、中年男はさかんに振り返りつつ、暗い道へ消えていった。厄介事は去ったのだ。

 洋館の門前は静けさを取り戻し、姿勢を正した播磨才賀が椿へ向き直った。


「播磨次官、ありがとうございます。お手数をおかけしました」

「気にするな。よくあることとはいえ、災難だったな」


 椿は通常、砕けた男言葉で話す。こちらが常態のため、才賀は妙な安心感を覚えた。


「世話になったな、椿ちゃん」


 葛木は昔から変わらぬ呼び名を口にした。


「いえ、お気になさらず。慣れておりますから」


 淡い笑みを浮かべ、椿は答えた。

 迫力のある美貌は、先ほどのようなイチャモンをつけてくる輩にはたいそう有効だ。たいてい怯んで逃げ出す。

 播磨の一族は神の血を引いているおかげで容姿に恵まれ、才賀を除く全員がそれを武器として利用している。

 女性のクレーマーには、才賀の顔面が役立つこともあるのだけれども。


 突然、才賀は背後からガシッリと肩を組まれた。


「よお、義弟ぎてい。相変わらず堅苦しい態度だな。ひさびさに会ったんだし、いつも通り俺の椿さんを姉上って呼べばいいだろ」


 顔をのぞき込むようにしながら、義兄は爽やかに笑った。姉と並んでも見劣りしない容貌をして、上背もある。何かにつけて姉を我がものと主張する男だが『俺の椿さん、マジ女神』が口癖の熱烈な信奉者でもある。

 姉を下にも置かないほど大事にしてくれるから、文句などあろうはずもなく、夫婦仲がよいことも大変喜ばしいことだ。

 ただちょっと、ウザいだけである。

 才賀は前方を見たまま、素っ気なく言い放つ。


「今は、仕事中ですので」

「いやだね〜、この男は。いつまで経っても無愛想で堅物すぎる!」

「あなたが軽すぎるんですよ、お義兄にいさん」


 ぎゃあ! と大げさに叫び、離れた義兄は忙しなく二の腕を擦った。


「お前にお義兄さん呼びされるとか、無理! 鳥肌立った!」


 そっちも義弟呼びはよせ。

 軽くなった肩を動かす才賀は、その台詞を喉でとどめた。


 こんな彼らだが、至って仲は良好だ。

 播磨家の女たちは幼少期に必ず婚約するため、みんな長い付き合いになる。

 義兄と才賀は歳が近く、同じ学舎だったこともあり、長年先輩後輩という間柄のほうが強かった。

 軽く言いあう才賀と義兄の後方で、親族の一人がキョロキョロと周囲を見渡した。


「ねぇねぇ、このあたりって、翡翠の方のお住まいの近くなんでしょ?」

「ちょっと離れてるみたいよ」

「偶然出会えたりしないかなぁ?」

「こんな時間に? まさか、ありえないわ。夜遊びするタイプに神様方が集うわけないでしょう」

「それもそうね。ざんねーん」

「けど、すっごくまぶしいらしいから、疲れてる今日は会えなくてよかったんじゃないかしら」

「それもそうね。せっかくお会いできるなら体調が万全の時がいいわね」


 コソコソとささやきあっているが、才賀には丸聞こえだった。

 彼女たちが湊に会いたがるのは、好奇心と尊敬からだ。ただの人の身でありながら、神の力を行使するのだから。


「才賀、まだ仕事は残っているのか」


 椿が問いかけてきた。姉一行も割合い近くで、仕事を済ませてきたという。


「はい、あと一件です」


 椿の流し目が、才賀の浅い傷の入った頬で止まった。


「そうか、気をつけろよ」


 その相貌は何もかもお見通しのようで、才賀の目が泳ぐ。けれども椿はそれに触れることはなかった。


「――では、我々は先に失礼する。今から食事にいかねばならんのでな」


 真顔で告げるその背後の親族たちも胸の前で拳を握りしめ、首を縦に振っている。

 遅くなろうがなんだろうが、飯だけは食う。それが彼女たちの信条である。


「あったかいご飯のあとは、温泉に入りた~い」

「さんせーい。椿様、いきましょうよー!」

「俺の椿さんがもっと美しくなるから大賛成〜!」

「やだ、また惚気けてるー! も〜、私の婚約者くんに会いたくなったじゃなーい!」

「あたしも旦那さまの顔が見たい……。でもその前にご飯と温泉に行かなきゃいけませんわ! 椿様、参りましょ〜」


 違和感なく男一人が溶け込んだ女系一族は、かしましい。片手を挙げて了承した椿は、葛木へ目礼して踵を返した。

 ぞろぞろと集団が移動しはじめ、その中央にいた義兄が才賀へ声をかける。


「才賀、たまには帰ってこいよ。うちの姫たちも会いたがってる」


 二人の姪のことだ。時折しか本家に戻らないため、いつの間にか増え、会うたびに育っていて毎回面食らっている。


「――そのうち戻ります」

「いつになるんだか……。ああ、それとあんまりツラに怪我するなよ。男前が台無しになるぞ〜。じゃあな!」


 ケラケラ笑った義兄は後ろ手を振り、女の一団のあとへ続いていった。




 翌日の昼下がり。いまにもひと雨降りそうな天候の中、河川敷に佇む播磨と葛木が高架下を見上げていた。

 黒い糸が簾のように垂れ下がり、地面にも地獄温泉のごとく湧く悪霊溜まりができていた。


「またか……」


 播磨の口からうんざりとした不平がこぼれた。


「ここ、つい先日祓ったばかりなんですが……」

「そうなのか? 俺は昨日この地に来たから知らんかったわ。しかしまぁ、ひとまず片付けるか」

「はい」


 播磨は前回、ここで起こった事を由良から報告を受けて知っている。悪霊祓い中に突然人型の悪霊が現れ、はびこる悪霊をむさぼり喰い出したことを。

 そんな事態を繰り返すわけにはいかない。葛木と分かれて中央に追い込みながら祓う間も、播磨は周囲への警戒を怠らなかった。

 激しく震える最後の悪霊溜まりを播磨が消し去った。


「結構早く終わりましたね」

「ああ、まぁ弱いモノたちだったからな。それに先日祓ったばっかりならこんなもんだろうよ」

「確かにそうですが――」


 鋭利な悪霊の気配を捉え、言葉を切った。

 二人が勢いよく振り返ると、空中を一頭のシャチが泳いでくるところだった。灰色の空を背景に、背面の黒と腹面の白のコントラストが鮮やかに浮き上がっている。

 そればかりか、口に悪霊――人型の胴体をがっぷり咥えていた。

 その悪霊がどれだけ瘴気をまき散らし、暴れ喚こうともシャチが離すはずもなく、時折、煩わしそうに頭部を左右へ振って悪霊を絶叫させていた。

 生かさず殺さずの光景は、あまりに空恐ろしい。思わず播磨は口元を引きつらせた。

 一方、後方から進み出た葛木は笑っている。


「久しぶりだな、三号。でかした!」


 シャチ型の式神――三号は背びれを動かしてあいさつを返した。

 この式神は普段、同型で配色が逆転した四号とともに葛木の父のもとにいる。


 三号は葛木の斜め上で静止し、悪霊を突き出した。その様はまるで、仕留めた獲物を自慢するようだ。


「こりゃまた育った悪霊だな……。どこから拾ってきたんだ?」


 尾びれで後方をさしたが、土手になっていて見えない。


「――向こうは……デカイ洋館のあたりか?」


 シャチがコクコクと頷く間、葛木と播磨が目を見交わす。昨日、二人と播磨一族が祓ったばかりのその付近に、こうも強くなった悪霊がいるのはおかしいだろう。

 両名が同じ心境に至った頃、悪霊がその身から濃い瘴気を放った。

 が、即座にシャチの顎に力が入り、悪霊は力なく四肢を垂らした。


「三号、その悪霊もう喰っていいぞ」


 葛木が許可を出すと、キランとシャチの眼が煌めき、悪霊を上空へ放り投げた。自重で落ちてきたそれを尾びれで跳ね上げる。また落ちてきたら口で上空へ突き飛ばす。ポンポンとお手玉ように悪霊が宙を行き交う。

 その回数が上がるにつれ、悪霊は目に見えて弱っていった。


 悪霊は、人が素手で殴ったり蹴ったりしたところで、毛ほどもダメージは受けない。

 けれども、術者によってつくられた式神なら話は別だ。

 彼らの動力源は霊力であり、その身は霊力の塊ともいえる。とはいえ、こんな形をなした悪霊を手玉にとれる式神は極めて珍しい。

 そんな三号に霊力を渡している葛木の父が、いかに強いかという証でもある。


 宙を泳ぎ回りつつ悪霊をいたぶり続けるシャチを見ていた葛木が、浅くため息を吐いた。


「三号、あんまり遊びすぎるなよ」

「――やはりあれは、遊んでいるんですね」


 凄惨な殺戮シーンをできるだけ視界から外そうと努める播磨の顔色は悪い。


「ああ、実際のシャチに似せてあるからな。本物も狩りの時に遊ぶようなやつだろ。まったく怖いね〜」


 半笑いな葛木のそばで、三号は動かなくなった悪霊を一呑みで喰らった。

 くるりと回遊したあと葛木の前で止まり、口を開閉させる。


「お、親父帰ってくるのか。いつだ? なに、まだ決めてない? 親父はよう……。日時をはっきり決めてから伝達しろっていつもいってるだろうに……」


 ジェスチャーで会話が繰り広げられるその傍ら、播磨は顎に手を当て、何事かを思案していた。

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